「デジタル通貨」分野の動向を追っていくと、いくつかの「問い」にぶつかる。例えば「なぜ、ただの紙切れや電子データに価値が付くのだろう?」といった疑問だ。今回の記事では次の問いを取り上げたい――「通貨制度は誰のものなのか?」。見方によっては、暗号通貨ビットコインはこの問いから生まれた。同じ問いから、米ニューヨーク州議会では「民主的なデジタル・ドル」が提案されている。

●通貨制度は民意とは独立に運営されている

 2019年7月、Libraに関する公聴会が米議会で開かれた。Libraは米Facebookが打ち出した構想で、民間企業の連合体Libra協会がデジタル通貨を発行する枠組みである。その事業責任者に対して、米下院の史上最年少女性議員として有名なアレクサンドリア・オカシオ=コルテス(Alexandria Ocasio-Cortez)議員はこう問いかけた。「選挙で選ばれていない人々に、通貨のコントロールを委ねるというのですか?」

 オカシオ=コルテス議員の質問は、実は深い問いだった。文脈からいって、議員は営利企業の集まりであるLibra協会がデジタル通貨を発行するアイデアの是非を問いたかったのだろう。ところが、実は現行の通貨制度も、選挙で選ばれた人々のコントロール下にないのだ――少なくとも建前上は。

 現行の通貨制度では、通貨の発行は政府から独立した中央銀行が行う。米国はFRB(連邦準備制度理事会)、欧州はECB(欧州中央銀行)、日本は日本銀行、英国はイングランド銀行――これら中央銀行の幹部は高度な専門的キャリアを持つ人々だ。しかし選挙で選ばれたわけではなく、選挙で選ばれた人々の管理下に置かれているわけでもない。

●通貨制度は誰のものなのか

 オカシオ=コルテス議員の問いかけは、図らずも現行の通貨制度への問いかけとなっていた。つまり、通貨制度はもともと民主的ではない。

 例えば日本銀行のホームページには、「金融政策の独立性」について次のような説明が載っている。

 「各国の歴史をみると、中央銀行には緩和的な金融政策運営を求める圧力がかかりやすいことが示されています。物価の安定が確保されなければ、経済全体が機能不全に陥ることにも繋がりかねません。こうした事態を避けるためには、金融政策運営を、政府から独立した中央銀行の中立的・専門的な判断に任せるのが適当であるとの考え方が、グローバルにみても支配的になっています」

※日本銀行「日本銀行の独立性とは何ですか?」

 民衆の声に左右されず、中立的・自主的に通貨制度を運用するのが中央銀行の本来の業務ということだ。

 ただし、通貨制度の実態は必ずしも建前通りではない。現在、米国や日本を含む多くの主要国が財政ファイナンスに手を出している。政府発行の国債を中央銀行が引き受ける形で、実質的に政府と中央銀行が手を組んで「お金の刷り増し」を行っているのである。財政ファイナンスが行きすぎると通貨価値が減りハイパーインフレになる――と警告する論調をよく目にする。とはいえ、財政フィナンスを積極的に行っている日本では、むしろデフレが長期化して苦しんでいるのが現状だ。

 政府の要望を受けた通貨発行を単なる「急場しのぎ」と捉えず、適度な財政ファイナンスは経済システムに必要な要素と見る考え方もある。これは最近注目されているMMT(現代貨幣理論)の基本的アイデアである。MMTに対する主流派経済学の立場からの異論は多い。中でも大きな問題はMMTは数理モデルが弱く、「適度な財政支出の度合い」を定量的に導けないことだ。

 ただし、MMTに含まれる「お金」に関する考え方は面白い。1つは「政府の債務は国民の資産である」という会計的事実の指摘。もう1つは通貨制度の運営者は「政府+中央銀行」であるとする考え方だ。

 中央銀行にせよ、「政府+中央銀行」のユニットにせよ、通貨制度は民主的手続きにより運営されているとはいえない。通貨は誰のものかといえば、実態として「政府+中央銀行」のものである。通貨制度の中で、一人一人の個人や国民の存在感は乏しい。通貨制度への異議申し立ての正規ルートは、どうやら用意されていないようだ。

