歴史と文化と祈りの縦走路

新幹線に乗って新大阪方面から広島駅に近づくと、右側の車窓から小高い山の上に立つ銀色の仏塔が目に飛び込んでくる。正式名称は二葉山平和塔だが、広島では「仏舎利塔」(ぶっしゃりとう)の方が通りがいい。原爆犠牲者の冥福を祈り、世界の恒久平和の願いを込めて1966年に建立された。塔内には、インドの故ネール首相とモンゴルの仏教徒、セイロン(現スリランカ)から贈られた3粒の仏舎利(釈迦の遺骨)が納められている。
この塔がある二葉山(標高139メートル)から尾根伝いに尾長山(同186メートル)を経て牛田山(同260.7メートル)に至るルートが今回のテーマ。午後からでも出かけられる市街地至近の低山でありながら、縦走路に取り付けば本格的な山歩きの気分を味わえ、歴史のある神社や寺院、戦跡、史蹟を訪ねることができる。見どころいっぱい、充実のハイキングコースを歩いた。

▼今回利用した交通機関 *時刻は休日ダイヤ

行き)JR可部線(おとな片道150円)/横川(13:39)→(13:44)広島

帰り)徒歩

 

徳川家康をまつる広島東照宮をスタート

うららかな日差しに恵まれた土曜日の午後。JR広島駅から歩いて10分ほどで広島東照宮に到着した。江戸幕府を開き、東照大権現の神号を授けられた徳川家康をまつっている。1648年、当時の広島藩主だった浅野光晟が造営した。正面から見上げると、唐門の両脇に翼廊と呼ばれる一文字の回廊を配した特徴的な構造だ。原爆投下時に本殿や拝殿などを焼失したが、唐門や翼廊などの付属社殿は必死の消火作業で奇跡的に守られたのだという。創建当時の姿を残す貴重な文化財だ。初宮参りの親子ら多くの参拝客でにぎわう本殿でお参りした後、境内を抜けて車道脇の登山口に向かった。

登山のスタート地点となる広島東照宮

案内板には牛田地区をぐるりと取り囲む逆C字型の縦走路の全貌と、麓から尾根につながる登山道が描かれている。周囲の市街地のあちこちから気軽に登り、また下山できることがわかる。

登山口横にあった案内板。多彩なルートが紹介されている

登山道は広島東照宮の境内社でもある金光稲荷神社の参道を兼ねており、登り始めは多くの鳥居が立てられている。徳川家康の名言を書いた立て札が随所にあり、「御遺訓参道」と名付けられている。下から順番に紹介する。

 人の一生は重荷を負いて遠き道をゆくが如(ごと)し 急ぐべからず
 不自由を常と思へば不足なし 心に望(のぞみ)おこらば困窮したる時を思い出すべし
 勝事(かつこと)ばかり知りてま(負)くる事を知らざれば 害其(そ)の身にいたる
 堪忍は無事長久の基(もとい) いか(怒)りは敵とおもへ
 己をせめて人をせむるな 及ばざるは過ぎたるよりまされり

金光稲荷神社の参道には徳川家康公の遺訓が紹介されている 一番有名な言葉ですね 一番心にしみたのはこれ

標高差100メートル余りの参道を、息を切らしながら登る間にこれまでの生き方を振り返らせられた。

 

戦跡と仏舎利塔から縦走へ

尾根に上がると、すぐ左手に石垣で囲まれた深さ直径3メートルほどの丸い穴が3つ開いている。第二次大戦中に広島市の防空のため築かれた高射機銃陣地の跡だ。約200メートル東に向かうと仏舎利塔。ここも戦時中は高射砲陣地があった。戦跡が平和への祈りの場に変わる。その転変に感慨を覚えた。仏舎利塔の周囲は絶好の展望台でもある。標高は139メートルと低いが、それだけに眼下の市街地との距離が近い。東に目をやると、前回登った呉娑々宇山の雄大な姿がくっきりと見えた。

高射機銃陣地跡に残る石垣 高射砲陣地の跡地に立つ二葉山平和塔(仏舎利塔) 前回登った呉娑々宇山 仏舎利塔横から見た広島市街地。正面遠くテレビ塔のあるのが絵下山

ここから少し車道を下って左に折れ、しばらく歩くとコンクリート階段に行き当たる。牛田東の住宅街の向こうに尾長山が鎮座している。階段を下りて400メートルほど歩くと、「天神峠東口コース」の標識。アスファルト道路に別れを告げて再び山道に入る。尾長山へは標高差100メートルほどなのだが、斜面を直登する形になるので地味にきつい。途中、眺望の開けた場所にブロックと廃材と間伐材を使った手作り感いっぱいのベンチが置かれていてうれしくなる。頂上までは実質10分ほどだったが、結構な充実感。振り返ると、銀色に輝く仏舎利塔と緑の二葉山が、市街地の海に浮かぶ島のように見えた。

