「これからの時代は女性活用だ!」

 「それだけじゃまだ足りないから、入管法を改正して安い賃金でコキ使える外国人労働者をジャンジャン呼べ!」

 「思っていたほど外国人が来てくれないから、元気な高齢者を働かせろ! 定年を80歳まで延長だ!」

 というような流れで近年、日本では「人材」を広げることで、労働人口の減少という問題を乗り切ろうとしてきたわけだが、ここにきていよいよ奥の手というか、「そこまできたか」と驚くようなダイナミックな意見が出ている。

 それは、「引きこもり人材」の活用だ。

 例えば、城西国際大学院准教授、不登校訪問専門員の柏木理佳氏は、10月7日に発売された『ひきこもりは“金の卵”』(日経プレミアムシリーズ)の中で、さまざまな分野で活躍する元ひきこもりの方たちを紹介し、ひきこもりという現象をそれほどネガティブに捉える必要はなく、在宅ワークが当たり前となったこれからの時代はむしろ「貴重な人財」だと説いている。

 実際、最近では「引きこもりの方におすすめの在宅ワーク」なんて求人情報もネットで見つけられるのだ。また、無理に働かなくても、引きこもっている人でも「活用」できると主張する人もいる。思想家の内田樹氏だ。

 内田氏は、新著『コモンの再生』(文藝春秋)を紹介するインタビュー記事「日本列島をどう守るか 過疎化に”100万人の引きこもり”が役立つワケ」(文春オンライン11月14日)の中で、自然の侵食を食い止める「里山」を整備するために、人がちゃんと住む必要性を説き、こんな斬新なアイデアを披露している。

 『一説によると、日本にはいま100万人の「引きこもり」がいるそうです。その人たちに過疎の里山に来てもらって、そこの無住の家に「引きこもって」もらう。(中略)それほどの給料は払えないでしょうけれども、人がいなくなった集落でも、お盆のときは戻ってくるから、家は廃屋にしたくないという人はたくさんいます。そういうミクロな求人とミクロな求職をマッチングする仕組みができれば、かなりの数の「引きこもり」が里山の「歩哨」として暮らして、かつて西武開拓者が経験したような達成感や全能感を経験して、メンタル的に回復するというようなことが起きるんじゃないか』(同上)

●都会でやっていたことを山奥で

 なんてことを聞くと、「引きこもりには人権がないのか!」と怒りで気がヘンになってしまう引きこもりの方も多いかもしれない。実際、SNSでは、内田氏のこの提案をボロカスに叩く人も少なくない。

 ただ、個人的にこのようなアイデアが出てくるのは理解できる。過疎地へ移住してのびのびと生きることを既に実践している方がいらっしゃるからだ。和歌山県田辺市の最寄り駅までクルマで約2時間の限界集落で、廃校を改装した「共生舎」というところで、20〜40代のニート十数人と共同生活を送っている石井あらた氏だ。

 ブログや『「山奥ニート」やってます。』(光文社)という著書も出して、テレビなどでも取り上げられている方なのでご存じの方も多いかもしれない。石井氏は大学在学中に引きこもりになって中退。その後、同じく引きこもりだった友人に誘われて、この山奥に移住してきた。

 では、そこでいきなりTOKIOのDASH村のような自給自足生活を送るようになったのかというと、そんなことはない。インタビューでもサクっとこんな風に答えている。

 「僕はこっちにきて暮らしが劇的に変わったかというと、そうでもなくて。ずっとひきこもりなんですよ。一貫して。基本的には、実家で暮らしたときのままですね。ずっとゲームをすることもありますし」(好書好日 6月6日)

 他の方も同じで、朝早起きして畑仕事をするとかではなく、深夜までアニメやゲームを楽しみ昼まで寝ていて時々、集落のお年寄りの手伝いをすることで収入を得ているくらいだという。基本的には都会でやっていたことを山奥でやっているだけなのだ。

 このような「山奥ニート」のみなさんが、日本全国の過疎地へ進出すれば、確かに限界集落はよみがえるかもしれない。そうなれば、「里山」の境界線が守られることになるので、日本中で多発している熊が住宅街にひょっこりと現れるなんてこともだいぶ改善されていくはずだ。

●普通の人と変わらない生活を送る

 が、残念ながらこのシナリオが実現する可能性は低い。石井氏や共同生活を送っている方たちはこの地域でピタッとフィットしたが、みんながそこでハッピーに定住できるわけではない。

