【函館】1902年(明治35年)冬の青森県・八甲田山で199人の犠牲者を出した旧日本陸軍の雪中行軍遭難事件。その捜索に加わって活躍した道南ゆかりの人物がいる。八雲町落部地区出身のアイヌ民族リーダー弁開凧次郎(本名イカシパ、1847〜1919年)だ。2020年に胆振管内白老町に開設予定の国立アイヌ民族博物館でも展示が検討されている弁開の功績と足跡を探った。

 弁開一行は八甲田で、急しゅんな崖地やいてつく川をもろともせずに捜索。67日間に遺体11体と遺品多数を発見した。事件を題材にした映画「八甲田山」(森谷司郎監督)では一切触れられず、原作「八甲田山死の彷徨」(新田次郎)でも弁開の記述は一文にとどまる。アイヌ民族が暮らす地域は道内に多くあったが、弁開に白羽の矢がたった理由は触れられてない。(石田礼)