「おい! ウチのCMタレントは大丈夫だろうな!」なんて心配の声が、日本中の企業に溢れかえったのではないか。

 ピーエル瀧こと瀧正則さんがコカイン使用で逮捕されたことを受け、多種多様な企業がその対応に追われ、中には目玉が飛び出るような巨額損失を引き起こしているからだ。

 まず、CMや広告に起用していたところがすべて「お蔵入り」というのはお約束として、今回注目を集めているのは、役者やアーティストとして関わっている作品までその憂き目にあっていることだ。

 例えば、ソニー・ミュージックレーベルズは、瀧さんが所属する「電気グルーヴ」のCD・音源を回収および出荷・配信停止することを発表。NHKも『あまちゃん』や『龍馬伝』など、瀧さんが出演したすべてのドラマを全話配信停止に踏み切っている。

 さらに、セガゲームスは、瀧さんがキャラクターモデルとして登場するPlayStation 4用のゲームソフト「JUDGE EYES:死神の遺言」まで出荷やダウンロード販売、製品Webサイトの掲出を自粛すると決定した。

 当然、これだけの自粛ラッシュとなれば、損害はすさまじい。一部報道では、瀧さん側への損害賠償請求は数十億なんて話もある。

 こういう話を聞けば聞くほど、背筋が冷たくなる企業の人間も多いことだろう。

 大枚をつぎ込んだ広告やエンタメ作品が、ある日を境にパアとなる。社内外から「なんであの人間を起用したんだ!」というお叱りを受けて、詰め腹を切らされる。サラリーマン人生最大の危機だ。

 ただ、そのような心配はもうしなくていい時代が来るかもしれない。

 企業イメージに直結するCMや広告の停止はいたしかたないが、純粋なエンタメ作品に関しては、坂本龍一さんが苦言を呈したように、「作品に罪はない」という機運が高まっているからだ。

●忌野清志郎さんの言葉

 今、SNSで話題になっているのは、歌手の槇原敬之さんが薬物所持で逮捕された際に、CDが自主回収されたことに対して、歌手の忌野清志郎さんが述べた以下の言葉だ。

 「槇原のを回収しているのなら、ビートルズやジミヘンも回収しろって」

 ご存じのように、世界ではアーティストの作品と薬物は分けて考えられる。平和を愛する人たちが教祖のようにあがめているジョン・レノンは、薬物使用の過去を公言していた。2010年にコカイン所持で逮捕されたブルーノ・マーズのときも自主回収などされず、逮捕後も普通に作品は評価され、18年にはグラミー賞で最優秀レコード作品賞を受賞している。

 「それはホラ、海外はドラッグに甘いから」という人がいるが、そういうカルチャーギャップ的な話ではなく、あちらの社会では、薬物依存を明確に「病気」と捉えていることが大きい。

 薬物依存は本人が向き合う私的問題であって、社会全体でこん棒を振り上げて追いかけ回して、仕事や過去の実績を奪って、破滅へ追い込むような類の話ではない。むしろ、社会としては、薬物依存患者がその誘惑を断ち切って、社会に復帰することを手助けすべきだというわけだ。

 この根底には、創作活動と人間性を分けるという考えがある。人類の歴史を振り返れば、芸術、演劇、音楽、映画などは、必ずしも道徳的な人間たちだけが生み出してきたわけではない。よく日本で言われる「薬物を使っている人間の音楽や映像はドーピングで認めない」とはならないのだ。

 このような「作品」に対する考えが広まれば、企業のタレント不祥事に対する「責任の取り方」も今とだいぶ変わっていく。おそらく、こんな対応がオーソドックになっていくはずだ。

A:全面自粛(企業イメージ向上のためのテレビCMや広告)

B:一部自粛(公共電波で放映されるドラマやバラエティ)

C: 継続(映画、音楽コンテンツ、ゲームなど有料コンテンツ)

●タレント個人の不祥事と作品

 地上波テレビは「容疑者」でも放送コードに引っかかる。広告にもゴリゴリに依存しているので、わずかでも「薬物犯罪者の顔など見たくない!」「子どもに悪影響だ!」なんてクレームに屈せざるを得ない。特に民放の場合、視聴率というKPIを用いた広告ビジネスである以上、「うるせえ、そんなに嫌だったら見るなよ」とは口が裂けても言えないのである。

