知らぬ間にテクノロジーが飛躍的に進化していることに、ふと気が付くことがある。

 筆者の場合は、タッチスクリーンだった。反応が鈍く感度も悪いというイメージだったタッチスクリーンは、気が付けばスマートフォンで実装され、初めてiPhoneで使った際にはそれまでのタッチスクリーンのクオリティーを完全に覆すもので大変驚いた記憶がある。

 おそらく人それぞれ、そんな瞬間を経験したことがあるだろう。そして最近、また似たような感覚になっているテクノロジーがある。いつの間にかとんでもなく進化していて、欧米のニュースなどで頻繁に目にするようになっている。

 「顔認証」技術である。

 ただこの顔認証が今、国外でいろいろと物議を醸している。特に話題になっているのが、7月7日に米ワシントンポスト紙が報じたニュースだ。同記事によれば、FBI(米連邦捜査局)が捜査の顔認証に使うために、運転免許証のデータベースにある顔写真を無断で使い、スクリーングしていたことが明らかにされた。しかも犯罪を起こしたことがないような運転免許保持者の写真も、本人に何も知らせることなく、勝手に使っていたのである。このニュースでFBIは批判にさらされている。

 この例のように、これから5G(第5世代移動通信システム)などによって監視カメラなどIoTが爆発的に普及すると見られている中で、それに比例して顔認証もさらにクオリティーを高めながら、知らぬ間に広く使われることになる可能性がある。ワシントンポストの記事のようなケースを踏まえ、顔認証テクノロジーがなぜ議論になっているのか、また、私たちはこの技術の拡散をどう捉えるべきなのか探ってみたい。

●中国に隠れるひき逃げ犯を見つけた、ファーウェイの技術

 最近、こんな興味深い話が米フォーリン・ポリシー誌に掲載された。タイトルは、「ビッグ・ブラザーがベオグラードに来た」というもの。「ビッグ・ブラザー」というのは、SF小説『1984』(ジョージ・オーウェル作)に登場する支配者のことで、「強権的な監視者」という意味がある。それが、セルビア共和国の首都ベオグラードにやってきたという。どういうことなのか。

 記事は、ベオグラードで子供のひき逃げ死亡事故を起こした犯人が、そのまま中国に逃亡したという話から始まる。セルビア当局は、中国に犯人の顔写真を送った。すると3日間で、中国国内の「Sシティー」に潜伏していたひき逃げ犯を発見した。世界最大の人口を誇る中国で、3日で人を見つけ出すテクノロジーは称賛に値するだろう。ちなみにこの「Sシティー」は上海のことではないかと思われるが、中国のどこの街なのかは明らかにされていない。

 そして実は、このテクノロジーは、世界的に東西を分断する企業として注目されている中国の通信機器大手、華為技術(ファーウェイ)が提供している。

 ファーウェイは、通信機器やスマホだけでなく、顔認証の分野でも世界的に広く製品が導入されている。現在は非公開になっている同社の資料によれば、「ファーウェイは世界でも唯一、包括的な『セーフティ・シティー(安全な街)』ソリューションを提供するベンダーである」と書く。その上で、世界ですでに90の政府や地方政府のために230都市にこの「セーフティ・シティー」技術を導入していると喧伝(けんでん)している。当時の段階で、同社はロシアやマルタ、トルコ、ウクライナ、アゼルバイジャン、カザフスタンにもシステムを導入していた。

 誰よりもこのひき逃げ犯のケースを見て驚いたのは、セルビア当局だった。そこでベオグラード市は、ファーウェイのテクノロジーを導入することに決めた。というのも、セルビアでは刑事事件の49%以上が未解決になっており、警察当局の能力には限界があったからだ。20以上のギャング組織が存在し、警察を狙う犯罪も増加していた。そこでベオグラード中の800カ所に、顔認証や自動車のナンバープレートを識別する監視カメラが設置されることになった。

●高度な顔認証技術に「人権侵害」の懸念

 しかし、である。その実力ゆえに、市民からは不安や反発の声が上がったのである。人権団体は、収集されたデータが流出したり、当局などに悪用されたりする可能性があるとし、だからこそ、カメラの設置場所などの公表や、運用に関するきちんとしたアセスメントとルール作りを求めた。

 ここで明確にしておくが、ファーウェイのテクノロジーが非常に優れたものなのは間違いないのだろう。だからこそ、すぐに容疑者も見つけることができたし、当局が導入を決めた。

 ただこのファーウェイの顔認証については、同社が米国やその同盟国から最近締め出されつつあるのと同じ構図であることを簡単に記しておきたい。米政府などが排除しているファーウェイの通信機器やスマホなどのクオリティーは申し分ない。ただその技術をどう「獲得」し、なぜ他よりも「格安」で提供してシェアを広げることができたのか、ということが、米国による同社締め出しの根底にある。米中貿易交渉でも議題になっている「知的財産権の侵害」と「(政府による)産業補助金」だ。

 要は米国は、中国が知的財産を盗んで技術を「獲得」し、値段を下げてシェアを広げる競争力の背後には、中国政府の「補助金」があると糾弾しているのである。そして、こうした手段でシェアを広げると、通信機器を通じて中国政府にさまざまな情報が盗まれるという。

 ファーウェイの顔認証技術に対しても、米国の認識は同じようなものであると言っていい。ちなみに、日本企業などの知的財産も例外ではないだろう。筆者の取材では顔認証技術を含め、日本が研究開発しているテクノロジーが盗まれているケースはいくつも指摘がある。

