両膝負傷と内臓疾患などで一度大関から陥落しながら、昭和以降では三重ノ海以来2人目となる横綱昇進を確実にした照ノ富士。スポーツ報知では、「不死鳥の軌跡」と題し、不屈の精神で史上最大のカムバックを果たした新横綱の相撲人生と未来に3回連載で迫る。最終回は「心」「技」「体」の成長。

 * * *

 大関が序二段まで陥落するという屈辱を味わった照ノ富士。けがや病気で一度は相撲から気持ちが離れた経験は、力士としての在り方に変化をもたらした。

 「心技体がそろってきた」と話すのは、伊勢ケ浜部屋と親交が深い神奈川・秦野市の出雲大社相模分祠(ぶんし)、草山清和分祠長。特に「心」の部分の成長を挙げる。「『おかげさまで』とか、感謝の言葉がすごく出るようになった。前の大関の時はちょっと鼻高々なところがあったけど、今は全くない。付け人にも気を使う。そういうところは違ってきた」

 綱取りに挑んでいた今場所、周囲には緊張感を感じさせることはなく、若い衆にも気を使い自ら笑いを取ることもあったという。相撲をやめたいと思った時、引き留めてくれたのは師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱・旭富士)。兄弟子に「師匠がやめさせてくれない」と伝えても、「やればできる」と励ましてくれた。一つ一つの支えが、感謝の心を育んでいった。

 大関から陥落後横綱になった元三重ノ海の石山五郎氏は、「照ノ富士は、今のまま自信を持って強い横綱になってほしい」と期待を込める。どん底を味わい備わった「心」に、けがで相撲を見直し磨かれた「技」。そして、生まれ持った天性の「体」の強さ。全てがそろった時、照ノ富士は73人目の頂に到達した。(大谷 翔太)=おわり=