最近、注目を集めている“バーティカルSaaS"という言葉を聞いたことがあるだろうか。

 セールスフォースやfreee、Sansanといった業界を問わず利用されるクラウド型のシステムは、部署や部門の課題を水平的にカバーすることから“ホリゾンタルSaaS"と呼ばれている。一方「建設」や「不動産」など、特定の業界に根付いた課題を解決するシステムは、垂直を意味する“バーティカルSaaS"と呼ばれ、徐々に認知が広まってきている。

 今年3月、マザースに上場した建設業向けの業務効率化システム「SPIDERPLUS」を提供するスパイダープラスも、バーティカルSaaS企業の1社だ。

 同社は直近年度の売上高は20億円弱ながらも、現時点の時価総額は700億円となるなどトップSaaS企業と肩を並べるバリュエーション(評価額)が形成されており、バーティカルSaaSに対する期待が表れている。

 なぜ今、バーティカルSaaSが盛り上がりを見せ始めているのだろうか。

 この記事ではSaaS企業の分析・データ提供を行う「企業データが使えるノート」のデータを基にバーティカルSaaSを解説していく。

* 業界課題に特化したクラウドシステムは、米国などでは「Industry Cloud」といった呼称が一般的ですが、日本での一般的な認知度からバーティカルSaaSと表現しています。

●国内バーティカルSaaS企業の規模感は

 バーティカルSaaSは特定の業界に向けたBtoB向けのクラウドシステムである。一般のビジネスパーソンには馴染みが薄いが、ベンチャーキャピタルなど新興企業への投資家やSaaS業界内では定着しつつあるワードだ。

 米国では2000年台から取り組みを始めている企業も多く、近年大型のIPOや資金調達が相次いだ。日本のSaaSは米国と比べ「5年遅れで発展している」と言われているが、16年ごろから続いたホリゾンタルSaaSのIPOラッシュに続き、バーティカルSaaSにおいても盛り上がりの機運が高まっている。

 バーティカルSaaSのグローバル水準を確認していくと、米国を中心に上場企業数で19社、時価総額合算ベースで40兆円、未上場では企業価値が1000億円以上のユニコーン企業は60社、企業価値算出合算ベースで19兆円と巨大な投資規模となっている。

 一方、国内SaaS企業の規模感を集計した数値は以下の通りだ。

 国内バーティカルSaaSの規模は、非SaaS事業を含むメドレーやエス・エム・エスを含めても時価総額合算で1兆円に満たない規模だ。国内ホリゾンタルSaaSと比較しても3分の1程度にとどまっている。

 個別の企業に目を向けると、エス・エム・エスが提供する介護事業所向けシステム「カイポケ」や、インフォマートが提供する食材卸と飲食店の受発注システム「BtoBプラットフォーム 受発注」などがバーティカルSaaSにおける草分けとなっており、ARRベースでは60億円を超える規模となっている。

●投資家の注目が集まる国内バーティカルSaaS企業

 海外比較、国内ホリゾンタルSaaS企業との比較でもまだまだ発展途上であることが伺えるが、成長余地が大きく残されている状況という見方もされており、今後の成長に熱い視線が注がれている。

 国内バーティカルSaaS企業として最大規模のARRを誇るインフォマートは、以前から海外投資家の注目度が高く、株主全体の52%が外国法人(外国人投資家)と、国内SaaS企業の中で最も高い水準となっている。

 ロンドンを拠点とするクープランド・カーディフ・アセットはスパイダープラスの5%強の株式を保有した旨の大量保有報告書を5月19日に提出しており、IPO以後でも海外投資家の積極的な投資が見受けられる。

 未上場企業においては、住宅などの施工管理システムを提供するANDPADが20年10月にCエクステンションラウンドとして20億円の出資を受けているほか、医療・介護モバイルICTを提供するアルムが56億円の第三者割当増資による資金調達を行うなど、バーティカルSaaSスタートアップへの投資も件数、金額ともに増加傾向にある。

 「企業データが使えるノート」の集計では、21年の4月時点でバーティカルSaaSスタートアップ約80社の資金調達を確認(直近3年間)した。

 上場を見据えるシリーズCラウンド以降のスタートアップも12社に上るなど、21年以降、バーティカルSaaS企業のIPOが続いていくものと予想される。

●なぜ今バーティカルSaaSなのか?

