JR東海は10月1日より東海道・山陽新幹線の「のぞみ」号の7号車を「S Work車両」とし、9月1日より販売を開始した。「ビジネスパーソン向けに、マナーを守りつつパソコン等を気兼ねなくお使いいただける車両」という主旨で、「S」には「新幹線(Shinkansen)」と「Seamless」の意味を込めた。新幹線で移動する間も途切れることなく仕事を進めたい人向けだ。

 「S Work車両」はビジネスパーソン向けの指定席として、いままで「ご遠慮ください」と案内してきた「座席で通話」を認めるほか、自他のPCの打鍵音、オンラインミーティングの発声などは「お互い様と許容していただく」車両となる。

 利用期間は2022年3月31日まで。ただし年末年始(12月28日〜1月6日)は利用できない。報道資料には「試行」とあるから、長期運用テストで好評なら延期、不評なら取りやめという意味を含む。それにしても「のぞみ」全列車で設定するから大規模な試行である。

 もっとも、取りやめる材料はいまのところない。取りやめるとすれば、満席にもかかわらず「S Work車両」だけ空席で、嫌悪されているとなった場合だろう。しかし緊急事態宣言下で遺憾ながら全体的に空席だ。むしろ「S Work車両」は空席対策で、ビジネスパーソンに乗ってもらいたいという販促策といえる。

 むしろ懸念は「S Work車両」に生まれる新しいマナーだ。「やっぱり仕事やめた。ビールを飲んじゃおう」という人と、仕事をする人の温度差がトラブルのタネになりそうだ。どうか杞憂(きゆう)であってほしい。

 もっとも販売は、オンライン予約システム「EX予約」「スマートEX」に限定され、操作メニューに「S Work車両」が明示される。利用者は主旨を認識した上で予約するから、販売時に棲(す)み分けが行われるはずだ。「S Work車両」に加算料金はない。「EX予約」「スマートEX」の指定席料金と同じで、どちらも会員割り引き料金だから、きっぷより若干の割引ともいえる。新幹線利用者を自社のオンライン直販に囲い込む役割にも見える。

 なお、「S Work車両」のうち最新型車両「N700S」で運行される列車では、追加で特別なサービスがある。無料で貸し出しされるツールとして、膝にPCを乗せたい人向けの「膝上クッション」、作業をのぞき見されたくない人向けの「簡易衝立」、ノートPC用の「ACアダプタ」「小型マウス」、電子機器向けの「USB充電器」。これらは数に限りがあるので早い者勝ちだ。筆者はタッチバッドが苦手でマウスが手放せないけれど、うっかり荷物に入れ忘れるから助かる。

●N700S独自のサービスも順次開始

 N700Sでは、広帯域の無料Wi-Fiサービス「S Wi-Fi for Biz」が始まる。従来の「Shinkansen Free Wi-Fi」サービスでは30分でいったん切れてしまったけれど、「S Wi-Fi for Biz」は時間制限がないから、長時間の動画視聴、オンライン会議も安心だ。大容量ファイルの受け渡しも可能だろうけれど、ほかのユーザーに影響するので遠慮してほしいところ。

 「S Wi-Fi for Biz」は車両に機器搭載工事が必要なため「10月以降順次」となっている。また「S Work車両」に限定せず、N700Sであれば「ひかり」「こだま」でも7号車と8号車で利用できる。8号車は3両あるうちのグリーン車の1両だ。グリーン車に乗るなら8号車がオススメだ。

 N700Sでは22年4月以降、7号車の喫煙ルームを改造し、打ち合わせに使える「ビジネスブース」を試験的に導入する。丸椅子を置き、短時間の打ち合わせで利用できる。「S Work車両」であれば、携帯電話の通話も同行者同士の会話もとがめられないけれど、やはり第三者に聞かれたくない話もあるだろうから、これもありがたい。