●通貨制度へのアンチテーゼとしてのビットコイン

 しかし、実は通貨制度に対して異議申し立てをする動きはある。その手法は「新手法の提案と、その実現」だ。異議申し立ての正規ルートがないのなら、なんらかの方法で通貨制度の代替案を作ってしまおうという考え方だ。

 まず名前が挙がる存在はビットコインだ。ビットコインは、「政府+中央銀行」による通貨制度に対する最も有名なアンチテーゼである。

 09年に動き始めた暗号通貨ビットコインは、政府からも中央銀行からも独立した「お金」の発行を行うシステムだ。中央制御の仕組みを持たないP2P(ピア・ツー・ピア)の情報ネットワーク(これは後にブロックチェーン技術と呼ばれるようになる)によって、偽造できず、発行量が事前に定められた電子的な通貨を発行し、暗号鍵(プライベート・キー)で所有権を証明できた人以外は誰であっても――たとえ政府機関、法執行機関であっても――価値の所有および移転を止めることはできない。このようなビットコインの仕組みは、政府+中央銀行による通貨制度への批判として提案された。少なくともビットコインの支持者たちはそのように考えている。

 このビットコインのアイデアは多くの人々に刺激を与えた。ビットコイン以後、何千種類という大小さまざまな暗号通貨が登場した。また、少なくとも技術面で中央銀行デジタル通貨(CBDC)の構想に影響を与えた。ビットコインのアイデアから発展したブロックチェーン技術(分散型台帳技術と呼ぶ場合もある)や、利用者口座ではなく電子トークンに所有者の暗号鍵をひも付けることで価値の所有や移転を表現する手法は、例えば日本銀行による中央銀行デジタル通貨の技術的検討の項目に含まれている。

●民主的デジタル・ドルの挑戦

 ビットコインとは全く異なるアプローチで登場した現代の通貨制度や金融システムへのアンチテーゼが、「民主的デジタル・ドル(Democratic Digital Dollar)」だ。コーネル大学ロースクールのロバート・ホケット(Robert C. Hockett)教授が提案している構想である。

 「民主的デジタル・ドル」の基本的なアイデアは、国民全員が無料で使える決済システムを政府が提供するというものだ。これが実現すれば、新型コロナウイルス感染症対策の給付金の配布などを素早く実施できる。また金融システムから排除されて銀行口座を作れない人々も、民主的デジタル・ドルは利用できるようにする。すべての人が政府からお金を受け取り、あるいは納税できる決済システム、それが民主的デジタル・ドルの構想だ。

 ビットコインは政府に左右されない電子的な「お金」を作る技術、アルゴリズムの提案だったが、「民主的デジタル・ドル」の本質は法制度だ。単なるアイデアだけではなく、法案を作って州議会に提出しているのである。

 「民主的デジタル・ドル」の1つの具体的な実現形態が、19年10月に米国ニューヨーク州の議会に法案として提出されている。正式名称を「ニューヨーク包摂的価値台帳(Inclusive Value Ledger, IVL)」と呼ぶ。推進している人々は、ニューヨーク州下院議員のロン・キム(Ron Kim)氏、ニューヨーク州上院議員のジュリア・サラザール(Julia Salazar)氏、それに前述のホケット教授だ。ホケット教授は、このニューヨーク包摂的価値台帳(IVL)に関する学術論文を発表している。

 「包摂的価値台帳」は公共アクセス可能な無料の決済ネットワークだ。根底にある主張は「米国ニューヨーク州の住民は、公共アクセス可能な無料の決済ネットワークを必要としている」というものである。さらに、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の大流行に伴い、迅速に給付金を配布するための手段としても、このような公共決済ネットワークが必要であると提案者らは主張している。

 米国では3月下旬に成立した緊急景気刺激法(CARES法)で2兆2000億ドルを計上し、各世帯への現金給付や失業保険の拡充、民間企業支援を行うことになっている。この中で、人々への現金給付の方法は大きな議論となっており、効率的に現金を配れる「デジタル・ドル」の議論も出たという。実際には銀行口座への振り込みか小切手の郵送という手段を取る形となった。

