俳諧文化の興隆知って 26日から高岡市立博物館、寄贈の「百一首図屏風」公開
寄贈されたのは、俳諧の百人一首のような俳画で、六曲一双の屏風。江戸後期の1832年ごろから46年までに描いたとみられる。二つの屏風の左下に梅田年風の落款(らっかん)があり、注文に応じ俳諧百一集に倣って句を選び、与謝蕪村の絵を基に描いたと記されている。
屏風には100人の肖像画とそれぞれの秀句が並ぶ。このうち99人、61句が百一集と一致する。越中9人、加賀23人、能登3人で、女性は8人。松尾芭蕉の肖像画には「唐崎の松ははなより朧(おぼろ)にて」を添えている。尾崎康工や蕪村、加賀千代女、芭蕉の弟子で瑞泉寺(現南砺市)の住職だった浪化(ろうか)らを取り上げている。
梅田年風による同様の屏風や掛け軸が石川県で確認されており、今回の資料は4件目。富山市の吉田清富山大名誉教授・節子さん夫妻(いずれも故人)の家族が寄贈した。
26日〜来年1月15日に高岡市立博物館で開く新資料展で公開する。同館の仁ヶ竹亮介主幹は「美術資料で、文学的な歴史資料でもある。当時の幅広い老若男女が携わった俳諧文化を感じてもらいたい」と話した。
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