「そんな弱い者イジメのような政策より、手をつけなくちゃいけないことが山ほどあるだろ!」と怒りのあまり、気がヘンになってしまう方も多いのではないか。

 「秋田初の総理大臣」「農家出身の苦労人」「実はシャイでパンケーキ好き」など好感度の高いキャラから、60〜70%という高い支持率を得た菅総理が、中小企業の再編圧力を強めていくらしいと報道されたところ、早くも一部からブーイングが出ているのだ。

 ご存じのように、日本は他の先進国と比べて際立って生産性や賃金が低い。これは日本企業の99.7%を占め、全労働者の7割が働く中小企業の生産性が低く、低賃金が常態化しているからだという指摘がある。生産性と賃金を上げるには、再編や統合で企業規模を大きくすることが最も効果的であることが各国のデータでも明らかになっている。

 そこで菅総理としては、補助金と優遇策で「保護」に重きを置いてきた中小企業政策を、「成長促進」へと大転換させていくという。これに中小企業経営者、また彼らからよく相談に乗るコンサルタントの皆さんが猛反発。ネットやSNSに寄せられる怒りのコメントを要約すると、ざっとこんな感じだ。

「企業規模が大きくなると生産性や賃金が上がるなんて話はデマだ! 小さい会社には世界に誇る高い技術力や人材の強みがあるのだ!」

「現実を分かっていない弱者イジメだ! 小さくても技術力の高い町工場などが大企業に吸収されろというのか!」

「中小企業を目の敵にするのではなく、すべての会社が生産性を上げられるようにすべきだ!」

 彼らの怒りの根底にあるのは、「すべての中小企業は日本の宝なんだから、潰れないように国が応援しなくてはいけない」という考え方だ。生産性が低いのも、賃金が低いのも、中小企業に厳しい世の中が悪い。中小企業は「弱者」であり、税金でもなんでも使って手厚く守ることが「正義」なのだから、「もっと会社を大きくして生産性を高めなさい」などと冷たく言い放つ菅総理は「悪」である、というロジックなのだ。

●中小企業経営者という”おいしい立場”

 こういう考え方になるのは、個人的には分からんでもない。仕事柄、かなりの数の中小企業経営者と会ってきた。社員の雇用を守るため、独自の技術やサービスを守るため、自分の給料ゼロで頑張るような方もたくさんいらっしゃった。そういう中小企業経営者の立場に立てば、「ケッ、何が生産性だよ、中小企業の厳しい現実を知らねえのか」とツバを吐きたくなる気持ちは痛いほど分かるのだ。

 が、当たり前だが世の中は、そんな「下町ロケット」に登場するような「清貧」の中小企業経営者ばかりではない。「弱者保護」という制度をフル活用して、中小企業経営者という”おいしい立場”にあぐらをかいている方も存在するのもまた事実だ。

 実際、中小企業経営者が、株主や外部監査から厳しい目にさらされる大企業経営者と比べ物にならないほど、会社を私物化しやすいことに異論を挟む者はいないだろう。全国に、自分の財布と会社の財布をごちゃ混ぜにして、夜の交際費や高級外車を経費として計上する中小企業経営者が山ほどいる。愛人を秘書や経理担当者として働かせていたなんて話もドラマの中だけではなく、そのへんで普通によく聞かれる。

 また、製造業は従業員300人以下、サービス業は50人以下という中小企業の条件を満たせば、税制面などで優遇が受けられる。そこに加えて、妻や親戚を役員にして報酬を支払うなど、大企業ではあり得ないほどダイナミックな節税や蓄財が可能なのだ。

 ただ、そんな中でも実はあまり知られていない「おいしさ」が、経営者が労務問題に真摯(しんし)に向き合わなくていいということである。

●社長は「雇用主」&「恩人」

 一般的に、社長と社員数名という家族的な雰囲気な会社では、賃上げだ、労働条件の改善だなどというシビア話し合いは行われることが少ない。「信頼関係で成り立っている」と言うと聞こえはいいが、悪く言えば、労働基準法や最低賃金法を度外視したブラック経営を、人間関係でうやむやに押し通せる側面があるのだ。

 例えば、そのような小さな会社で、残業代未払いや最低賃金ギリギリで働かされる従業員が、「社長、これじゃ生活できないので少し給料を上げてもらえませんか?」と頼んだとしよう。しかし、社長から「すまん、今は厳しいからもうちょっと我慢をしてくれ」と言われたら従業員は労基に駆け込むだろうか。不満をグッと抑えて受け入れるのではないか。社長は「雇用主」である一方、自分を拾ってここまで育ててくれた「恩人」でもある。そんな父や兄のような存在が困っているのなら、少しでも役に立つのが人の道だということで強硬な姿勢に出られないのだ。

 人件費に頭を悩ます経営者側からすれば、これほどありがたい話はない。また、性悪説に立てば、この関係性を悪用する恐れもある。つまり、実際は経営的に余力があっても、「ウチは厳しい」「大きな仕事が入ったら還元する」と情に訴えて従業員の人件費を圧縮することもできてしまうのだ。

 先ほども申し上げたように、苦しい状況の中で必死に頑張る中小経営者の方もたくさんいらっしゃる。しかしその一方で、従業員に低賃金重労働を強いながら、おいしい思いができるということで、あえて会社を大きくせず、中小企業にとどまっている経営者も実はかなり存在しているのだ。

 それがうかがえるのが、昨年の消費増税時に起きたこの現象である。『消費増税のポイント還元対象狙い? 小売業「中小企業化」相次ぐ』(SankeiBiz 2019年8月21日)

