調剤薬局のDX化を猛烈に推し進めるスタートアップがある。

 薬歴システム「Musubi」を提供するバーティカルSaaS企業、カケハシだ。

 一見すると“地味"な業界向けシステムを作っていると思われるかもしれないが、日本全国の調剤薬局数は約6万店とコンビニの数よりも多く存在し、業務効率化の余地を大きく抱えた市場だ。

 カケハシが提供する「Musubi」は、従来、薬剤師にとって負担が大きかった処方薬の記録を効率化するだけでなく、法改正によって義務化された薬の服用期間中の患者フォローや、経営数値を見える化する機能など、薬局の基幹システムを担うまでサービス範囲を拡充している。

 導入した薬局から熱烈な支持を受け「1年で3倍の売上成長」というスピードで躍進を遂げるカケハシの戦略はどのようなものだろうか。

 SaaS企業のデータ提供・分析を行う「企業データが使えるノート」運営アナリストがCEOの中川貴史氏に話を伺った。

――— カケハシは調剤薬局に向けた電子薬歴システム提供を行う企業。この業界における市場性や課題をどのように捉えていますか。

 薬局で働く薬剤師の方は6年間大学で専門知識を学び働き始めますが、患者さんへの薬の提供にあたっては「薬歴」と呼ばれる処方薬の記録を残す作業に非常に多くの時間が割かれている課題がありました。

 長時間労働、残業時間の増加という観点だけでなく、本来価値提供できるはずだった医師との連携や患者さんとのコミュニケーションが圧縮されている現実があり、「もっとあるべき医療の姿」を実現したいと考え、このサービスを2017年に立ち上げました。

――— 電子薬歴は調剤薬局全体としてはどの程度採用されているのでしょうか。

 現在、調剤薬局全体の7、8割が電子薬歴システムを採用し、残り2割が紙ベースだと見ています。電子薬歴プロダクトは歴史があり、大手電機メーカー系のサービスなどが40〜50年に渡ってオンプレミス(インストール型)で提供されてきました。私たちは、クラウド型の電子薬歴システムとして、まだシステム導入がされていないホワイトスペースを埋めつつ、既存製品を使っている層にアプローチし、市場開拓を進めています。

――— 導入拡大の勢いが見られますが、現在「Musubi」はどのくらい市場に浸透しているでしょうか。

 マーケティングリサーチを行ったところ、市場(薬剤師)の認知率は8割を超えているという結果が出ています。製品の導入もほぼ全国で進んでおり、上場も行っている大手の薬局チェーンでは全店での利用を推進しているなど、個店のみならず大手企業にも浸透しつつあります。

 成約店舗数では20年度の終わり6か月間で、月次成長率が平均10%(1年換算で2.6倍)ペースで増加をしました。

――— すごい伸びです。そのような成長の要因となるクラウドシステムとしての「Musubi」の優位性はどのような点にあるのでしょうか。

 (他社が提供してきた)オンプレ型の従来システムでは各店舗の端末に情報が蓄積されているため、患者さんの来店状況などをタイムリーに把握できませんでした。

 「Musubi」はクラウドで連携ができるため、顧客の情報も即日把握できるほか、各店舗の薬剤師が薬歴を入力する時間の可視化、患者さんのリピート率の集計などデータ分析をスピーディーにできる強みがあります。

 複数店舗を持つ大手薬局などにおいては他店舗間で情報共有ができるため、二重での説明を避けることや、服薬履歴に応じた指導できるなど患者さん側にとってもメリットを生み出しています。

――— バーティカルSaaSにおいてはプロダクトの質だけでなく、慣習や法規制といった要因によって十分に成長できないことも見受けられます。その中でカケハシが飛躍的な成長スピードを遂げている要因はなんでしょうか。

 さまざまな要因がありますが、ここでは3点にわけてお伝えをします。

●1. 法改正による業界変革の波

 まずは、調剤薬局業界にとって大きな影響を与える法制面での変更がありました。具体的には15年に厚生労働省が「患者のための薬局ビジョン」を打ち出しました。これは薬局が薬を出すだけではなく、患者さんに対し服薬指導や薬局外でのフォローをより拡充していくことを義務付けたものです。

 それによって調剤報酬の点数も変わってくるなど、いわば業界にとって変革が求められているタイミングでした。

 通常であれば、いくらいい製品を作れたとしても移管コストが大きく、薬局の根幹を担う基幹システムを一スタートアップに任せることは相当にハードルが高かったと思います。

 このような業界が変わらなければいけないタイミングで、カケハシが役に立てるサービスを提供できたことは大きかったと振り返っています。

●2. ディスラプター(破壊者)ではなくイネーブラー(協力者)と認められる

 スタートアップの世界では、革新的なテクノロジーで破壊的に業界を変えていくアプローチが取られることもあるかと思います。ただ、われわれはそのようなディスラプター(破壊者)ではなく、医師や薬剤師の方などが本当に困っていることを解決し、ともに業界を良くするためのイネーブラー(協力者)でありたいと考えています。