 では、なぜ「今」バーティカルSaaSに注目が集まっているのだろうか。

 これまでバーティカルSaaSは、ホリゾンタルSaaSに比べ顧客対象となる企業数が限定されることから市場性の小ささが指摘されていた。

 またIT化が十分になされていないレガシー業界においては、紙やFAXなどのアナログツールが業務の主流であることや、高齢化しつつある就業者のITリテラシーから、システム利用難易度の高さが懸念されていた。

 そのような状況から、ホリゾンタルSaaSの後じんを拝してきたバーティカルSaaSだが、日本でもその向きが変わりつつある。

 特徴的な3つのポイントを紹介する。

「ユーザー」— 労働力不足の解消

 国内人口の減少や就業者の高齢化に伴い、各業界における労働力不足解消が喫緊の課題となりつつある。建設業においては就業者数が1997年のピーク時から27%減少(2017年度末)、介護業界などでは職員自体は増加しているものの、高齢者人口の伸びに追いつかないケースも増えているなど、各業界における人手不足は深刻だ。

 一方で、このような業界においては紙による情報のやりとりや、行政手続きに関する書類の提出など、提供サービスに対する間接労働に、今なお1日に2〜3時間を要することは珍しくない。単なる仕事の効率化にとどまらず、事業存続を左右し兼ねない労働力不足解消という強いニーズが、SaaS導入検討のきっかけとなっている。

法改正—強制力が呼び水に

 上述の労働力不足解消とも関わりがあるが、法改正がバーティカルSaaS普及の後押しとなっているケースが出始めている。

 例えば、調剤薬局の業界では19年に公布された改正薬機法が大きな転機となった。この法改正では、薬剤師の薬局外での患者フォローが義務化されている。電話などで全患者のフォローが難しいことから、薬局にSaaS型基幹システムを提供するスタートアップ企業カケハシは、患者の服薬状況からフォローが必要な患者を検知するアプリ「Pocket Musubi」を提供し、薬局の業務効率化を支援している。

 この他にも「医師の働き方改革」に関する法律が成立し、24年度から勤務医の残業規定が適用されることから、医療系スタートアップContreaは患者とのコミュニケーションを円滑にするSaaS型コミュニケーションシステム「MediOS」を提供している。このように、各業界において法改正が一定の強制力をもってSaaS導入のニーズを生み出している様子が見受けられる。

海外投資家—タイムマシン投資

 冒頭に述べた通り、米国などでは規模の大きなバーティカルSaaSの上場が幾例も出ており、発展途上の日本においては“タイムマシン投資"を狙う海外投資家の存在が増している。

 スパイダープラスの伊藤謙自社長も、「国内投資家よりも海外機関投資家からの注目度の高さを感じている」とインタビューにコメントしており、既に成功パターンを体感した投資家が、空白の大きい日本市場への興味を強めている。

 投資対象は上場企業のみならず、未上場のスタートアップにも及んでいる。ANDPADは直近の資金調達でMinerva Growth Partnersをリード投資家とし、Sequoia Capital Chinaなどのグローバル投資家から資金を集めた。

 このようにバーティカルSaaS企業に対する意欲的な投資が未上場時やIPOでの資金調達を底上げしており、新たなバーティカルSaaSスタートアップを生み出す循環を生みつつある。

●バーティカルSaaSは一般消費者へも影響

 今後大きな発展が見込まれるバーティカルSaaSだが、この影響は法人の業務効率化に止まらず、私たち一般消費者へも波及し始めている。

 医師の診療、レストランの事前予約、保育園との連絡のやりとりなどは従来、紙、電話、対面が基本だった。しかし企業がバーティカルSaaSプロダクトを導入したことによって、私たちの生活も変化しつつある。

 単なる業務システムにとどまらず、各業界のDX本丸を担うバーティカルSaaSの発展から目が離せない。

 この記事に引き続き、次回以降、3週に渡り今注目のバーティカルSaaS企業の経営者インタビューをお届けする。