1945年(昭和20年)の8月9日に旧ソ連軍が当時日本領だった樺太(サハリン)の北緯50度の国境線を越えて対日参戦してから74年がたった。旭川市の野村千恵子さん(84)は樺太の敷香(ポロナイスク)に住み、ソ連軍の銃撃を逃れて家族とともに道内に引き揚げた経験を持つ。市内の合唱団に所属する野村さんは15日の終戦の日を前に「少女時代に戦争を美化した軍歌を勇ましく歌った。二度と音楽を戦争の道具にする時代にしてはいけない」と訴える。

 野村さんは敷香にあった市川蓄音器店の次女として生まれた。父親の市川音若(おとわか)さん(故人)は小樽高等商業学校(現・小樽商科大)を卒業後、32年に製紙業や石炭採掘で好景気に沸く敷香で店を開いた。

 大手蓄音機メーカー特約店として多彩なレコードをそろえ、ラジオや電気スタンドも販売。国境警備の軍人やロシア人のほか、ウイルタ族も犬ぞりで買いに訪れた。

 野村さんは「太平洋戦争が始まると軍歌ブームが起きた。朝、店のシャッターを開けると毎日行列ができていた」と振り返る。店頭のスピーカーからは連日、「加藤隼(はやぶさ)戦闘隊」「若鷲(わかわし)の歌」などが鳴り響いた。野村さんはいつも軍歌を口ずさんでいたという。