中国の中央銀行・中国人民銀行による法定デジタル通貨(CBDC、通称:デジタル人民元)の市中での利用実験が深セン市で行われた。日本やEUの中銀も2021年中の実証実験を目指しているが、中国の動きは1年以上早く、各国の警戒を呼んでいる。

 一方、中国では既に2社のQRコード決済が浸透し尽くしており、消費者にデジタル人民元の利用をどう動機付けるかも課題となっている。

●191万人応募し、5万人が「200元」当選

 10月11日、深セン市政府はデジタル人民元の市中利用実証実験に約191万人が応募し、5万人が当選したと発表した。携帯電話のSMSで当選通知を受けた市民は、専用のウォレットをダウンロードし、200元分(約3200円)のデジタル人民元を受け取った。

 ユーザーはウォレットと銀行口座を紐づける必要はないが、デジタル人民元を受け取る銀行を選ぶ必要があり、選択後に銀行のロゴと同じ色の人民元画像が表示される。中国銀行と中国工商銀行は赤、中国建設銀行は青、中国農業銀行は緑だ。

 利用法はQRコード決済とほぼ変わらず、利用できるのは10月12から18日。ウォルマートなど3389店舗が決済を受け付けた。

 深セン市によると利用期限の18日までに4万7573人が受け取り、取引回数は6万2788件、取引額は876万4000元(約1億4000万円)だった。ウォレットはチャージ可能で、90万1000元(約1400億円)が追加チャージされたという。

 今回の実証実験はデジタル人民元を無料でもらえるとあって応募が殺到したが、中国はQRコード決済が露店レベルまで行きわたっており、国民にとって新たな決済ツールのニーズは低い。それでも人民銀は発行を急ぎ、「法定通貨としての安全性」や、「現金同等なので店舗から手数料を徴収しない」ことをアピールしている。

●日本、EUも21年度に実証実験の方針

 世界の中央銀行は19年から20年にかけて、CBDCの研究を加速させている。欧州中央銀行(ECB)は10月、「デジタル・ユーロ」を商標登録申請するとともに、パブリックコメントの募集を始めた。21年にも実証実験を始める予定だという。

 さらに日本銀行も今月9日、デジタル通貨の実証実験を21年度に実施すると発表した。米国は20年半ばまで、政権・中銀関係者ともにCBDCに否定的だったが、先進国で開発の検討が進むにつれて、徐々に姿勢を改めている。

 国際決済銀行(BIS)が今年1月に発表した年次調査報告によると、調査に回答した66の中央銀行のうち80%がCBDCの研究に取り組んでいた。報告書は中央銀行の10%がデジタル通貨の発行にかなり近づいており、23年までに最初のCBDCが発行される可能性が高いとまとめた。

 各国が一斉にCBDC発行の検討を進めたのは、フェイスブックが19年6月にグローバルなデジタル通貨構想「リブラ(Libra)」を発表したことがきっかけだ。リブラは国際送金のコスト低減や、既存の金融機関にアクセスできない人に金融サービスを提供するファイナンシャル・インクルージョン(金融包摂)を解決することを掲げていたが、各国政府は個人情報の安全性や、国家の通貨主権や金融政策を脅かし、マネーロンダリングやテロ資金に使われると総じてリブラ構想に反対した。

 同時に、中央銀行側はリブラという黒船を前に、自らがCBDC開発に取り組むことを迫られた。新型コロナウイルスが拡大し、デジタル決済が急増したことも中銀の背中を押した。ECBのクリスティーヌ・ラガルド総裁は10月12日、国際通貨基金(IMF)が主催する会議で、「デジタル決済への信頼感が高まり、大きな変化が起きている」「ECBはデジタルユーロを真剣に検討している」と述べた。

●リブラ以前からデジタル通貨を検討

 日米欧がCBDCの研究に舵を切ったのは、「中国に対する危機感」もある。最初にデジタル通貨市中実験を終えた中国は、日本やEUより1年以上先行している。今年夏には深センのほか河北省の経済特区「雄安新区」、四川省成都市、江蘇省蘇州市が実証実験都市に選定され、一部の事業所で給料や手当がデジタル人民元で支給されるようになった。今後、納税や給与支払いなど段階的に流通範囲を増やし、北京で冬季オリンピックが開かれる22年までに正式導入する方針だ。

 ではなぜ、中国の動きが他の先進国より早いのか。それはCBDC発行の動機付けが、リブラではなく、自国のQRコード決済アプリ、アリババの「アリペイ(支付宝)」とテンセントの「WeChat Pay(微信支付)」だったからだ。

 中国は、国際クレジットカードや電子マネーが普及しておらず、日本以上に現金社会だったことから、14年から15年にかけて両社のQRコード決済が急速に浸透。今や現金お断りの店も珍しくなくなった。

 QRコード決済は2つのメガIT企業が消費データを吸い取り、政府が金の流れを把握しにくいため、人民銀にとって好ましい存在ではない。人民銀は14年にCBDCの研究に着手し、17年1月には、テンセントやファーウェイが本社を置き、イノベーション先進都市として知られる深セン市にデジタル通貨研究所を設立した。

 フェイスブックが19年6月にリブラ構想を発表すると、人民銀幹部は積極的にリブラへのコメントを発し、中国がリブラ以前からCBDCの研究を進めてきたことを明かした。各国の政治家や金融当局の反発を受けてリブラ構想がしぼむのとは対照的に、人民銀はCBDCの早期発行をアピールし、同年8月には人民銀の穆長春決済司副司長が「いつでも出せる状態」と発言。中央銀行が銀行などの金融機関にデジタル通貨を発行し、金融機関が一般消費者に対し、法定通貨と交換する形でデジタル通貨を提供する「二層運営システム」を採用するスキームも説明した。

●新興国に経済圏拡大狙いも

 中国は人民元の国際化を目指しており、デジタル人民元の発行もその一環と受け止められている。この点については、人民銀関係者の中でもコメントが割れているが、当面の目的は国内での金の流れを当局が把握し、脱税など不正行為に網をかけることにある。前述したように、既に中国人消費者はアリペイとWeChat Payで事足りており、国内での普及が最初の課題だろう。

 一方、20年1月のBISの報告書は、CBDCのパイロットプロジェクトを行っているのは全て新興国の中央銀行で、金融や決済のシステムが不安定な新興国の方が、CBDCの発行に対してより強いインセンティブを持っていると結論づけた。

 中国の製造業は新興国でシェアを拡大し、規模を拡大することが多い。他国に先行してCBDCのノウハウを蓄積することで、新興国にデジタル人民元の経済圏を広げる構想も、当然中国の中長期プランには含まれているだろう。

(浦上早苗)