 少し話が逸れたが、とにかく、セルビアではこの顔認証が物議を醸しているのである。そして議論はまだ続いているという。

 言うまでもないが、精度の高い顔認証技術は、スマホで使われるだけでなく、空港や警察の犯罪捜査などに適切に使えば非常に便利なものである。だが実は今、じわじわと世界に広がっている顔認証が、人権侵害ではないかという声があちこちで上がっている。

 また、“間違い”だって起きるのではないかと指摘されてもいる。顔認証に信頼しすぎることで、冤罪が起きることだってあり得る、と。例えばロンドン警視庁は、顔認証システムを導入し、ここ3年間で10件のイベントで使用したが、まだテスト段階ということを踏まえても、あまりに誤認が多いと批判を受けている。8割が間違いだったとの報告もある。

 今後、警察が体に装着したカメラに顔認証システムを導入し、目の前にいる人たちを誤って認識して緊急の対応をすれば、トラブルが起きるのは目に見えている。そうした懸念も出ているのである。

●サンフランシスコで「使用禁止」決定

 このままこの技術の拡散を放っておいたら、政府や当局の都合のいいようにどんどん監視カメラや顔認証が広がっていくことになる。確かに、人々の行動を全て把握できてしまう技術があまり議論もないままに拡散されるのは気持ちいいものではない。

 そんな背景から、米サンフランシスコ市の監督委員会は5月14日、顔認証技術が乱用される可能性が否定できないとして、警察などの顔認証技術の使用を禁止する決定を下した。このニュースは、イノベーションの中心地だったサンフランシスコが、テクノロジーの発展を阻止することになるとして話題になった。

 サンフランシスコの決定は、全米の大都市では初めてだったが、これに触発され、リベラルな街として知られる地域が次々と禁止措置を発表している。例えば、マサチューセッツ州サマービルが禁止を決め、カリフォルニア州オークランドなども後に続きそうだ。さらにサンフランシスコを抱えるカリフォルニア州は、州全体での禁止を検討している。

 ただ一方で、多くの地域で警察当局が、軽犯罪容疑者や大量殺人の犯人を探すのに顔認証が使えると考えていた。例えば、18年6月、メリーランド州アナポリスにある新聞社で銃撃事件が発生。ショットガンを持って襲撃した犯人が5人を殺害した。犯人はすぐに捕まったが、完全黙秘を貫いた。指紋もマッチしなかったが、顔認証システムによってすぐに犯人の名前や素性が判明することになった。

 顔認証は米国で事件の解決に貢献しているのだが、それでも、それ以上に個人の人権が脅かされる懸念があるとして反発が巻き起こっているのだ。

 米国では、「GAFA」の一角であるネット通販大手Amazon(アマゾン)も顔認証技術「Rekognition(レコグニション)」を開発し、すでに各地で導入されている。ただこれについても物議になっており、そこでアマゾンは投資家たちに、同社が顔認証テクノロジーの販売を政府や警察当局に対して続けるべきかについて、賛否の投票をさせた。その結果、引き続き販売することになった。

 米議会でも5月、共和党と民主党の超党派の連邦議員が、顔認証テクノロジーがきちんと規制されなければ、市民の権利を侵害する可能性がある、と懸念を明らかにしている。何ら対応をせずに、使える技術としてあちこちで導入されるのを放置しておけば、「抑圧的な監視体制」につながるという声もある。

 とにかく、顔認証技術をどう扱うかの熱い議論が、世界では行われているのである。では翻って、日本はどうだろうか。

●顔認証技術で評価される日本企業

 日本では、20年に開催される東京五輪で顔認証が使われることになる。設置場所は、40以上もの競技場や選手村、メディアセンター、宿泊施設など数百カ所だという。選手やスタッフ、ボランティアなど大会に携わる約30万人を対象にする。

 この技術を支えることになるのが、NECだ。

 NECは世界的にも顔認証の評価が高い。同社のWebサイトによれば、「NECは、世界的権威のある米国国立標準技術研究所(NIST)が実施した動画顔認証技術のベンチマークテスト(FIVE)において、照合精度99.2%と他社を大きく引き離す第1位の性能評価を獲得しました」と発表している。しかも4回連続で1位を獲得しているという。ちなみに、動画顔認証技術は、カメラを意識することなく動いている対象の顔をリアルタイムに認証するものだ。

 また東京の羽田空港には、パナソニックの顔認証システムがある。関西空港や中部空港、福岡空港などでも順次導入される。

 ただこうした使い方は、監視などとは違うために、批判は起きていない。どちらかといえば、歓迎されているようだ。

 日本には世界最高の顔認証技術力を誇る企業が存在する。そして、法的にみると、個人情報保護法があり、むやみに監視カメラで撮影した人物などのデータを他人に渡したりするのに規制がある。とはいえ、空港だけでなく、万引き対策として書店が顔認証を導入しているケースなどもある(ちなみに書店での顔認証はその人の思想・信条・趣味嗜好が分かってしまうプライバシー侵害だという議論も出ていた)。

 警察には、監視カメラの画像を拾って顔認証で分析するシステムがある。ただ、まだ市街地など広い範囲でリアルタイムの顔認証は使われていないために、日本ではほとんど議論されていない。とはいえ、これから空港や駅、道路、バス停、小売店、レストランなどに監視カメラが増えて顔認証を使う便利なサービスが広がれば、気が付けば、至る所に顔認証を導入した監視カメラなどが設置されている、ということになる可能性は高い。5Gの時代になれば、そのような社会になるだろう。そうなれば、警察の捜査や公安の監視などにも使っていこうという動きが出てくるかもしれない。

 日本は、防犯や監視などに使えるとして顔認証を導入している国々で起きている動向や議論を、じっくりと見ておいたほうがいいかもしれない。そう遠くない将来、日本もそこら中に顔認証技術があふれ返ることになるからだ。

(山田敏弘)