 今回のNHKの『あまちゃん』や『龍馬伝』のような過去コンテンツは、NHKオンデマンドを開けて、自分で「見よう」と思わない限りは視聴されない。それを踏まえれば、今後、薬物依存への理解が進んでいけば、「継続」となっていく可能性が高いのだ。

 という話をすると、「さっきから“なっていく”とか言っちゃってるけど、本当にそうなっていくのか」と首をかしげる方も多いだろう。今の日本では、薬でも暴力でも不倫でも「不祥事タレント」が関わるものはすべて「自粛」という暗黙のルールがあるではないか、と。

 確かに今はそうである。しかし、これは常識でもなんでもない。その証に、かつてはそうではなかったのだ。

 ショーケンこと萩原健一さんをはじめ、大麻で逮捕された芸能人は山ほどいるが、作品や曲がお蔵入りになることなどほとんどなかった。1987年に覚せい剤で逮捕された尾崎豊さんのときもレコードの回収などされず、しばらくして音楽活動を続けている。

 薬物だけではない。例えば、日本中の子どもをとりこにした『8時だョ!全員集合』で人気絶頂のドリフターズでは81年、メンバー2名が競馬ノミ行為で書類送検された。今なら子どもたちに悪影響だと番組は中止になるだろうが、普通に2名が休んで続けられた。

 80年代までは、タレント個人の不祥事と作品は完全に切り分けられていたのだ。

●90年代に「何か」があった

 では、いつから変わったのか。尾崎逮捕から12年後の99年、槇原敬之さんが覚せい剤所持容疑で逮捕されたときは、今のような自主回収が行われている。ということは、90年代に「何か」があったということである。

 それは、タレントの罪を「作品」にまで波及させるのが当たり前となるような、衝撃的な事件である。と言うと、勘のいい方はもうお気づきだろう。勝新太郎さんの「パンツ事件」だ。

 90年1月、ハワイの空港で勝さんは下着の中にマリファナとコカインを入れて現行犯逮捕された。後に会見で「もうパンツは履かない」という迷言を残したことはあまりに有名だが、日本の企業危機管理の常識を変えたことはあまり知られていない。

 実はこの事件によって、わずか1日のオンエアで消えたCMがある。キリンビールの「ラ党の人々。」である。これは新商品「キリンラガービール」を売り出すため、まさにキリンの社運をかけた一大キャンペーンだった。

 タレント逮捕でCMお蔵入りというのは、この時代でも決して珍しい話ではなかったが、この「ラ党の人々。」が世間にインパクトを与えたのは、これがただのCMではなかったからだ。つかこうへいさんが演出し、松坂慶子さんや国広富之さんなどそうそうたる実力派俳優をそろえて、1年間かけて放映されるCMドラマだったのだ。

 今でこそこの手のドラマ仕立てのCMはさして珍しくないが、当時はかなり斬新で、世間の注目度も高かった。そんな莫大な費用をかけた「話題のドラマ」が、主演俳優の逮捕でわずか1日の放映で打ち切りになる。こうなると、「タレント個人の不祥事と作品は別」なんて寛容なことは言ってられない。事実、その後に勝さんはCM制作会社から損害賠償請求され、そちらも大きなニュースとなっている。

 この衝撃的な出来事が、現在のような「タレントの罪=作品も罪」というトレンドを生み出したのではないか、と個人的には考えている。

●日本の危機管理は、前例主義

 不祥事を起こした企業や芸能人が、同じような謝罪の言葉を口にして、同じような所作で、同じようなスタイルでカメラの前で頭を下げることからも分かるように、日本の危機管理は基本、前例主義である。

 大企業などがやって、世間から叩かれなかった対応を成功事例として、後の企業が踏襲することが繰り返されてきた。

 こういう前例に引きずられるカルチャーがある国で、勝さんの「パンツ事件」は連日のように繰り返し報道された。これがその後にどのようなトレンドを生み出すのか想像していただきたい。