 実際、都会で暮らしている人の中に、「田舎暮らし」に憧れて農村や過疎地などに移住するケースが増えているが、そこでみんながみんなそこでハッピーに定住できるわけではない。人間関係のトラブルや、寂しさ、生活の不便さ、そして体力の衰えなどを理由に都会へと戻っていく人たちが必ず出てくる。縁もゆかりもない過疎地で「定住」するのは、たやすくできてしまう人もいるが、ハードルが高い人も世の中にはかなり存在しているのだ。

 特に田舎で暮らした方はご存じだろうが、田舎というのは都会よりも遥かに人間関係が濃密だ。人の庭先でもズカズカと入ってくるし、共同体の中での話はあっという間に広まるので、都会で暮らすよりも遥かに人間関係に注意を払わなくてはいけないのだ。

 というと、「いや、それはあくまで普通の人の話でしょ? 引きこもりは1人で家に引きこもっているんだからそもそも人間関係ないでしょ」と感じる人も多いかもしれないが、実はそのような誤った認識こそが、筆者が「引きこもり100万人を過疎地へ」というアイデアが難しいと考える最大の理由である。

 先ほどの内田氏の言葉にあったが、多くの人は、引きこもりは家でじっとしている人だと考えている。だから、引きこもるのならどこだっていいでしょ、ということで「じゃあ過疎地に行ったら?」という話になっているワケだが、これは事実ではない。

 実は「引きこもり」と呼ばれる人の多くは、世の中の大多数の人と同じく普通に出歩いている。実態としては、「出歩いたり引きこもったり」と呼んだほうが正確なのだ。

●地方に移住したらどうなるか

 内閣府が2016年に発表した15〜39歳を対象とした引きこもりの調査では、「趣味の用事のときだけ外出する」が67.3%、「近所のコンビニなどには出かける」が22.4%となっていて、「自室から出るが、家から出ない」は10.2%しかない。

 40〜64歳という「高齢引きこもり」も同様だ。19年に発表された調査によれば、「趣味の用事のときだけ外出する」が40.4%、「近所のコンビニなどには出かける」が44.7%となっていて、「自室から出るが、家から出ない」は10.6%しかいない。

 つまり、「引きこもり」という悪意のある呼び方が定着してしまったせいで、何やらずっと家や自室から出てこない人のような印象を世間は植え付けられてしまっているが、実はそう呼ばれる人のほとんどは、対人関係が苦手だとか、定職に就いていないだけで、普通の生活を送っている人となんら変わらない日常を送っているのだ。

 では、このような「普通の人たち」100万人を、どうせ引きこもっているんだから過疎地の「歩哨(ほしょう)」にでもなったらいかがでしょうか、なんて地方移住を勧めたらどういうことが起きるだろうか。

 先ほどの石井氏のように充実した日々を送れる人もいるだろう。が、「田舎暮らし」に挫折する人が後を絶たないのと同じで、過疎地から逃げ出す人もかなりいるはずだ。そもそも、「なんで俺がこんな不便な場所に住まなきゃいけないんだ!」というすさまじい反発が起こるはずだ。

 当然だ。彼らのほとんどは「引きこもり」というレッテルを勝手に貼られているが、腹が減ればコンビニに出歩くし、好きなアイドルのコンサートに出かけるときもある。ときには気の合う友人と会ったりもする。働いていなかったり、経済的に自立をしていなかったりするだけで、どこにでもいる「普通の人々」であり、「世捨て人」ではないからだ。

 このように既にそれぞれのライフスタイルで生きている100万人を、「土地がもらえるぞ」「田舎暮らしはいいぞ」と移住させたとしても、あまりいい結果は生まないだろう。むしろ、社会への憎悪や反発が増す可能性のほうが高い。

●大人側が決めた意味のないルール

 分かりやすいのが、中国の上山下郷運動だ。文化大革命時代、毛沢東の指導によって都市部の若者が農村へ送り込まれた。農村で肉体労働をすることで、社会主義思想を育み、都市と農村の格差を是正できるという触れ込みで、一粒で二度おいしい社会実験だった。

 が、結果は散々で、これによって中国の教育レベルは低下し、経済も打撃を受けた。若者たちの中には都会に戻せと抗議運動をする者たちも出た。自由意志をもった人間を「将棋の駒」のように国家の都合で動かすと、社会の分断が増すという非常に分かりやすい事例である。