尾長山(正面)の登山口までは住宅地を歩く 尾長山登山口から二葉山を振り返る 尾長山の登山道は少しきつい登り。ロープが助けになる 航空標識の立つ尾長山山頂

林間の縦走路

少し尾根を歩いて大内越口分岐に向けて下る。ここからは林間の気持ち良い縦走路だ。林間といっても林は明るく、よく整備された歩きやすい道と相まってペースが上がる。休憩スペースも要所にある。日本酒用のケースを7個ばかり並べてベンチにしているところもあり、思わず笑みがこぼれた。両側に市街地が迫っているのに意外なほど静かで、まるで深い山中を歩いているような錯覚を覚える。アップダウンもさほどではなく、こんな楽しい山歩きをすぐ近くで楽しめる場所はそうそうないと思う。ハイキングを楽しむ親子連れや、未舗装路を走るトレイルランニングに取り組む人(後ろから急に足音が迫ってきてびびった)など、思い思いに縦走路を楽しむ人たちに出会った。

牛田山への縦走路にあった休憩所。日本酒のケースがベンチ代わりに置かれていた よく歩かれている縦走路。多くの登山者(ハイカー)とすれ違った

牛田山の頂上広場が見えたところでちょっと寄り道。右の斜面を数メートル下ると地面に二枚貝やカキの貝殻が散らばっている。ここが西山貝塚だ。説明板によると、弥生時代後期の遺跡で県内ではほかに出土例のない手裏剣のような形をした巴形銅器や、土器、鉄器、骨角器も見つかっているという。高地集落の跡だったとみられることから、中国の史書に「倭国乱れて相攻伐すること年を経たり」(魏志倭人伝)「桓[帝]・霊[帝]の間(146〜189年)、倭国大いに乱れ、更(こもごも)相攻伐し、年を歴(ふ)るも主無し」(後漢書東夷列伝)などと記録された「倭国大乱」の時代の軍事的施設だったという見方が有力だという。ちなみに、史書では、この大乱の後に邪馬台国の卑弥呼が登場する。

西山貝塚。多くの貝殻が見られる 牛田山の山頂まであと少し

サロンのような牛田山山頂から文化財の宝庫へ

貝塚を後に数十メートルほど歩くと、広々とした牛田山山頂に到着。手製のあずまやあり、ベンチあり。多くの登山者が思い思いに和んでいる。まるで登山者やハイカーのサロンのようだ。ここには16世紀、在地の小領主(国人)だった戸坂氏の居城、戸坂城(別名茶臼山城)があり、山頂の広場は遺構の一部でもある。南を見ると、二葉山越しに高層マンションが立ちあがり、似島や能美島、江田島など広島湾の島々が望める。せっかくなので景色を楽しみながらおやつの菓子パンをいただいた。

牛田山の頂上には手作りの休憩所が 牛田山頂上の看板

さあ、下山だ。まだ日は高い。西に向かって淡々と下っていく。ほどなく神田山荘方面との分岐に。ここは神田山荘方面に出るのが定番だが、今回は広島市内で唯一の国宝がある不動院へ下ろう。これまでの道に比べるとあまり歩かれていないようだが、荒れてはいない。最後の急坂は滑りやすかったが、手すり代わりになるロープが張られているので安心だ。30分ほどで牛田新町に下山し、住宅街を抜けて不動院を訪ねた。

不動院への分岐 最後の急な下り。ロープがありがたい

ここは文化財の宝庫だ。元は安国寺といい、戦国大名の毛利氏の外交僧を務め、後に大名になった安国寺恵瓊(えけい)(生年不詳〜1600)が住持を務めた。国宝に指定されている金堂は、大内義隆が山口に建てたものを恵瓊が移築し、仏殿にしたと伝えられている。軒下にひさしの裳腰(もこし)を回して二層に見える外観を持ち、現存する中世の唐様仏殿の中では最大の遺構だという。当時の大内氏の財力・権力の大きさを今に伝えている。鐘楼と楼門も国指定重要文化財だ。
恵瓊は関ケ原の戦いに西軍の一員として参加して敗れ、処刑された。不動院の山手にある墓地には、恵瓊の墓が残されている。
広島駅からここまで6.8キロ。歩行時間は休憩込みで2時間34分だった。

不動院の楼門 楼門内の仁王像(阿形)は県重要文化財。さすがの造形 同じく吽形 金堂は広島市内唯一の国宝 毛利家の外交僧だった安国寺恵瓊の墓

2022.1.22(土) ≪掲載されている情報は取材当時の内容です。ご了承ください≫

ライター えむ
還暦。50代後半になってから本格的に山登りを始めて4年ほど、中四国の低山を中心に日帰りの山歩きを楽しんでいます。できるだけ公共交通機関を利用しますが、やむを得ない場合に時々レンタカーを使うことも。安全のためトレッキングポールは必ず携行。年齢のわりに歩くのは速い方です。
■連載コラム「バスと電車と足で行くひろしま山日記」