 薬で逮捕された芸能人が関わったのなら、CMだろうがドラマだろうが、なんであれ葬らなくてはいけない。そして、その金銭的な損失は、すべて逮捕されて関係各位に迷惑をかけた芸能人が負うべきである――。

 そんな考え方が前例として定着するのではないか。

 もちろん、これらはすべて筆者の想像に過ぎない。ただ、一つだけはっきりと断言できるのは、今回の瀧さんのケースのように、出演作や楽曲までが「自粛」させられるのは、この20年くらいで日本社会に定着してきた比較的新しい考え方だということである。

 だったら、今とは別の前例ができれば、思いのほかサクッと変わるかもしれないのだ。

●企業としての「信念」があれば

 瀧さんが出演している映画『麻雀放浪記2020』は、公開直前でもはや代役などが立てられないなどの理由からそのまま公開するという。また、先ほども触れたように、坂本龍一さんをはじめ著名人も作品の自粛に疑問を呈している。

 90年代に生まれた「タレント個人の罪=作品の罪」という常識が崩れつつあるのだ。

 例えば、こういうムードの中で、どこか影響力のある企業が、瀧さんが関わった作品の販売や公開の継続をして、こんなことを言ったらどうだろう。

 「薬物使用は決して許されることではありません。しかし、当社では、過ちを犯した人でも、反省と更正によって再びチャレンジができるような社会になるべきだとも思っております。また、瀧さんが薬物依存を克服して、社会にその姿を示すことこそが、同じような問題を抱える人の励みにもなると考えております。

 以上のことから、当社では瀧さんの出演作品を公開します。自粛することは、瀧さんに刑事罰以上の社会的制裁を与えることとなり結果、瀧さんの更正と社会復帰を妨げるようなことになってしまうからです。瀧さんの出演に不快になられる方もおられると思いますが、そのような方はどうかこの作品ご覧にならないようお願いいたします」

 もちろん、こういう時代なので「不謹慎だ!」「犯罪者の作品を出し続けるなんて反社会的だ!」など、クレームを入れる人は一定数いるだろう。しかし、そこに、企業としての「信念」があれば、賛同をしてくれる人は少なくないはずだ。

 むしろ、世間から叩かれるのが怖くて、右へならえで「自粛」へ走るような企業は、「薬物依存への理解がない」「不寛容」などと批判されるような風潮もできてくるだろう。

 薬物依存は「クサイものにフタ」で社会から排除するのではなく、社会に居場所をつくったままで更正させるべき、という専門家や支援団体の主張が徐々に浸透しているからだ。

●「寛容さ」という新しい危機管理対応

 「覚せい剤やめますか、それとも人間やめますか」というあまりにも有名なキャッチフレーズがあるように、日本では薬物に手を出した時点で、自動的に「人権」が剥奪される。

 人権がないので、裁判前の容疑者段階であるにもかかわらず、「人民裁判」で吊し上げられる。もはや人間ではないので、それまで仕事をしていた企業からも石を投げられる。そんな「人でなし」が、どんなに素晴らしい映画に出ていようが、どんなに素晴らしい音楽をつくっていようが、許されるわけがない。だから、本人の権利を無視して、自主回収や公開・販売停止に抵抗なく踏み切ることができるのだ。

 このような「クサイものにフタ」が、問題をさらに悪化させることは、日本社会も薄々勘付いてきている。

 「バイトテロ」で巨額賠償金を求めても、外食チェーンが低賃金の非正規雇用に依存する限り、同じような問題は繰り返される。コンビニ店長にコワモテで圧力をかけても、「24時間営業」というシステムの維持はできない。個人を必要以上に叩いて、「見せしめ」のような懲罰を与える企業危機管理は、もはや通用しなくなってきているのだ。

 この構造的な問題に気付いて、「寛容さ」を打ち出した企業は、新しい危機管理対応を世に示したモデルケースとして高い評価を受けるだろう。影響力のある大企業が動けば、社会のムードは大きく変わる。危機管理担当者は今、こんなことを問われているのではないか。

 薬物依存患者を排除し続けますか、それとも社会復帰に手をさしのべますか――。

(窪田順生)