 では、100万人近い「引きこもり」と呼ばれる人材をどうすれば活用できるのか。筆者は「引きこもり」だからこんな仕事をするべきとか、「引きこもり」という状態を生かしてこんな役割を果たせばいいのでは、というような考え方をまず止めるべきではないかと考えている。

 先ほどから言っているように彼らは「引きこもり」などではなく、さまざまな理由で社会に参加することに嫌気がさしているだけの「普通の人」である。ということは、彼らが嫌がっているような社会の問題を改善するだけで、「普通の人」として社会に参加してくれるはずなのだ。

 その問題とは何か。筆者はまず「教育」だと思っている。18年のOECD学習到達度調査(PISA)では、日本の15歳は「生きる意味を感じる」という指標がOECDの中で最低。生活満足度も4番目に低い。

 なぜこんなことになるのかというと、大人側が決めた意味のないルールでがんじがらめに縛られ、そこから外れると袋叩きにされることを、子どものときから幾度となく繰り返されているからだ。

 例えば、11月13日、佐賀県弁護士会はブラック校則について独自に調べた結果を公表した。「左右非対称の髪型やツーブロックは禁止」「靴は白、中敷は白」というおなじみの謎ルールはもちろん、耳を疑うのは「下着は白」というルールだ。しかも、女子生徒の肩紐を出させてチェックする実態も浮かび上がったという。

 日本の教育現場ではルールに外れると、「問題児」扱いになる。こんな刑務所やナチスの収容所と変わらない仕打ちを受ければ、生きる意味を見失う子どもが増えてもおかしくない。幼いころから自分の頭で「このルールってヘンじゃない?」と考えることを禁じられているせいで、自分の頭で「生きる意味」も考えられなくなってしまうのだ。

 こういう多様性を認めない教育を受けた子どもが社会人になって、多様性を認めない社会をつくり出している。そこに対して強烈な嫌悪感を抱くのは、人として極めてノーマルな反応だが、多様性を認めない方がマジョリティなので、気が付けば「引きこもり」などと狂人扱いされてしまっているのだ。

●彼らも「人間」

 「引きこもり」と呼ばれる人たちの社会参加を促すのなら、まずは世界的に見ても異常なほど多様性がかけた教育から変えて、世の中を少しずつ変えていくしかないのである。

 「引きこもり100万人を過疎地へ」という考え方にもやや当てはまるが、急速な人口減少で尻に火がついている日本の労働市場では、人が足りなくなったところに、別のところから誰かをもって来てとにかく頭数を合わせよう、というような「帳尻合わせ」の考え方が目立つようになってきた。

 「これまでのような無茶な長時間労働ができなくなってきたから、結婚して子育てしている女性にも会社に残って働いてもらえばいいか」

 「低賃金で辛い労働が若者に敬遠されて人手不足になっているので、日本で働きたがっているベトナムや中国の労働者に働かせりゃいいだろ」

 「新卒の若者が減ってきたし、すぐに辞めちゃうから、定年を延長して、これまで管理職でふんぞり返っていたシニアも一兵卒に戻って足腰立たなくなるまで働いてもらうか」

 こんな感じで減ったぶんの補充に頭がいっぱいだ。しかし、ひとつ見落としているのが、彼らはみな「労働力」ではなく、「人間」だということだ。

 人間なので待遇に不満があれば、モチベーションは落ちる。そこまでいろいろなものを犠牲にしてまで働いて、その見返りがなければ投げ出してしまう。それが人間だ。外国人の技能実習生が「こんな低賃金で働けるか」と続々と職場から逃げ出しているのが、その証左である。

 本当に人材を活用したいのなら、その人たちが何に悩み、何が足かせになって活躍できていないのかを考えるべきだ。つまり、「心」を理解しなくてはいけないのである。

 これまで人口が右肩あがりで増えていた日本は、とにかく「頭数」をそろえることが最優先で、「人権」は後回しにされてきた。しかし、人口減少に転じてた今、「頭数」をそろえる考えをあらためない限り、一億総ブラック社会へまっしぐらだ。

 急激に人口減少していくこれからの日本の政府や企業のリーダーたちに最も求められるのは、人材の「心」を理解する感性なのではないのか。

(窪田順生)