広島原爆の日の6日、原爆の悲惨さを語り継ぐ集会「原爆と人間展」が土浦市大和町の県南生涯学習センターで開かれた。県原爆被爆者協議会の黒川博会長(88)=土浦市=が被爆者の証言として当時の様子を話し、原爆の恐ろしさ、平和の尊さを伝えた。
 黒川さんは、1945年3月に山口県の海軍学校に入るため故郷・長崎市を離れ、長崎への原爆投下から10日後に実家に戻り被爆した「入市被爆者」。実家は爆心地から約120メートルの場所にあり、原爆で母と妹2人を亡くした。
 黒川さんは、家へ戻った当時について「危険だと言われたが、家族が心配で行った。そこにはもう、何もなかった」「周りに住んでいた人も皆亡くなった。近くの小学校は生徒約1500人のうち1400人が亡くなった」と振り返った。
 黒川さんはさらに、「広島と長崎の原爆は同じではない。長崎のほうが1・3〜1・4倍強力だった。市の中心部に落ちていたら広島と同じ被害か、それ以上だったと思う」と話した。
 同集会は同展実行委員会の主催で、昨年度の土浦市平和使節団の中学生による活動報告や原爆パネル展なども行った。パネル展は8、9日も同所で開催する。(高阿田総司)