 そのためには小手先のテクニックなどではなく、常にあるべき医療の姿は何か、国の医療のためには何をすべきかという自分たちにとっての“北極星"を見失わないようにしています。

 一営業パーソンであったとして、製品の良し悪しだけでなく、高い倫理観を持ってこの“北極星"を薬局業界の方に語ることができる組織であるということが重要だと日々考えています。

●3. 誰よりも顧客のペインポイントを理解する

 もともと「Musubi」を開発する前に共同代表の中尾(豊)と400以上の薬局を回り、超大手チェーンの代表クラスの方から、店舗のパート薬剤師の方まで、つぶさにニーズを聞いて回りました。

 現場の方には「今思っていることを口に出しながら業務してください」などと無理なお願いしながら、業務を見せていただき、顧客像を自分たちの中に完全に落とし込みました。

 この徹底した顧客理解をなくして、現在の「Musubi」の姿はなかったと思います。今もカケハシにはもともと薬剤師だった方が多くいますが、業界の良き理解者であるように常に心掛けています。

――― 実際の事業観点から見るホリゾンタルSaaSとバーティカルSaaSの違いは何でしょうか。

 ホリゾンタルSaaSはSalesforceなどの影響もあり、事業の組み立て方などがかなり確立しているように見えます。それにより、アーリーアダプターに対しプロダクトフィットをさせることができれば、順々にスケールをさせていき、IPOでの資金調達をもってレイトマジョリティーに広めていくなど、再現性高く事業を行える傾向にあると考えます。

 一方で、バーティカルSaaSは顧客数が限られているため、比較的早い段階でマジョリティに対して拡販をしていかなければならず、顧客対象、売り方、プロダクトなども1〜2年で次々と変えていかなければなりません。

 それゆえに業界に深く入り込むことができる面白さがあります。

 拡大再生産ではなくより深く業界に浸透させることができるか、目まぐるしく次の打ち手を打ち続けられるかなど、組織力、経営力を試されていると捉えています。

――— バーティカルSaaSに対しては国内投資家のみならず、海外投資家からの投資意欲も高いと聞きます。どのような評価、フィードバックを得ているでしょうか。

 バーティカルSaaSにおける海外投資家からの高い評価は実感するところがあります。

 彼らはProcore(米国の建設業者向けSaaS企業)やToast(米国のレストラン向けシステム提供企業)といった成功事例を目の当たりにしているため、実感値を持ちながら日本のバーティカルSaaS企業に対し興味を持っているのだと思います。

 彼らは業界でしっかりと認知される企業となる難しさと、その後の可能性を理解しているため、「足元のKPIよりもっと長期の視点で、腰を据えた成長を目指せ」といったアドバイスを送られることがあります。

 向こう1〜2年ではなく、10年間その企業の株式を持ち続けるつもりで投資判断をしていることが、バーティカルSaaS企業などに対する高マルチプルの要因となっていると捉えています。

――— 多くの店舗に導入が進んだ「Musubi」ですが、今後のカケハシの展望をどう見据えていますか。

 私たちは日本の医療をITの力で良くしたいという思いで、現在の「Musubi」を提供する今の姿となりました。今でこそバーティカルSaaSと呼ばれていますが、あくまでそれは後から位置付けられたものです。

 業界の課題を深く解消していこうとすれば、SaaS以外のサービスを提供していくべきだと考えていますし、海外のバーティカルSaaS企業も「SaaS+Fintech」や「SaaS+マーケットプレイス」といった展開で成長を遂げています。

――― 21年3月にカケハシが公表した薬局向けのサービスを手がけるPharmarketの買収はそのような意図でしょうか。

 まさにそうです。Pharmarketは薬の二次流通を推し進めるマーケットプレイス型のビジネスです。今後もM&Aが重要な手であることは間違いありません。

 どのようにビジネスを進めるのであれ、国民、薬剤師、国にそれぞれに良い医療を追求し、「カケハシがいたからこう変わった」というインパクトを残していきたいと考えています。

 「Musubi」を導入した後の薬剤師の方への研修では、「なぜあなたは薬剤師になったのか」といった原体験を伺うようにしています。これは単に業務が楽になるというだけでなく、「薬剤師になって良かった」という想いをサービスを通じて実感していただきたいからです。

 顧客の顔が見える限定された市場であるからこそ、深い価値を提供できる、そんな存在であり続けることを大切にしています。