 ご存じのように、昨年10月の消費増税に伴って、国が税金を使ってポイント還元事業を行ったが、あれは大企業は関係なく、中小企業が対象だった。そこで、どうにかこの制度の恩恵を得ようと、スーパーなどの小売業で資本金を5000万円以下に減らして法律上、中小企業になる動きが広がった。実際、帝国データバンクによれば、今年1〜7月に減資したのは412社に達し、前年同期の252社から6割以上増えたという。

●成長せずに「現状維持」

 たかだか数カ月の優遇策を受けるため、これだけの数の事業者が「小さい企業」になることを選択した。ということは、1964年に中小企業基本法が制定され、中小企業保護政策が続いたこの56年間で、あえて会社を大きくせず、小さい企業にとどまった事業者の数もすさまじいことになっているはずだ。

 そのあたりを分析しているのが菅総理の経済政策に大きな影響を与えていると指摘されるデービッド・アトキンソン氏だ。著者『国運の分岐点 中小企業改革で再び輝くか、中国の属国になるか』(講談社α新書)の中から引用しよう。

 『もっとも注目したいデータは1975年以降1995年までの企業の増減の中身です。この間、日本企業は約170万社増えますが、そのうち、約150万社が従業員数10人未満の企業です。もっとも生産性の低い、給料が少ない企業です。この増え方は異常ですし、それ以上に重視したいことは、それらの企業の多くが20年経っても従業員数10人未満のままで、伸びていないことです』(P.106)

 64年を境に日本では中小企業保護政策の追い風を受けて、小さな会社がドカンと増えた。優遇されるところに新規参入や起業が活発になるのは当然だし、それ自体は悪いことではない。問題はこの大量にあふれた小さな会社が10年、20年経ってもまったく成長せず、「現状維持」を続けていることだ、とアトキンソン氏は指摘している。

 つまり、この30年間、日本だけが先進国の中で唯一経済成長できていないのは、「成長しない小さな会社」が社会にあふれかえっている側面があるからだ。というと必ず「なぜ成長しなくちゃいけないんですか、現状維持じゃダメなんですか!」と蓮舫さんみたいなことを言い出す人がいるが、中小企業経営者の場合それは「オレはブラック経営者だ」と白状しているに等しい。人口減少や原料高騰など外部環境が目まぐるしく変わっていくなかで、成長しない企業が生き残るには固定費を切りつめるしかない。その中で最も手をつけやすいのは人件費である。つまり、会社を守るための低賃金重労働が常態化するのだ。

●志半ばで頓挫するシナリオも

 世の中に小さな企業がたくさん生まれたら通常、歩む道は「成長」か「廃業」だ。つまり、アップルやアマゾンのような世界的企業とまではいかなくとも、社員3人で始めたベンチャーも10人、20人と増えていくものである。それができないということは、事業モデルに致命的な欠陥があるか、社長が会社経営に向いてない。こういう事業者が廃業や倒産に追い込まれることで「新陳代謝」と「競争」が促されて、市場が健全化していく。

 しかし、日本では64年以降、小さな会社を手厚く保護しているので、事業モデルが破たんした会社でも潰れることなくギリギリのところで持ちこたえている。そのおかげで、零細企業経営者は社長でいられ続けているわけだか、その立場を守っているのが低賃金を強いられている従業員であることを忘れてはいけない。

 この複雑な構造が、日本で「中小企業改革」が進まない最大の理由だ。中小企業の規模が大きくなって賃金も上がっていけば、そこで働く労働者からすればありがたいし、社会的にもメリットがある。が、それは必ずしも中小企業経営者の「幸せ」には直結しない。

 これまで述べてきたように、小さな会社が大きくなると、これまでのような私物化はできない。また、真面目に働く低賃金労働者を「情」でコントロールすることも難しくなる。日本社会や労働者のメリットと、中小企業経営者のメリットが一致しないのだ。

 この利益の衝突はそのまま、「日本の低い生産性と賃金を変えるには、中小企業の再編・成長を促すしかない」という人と、「中小企業をイジメたら、失業者が街にあふれかえってこの国はおしまいだ!」という人たちとの間の「終わりのない激論」になっている。

 そう考えていくと、菅総理が目玉政策と掲げる「中小企業基本法の見直し」も先行きはかなり不透明だ。場合によっては、志半ばで頓挫するシナリオもある。

●「菅おろし」が進む

 霞ヶ関官僚が安倍さんのモリカケのような「菅のアキレス腱」を、シンパの記者と必死に探し回っていることからも分かるように、「時代が変わったんだからいい加減そろそろあんたたちも変わりなよ」と迫られた既得権益側というのは、どんな手を使っても相手を潰しにかかる。まさしく「やられたら、やり返す、倍返しだ」の世界なのだ。

 実際、「中小企業保護こそ正義」という人々による「菅おろし」の動きが着々と進んでいる。

 例えば、日刊工業新聞は9月20日に、経産相幹部の「菅総理はアトキンソン信者」というコメントを紹介して、おかしな占い師にハマった芸能人のような感じで揶揄(やゆ)している。ご存じのように同紙は会社案内で、「中小企業振興に努めてまいりました」と胸を張るほど、中小企業経営者に優しい媒体として知られている。中小企業政策を担ってきた経産省のエリートにとって、これまでの方針にダメ出しをするアトキンソン氏の存在が疎(うと)ましいのは言うまでもない。

 こういう反発をものともせず、菅総理は「成長しない中小企業」の既得権益にバッサリ切り込めるのか。それとも、「造反官僚」たちの内部告発によって「倍返し」されてしまうのか。

 中小企業をめぐる「正義」と「悪」の戦いは、ある意味でドラマ「半沢直樹」よりも面白いかもしれない。

(窪田順生)