 「包摂的価値台帳」は通貨やマネー(お金)という言い方こそしていないが、目指すところは「ニューヨーク州政府版のデジタル通貨」だ。州の全住民が無料で使える決済ネットワークを提供し、給付金の支給に活用する。米国で広く使われている決済サービスVenmoの公共バージョンという意味合いで「パブリックVenmo」とも呼んでいる。日本で言えば「公共版◯◯Pay」といったところだ。「デジタル通貨」と呼ばない理由は、既存の通貨制度との摩擦を避けるためだろう。とはいえ、民主化デジタル・ドルや包摂的価値台帳は「デジタル通貨」とほぼ同じものだ。

 包摂的価値台帳の名前に入っている包摂的(インクルーシブ)という概念は、人権概念の原則の一つだ。「すべての人」をターゲットとし、どのような人々も排除せず、支援する枠組みを考える。キム議員らは、民間の決済サービスは手数料が必要で、しかも銀行口座を持たない人々を排除しており「包摂的ではない」と主張する。米国の商業銀行は、すべての人々に口座を提供する義務があるわけではない。そして金融システムからいったん排除された人々は、同じ理由で排除され続ける可能性が高い。このような人々も給付の対象とするために、民主化デジタル・ドルあるいは包摂的価値台帳を提供しようというのである。

●公共のデジタル通貨を求める人々

 今まで紹介してきた「民主的デジタル・ドル」や「ニューヨーク包摂的価値台帳」は、FRBがいずれ提供するだろう中央銀行デジタル通貨、つまり本家「デジタル・ドル」の代替案にあたる。「米国の中央銀行にあたるFRBが、全国民が使える中央銀行デジタル通貨を出さないなら、州政府が独自にデジタル通貨を世の中に出す」と言っているわけである。

 米国のスティーブン・ムニューシン財務長官は、米国が中央銀行デジタル通貨を発行するというアイデアに対して消極的な発言を繰り返している。米国の通貨当局は、現時点で「デジタル・ドル」を急ぐ理由がない。そこに揺さぶりをかける取り組みの一つが、今までに紹介してきた「民主的デジタル・ドル」や「ニューヨーク包摂的価値台帳(IVL)」ということになる。

 別系統の動きもある。名前が似ていてややこしいのだが、「デジタル・ドル・プロジェクト」という民間イニシアチブが立ち上がり、FRBが発行する中央銀行デジタル通貨──いわば本家「デジタル・ドル」──の推進を提案するホワイトペーパーを20年5月に公表した。

 プロジェクトメンバーには、先代のCFTC(米国商品先物取引委員会)委員長を務めたクリストファー・ジャンカルロ(J. Christopher Giancarlo)氏の名前が入っている。そしてホワイトペーパーには大手ITベンダーのアクセンチュアが名を連ねている。

 アクセンチュアがデジタル通貨に関して手を組んだ中央銀行は数多い。カナダ銀行、シンガポール通貨監督庁、欧州中央銀行、そしてスウェーデンの中央銀行であるリクスバンクである。スウェーデンはここ1〜2年の間にも中央銀行デジタル通貨のサービスを開始すると伝えられている。中央銀行デジタル通貨に関する技術的検討やトライアルの知識は同社内に蓄積されているわけだ。

 「デジタル・ドル・プロジェクト」の主張は、中国でデジタル人民元の登場が近いと伝えられている中で、ドルのデジタル化・トークン化を実現することでドルの競争力を高め、米国の経済成長に寄与することを狙うというものだ。「米国の経済競争力を高めるためにデジタル通貨を発行せよ」と主張する。

 一方で、前述した「民主的デジタル・ドル」や「ニューヨーク包摂的価値台帳(IVL)」の主張は経済的競争力ではなく、すべての人が公共サービスとして提供される決済口座を持ち給付金や年金を受け取れるようにするというものだ。

 経済的な競争力を高める観点からも、すべての人に包摂的な金融サービスを提供する視点からも、そして社会全体での不要な事務処理を減らして最適化するという観点からも、公共性を備えたデジタル通貨は魅力的なアイデアだ。そして新型コロナウイルス感染症の流行という災厄が、新たなデジタル通貨制度を推進する材料になる可能性もある。ビットコインのアイデアから派生して多くのものが生まれたように、公共のデジタル通貨、あるいは公共の決済サービスというアイデアは、次の世代に必要な何かを生み出すのではないだろうか。

(星暁雄)