随時掲載の「背番号物語」がスタート。それぞれの選手の代名詞とも言える巨人の背番号の歴史、変遷をたどっていく。

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 83年に広島の長島清幸が日本球界で初めて「0」をつけ、レギュラーを獲得する活躍を見せたことで、日本にも浸透することになるが、巨人の「0」は89年が始まり。川相昌弘が、入団7年目に「60」から昇格した。

 「巨人では最初だったけど、長島さんやダイエーの佐々木(誠)ら、他球団ではつけていた人がいたから、全く抵抗はなかった。期待されていると感じたし、1ケタの番号をもらえる喜びが大きかったことを覚えている」と振り返る。

 川相は後に533犠打の世界記録を達成したようにバントが有名で、2000年からは背番号が「6」になるが、「0」を背負った11年間の間に6度ゴールデン・グラブ賞を獲得するなど、「0」は小技に加えて守備の名手の番号になっていく。吉川尚輝、増田大輝も、その典型と言えるだろう。

 また川中基嗣、木村拓也らユーティリティープレーヤーにも似合う番号だ。09年9月4日のヤクルト戦(東京D)、捕手がいなくなった延長12回に木村がマスクをかぶりチームのピンチを救ったのは有名な出来事。この時、背中に輝いていたのが「0」だった。