光秀と越前の伝承に光 市郷土歴博で企画展
光秀は織田信長に仕える前、越前の朝倉義景に仕え、坂井市丸岡町長崎の称念寺門前や福井市東大味町に住んだと伝わるが、越前の地誌には別の伝承も残る。「東郷村誌」(1957年)は、一乗谷から西の山を越えた福井市栃泉町の「坊ノ城」に、幼少の光秀が母と住んだとする。栃泉町には、光秀が家族とまき割りをして暮らしていたとの伝承もあるという。
「足羽町史」(1976年)には、光秀の屋敷があったとされる東大味町に「稚児の森」と呼ばれる場所があり、朝倉氏滅亡時に光秀の幼い子どもが生き埋めにされたという他にない記述が見られる。
光秀に人生を翻弄(ほんろう)された越前ゆかりの武将も紹介。光秀に仕え本能寺の変で信長側近の森蘭丸を討ち取ったとされる四王天(しほうでん)又兵衛政実は、明智氏滅亡後に各地を転々とし、福井藩で舟橋の管理を任された。信長に仕え安土城代を務めたとされる北川勝正は、本能寺の変で光秀の娘婿に城を奪われ、姉の嫁ぎ先に逃れて改姓し福井藩に仕えた。
学芸員は、文化が栄えた一乗谷で光秀が教養や人脈を蓄えたことが、後の飛躍につながったとみる。「大河ドラマで関心が高まっている越前と光秀の関係を、展示を通じて知ってほしい」と話している。
観覧料は一般220円円。会期中の休館日は25〜27日。
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