 なお「ビジネスブース」導入に先立って、21年春から東海道・山陽新幹線の16両編成の7号車喫煙ルームは終了予定だ。喫煙者にとって、また厳しい施策となっている。筆者は喘息持ちでどちらかといえば嫌煙だけど、近年の喫煙者締め出しは気の毒に思う。10号車(グリーン車)、15号車(普通車)の喫煙ルームは残るから、こちらも予約時の案内が必要だ。

 以上をまとめると、最も快適なビジネス車両は、N700Sを使用した「S Work車両」だ。N700Sを使用する予定の列車は今のところ数が少なく、JR東海の公式サイトで公開されているけれども、「EXアプリ」で予約するときに明示されていない。いずれ全列車がN700Sになるとはいえ、改善してほしい。

●駅でも始まるビジネス向けサービス

 「S Work車両」は東海道・山陽新幹線のビジネスパーソン向けサービスの一部に過ぎない。上記は8月26日にJR東海が発表した「東海道新幹線のビジネス環境の整備について」という文書をなぞって書いた。この文書では駅に関するサービス追加もある。

「ビジネスコーナー」:待合室の一部に半個室タイプのビジネスブースを設置する。東京駅・名古屋は5席、新大阪駅は4席。9月以降順次設置。無料。

「コンセントポール」:待合室の一部の座席に電源(AC/USB)を設置する。東京駅は3本。名古屋・新大阪駅は5本。9月以降順次設置。無料。

 EXサービス会員向けには有料でワンランク上のサービスを提供する。12月以降、個室とラウンジ、会議室を設置予定。

「EXPRESS WORK-Booth(BOX型)」:扉付きBOXタイプの1人用ビジネスブース。東京駅・名古屋駅・京都駅・新大阪駅に2台ずつ。名古屋駅隣接のJRセントラルタワーズ15階に4台。

「EXPRESS WORK-Lounge(オフィス型)」:東京駅直結の丸ノ内中央ビルに、オープン席、個室席、会議室を用意。

 EX会員は東海道・山陽新幹線の指定席の変更は何度でも可能だから、駅に滞留する必要はなく、直近の列車に乗ればいい。しかし、混雑期に希望列車に変更できない、指定した列車で同行者と待ち合わせするなどの都合もある。こうしたニーズに応えるサービスだ。

●JR東日本も実証実験を実施

 新幹線のビジネスパーソン向けサービスについては、JR東日本が先んじて実証実験を2期にわたって行った。1回目は21年2月の平日、2回目は6月14日〜7月16日の平日だ。いずれも東北新幹線で、1回目は対象列車が限定され、使用車両(号車)が統一されていなかった。2回目はすべての「はやぶさ」が対象となり「1号車」に固定されたため分かりやすくなっていた。

 利用方法は「対象車両と座席を無料開放する」だった。ほかの車両の指定席を購入した人であれば、誰でも譲り合って利用できる。座席は5列のうちA席・C席・E席を推奨、つまり隣の席を空ける。一部の列車では協賛企業のリモートワーク支援ツールを貸し出して体験できた。

 auのWi-Fiルーター、パナソニック システムズソリューションズ ジャパンの「WEAR SPACE(ノイズキャンセリングヘッドフォン&パーティション)」と骨伝導ヘッドセット、エプソン販売のスマートグラス。伊藤園からは緑茶飲料の試供品が提供され、車内にはヤマハ提供の情報マスキング音発生装置が設置された。わざと雑踏音を流して会話音声や打鍵音を紛らわせるという。トイレのダミー水流音発生装置のように、聞かれたくない音をかき消す。

 この実験は混雑する列車では難しい。列車の利用が激減したいまだからこそ可能だ。空いた列車を無駄にしないという意味で有意義だった。しかし、1両まるごと無料開放という施策は無理筋だ。来るべき新型コロナウイルス後には難しい。だからこそ、この実験の成果は今後に生かされることになるだろう。もう少し現実を見据えた3回目の実証実験があるかもしれない。

 JR東日本が東北新幹線でビジネス需要の実証実験を実施した背景は分かりやすい。東海道新幹線と比較してビジネス需要が小さいからだ。開拓しがいがある。東北地方は観光資源が多い一方、人口も少なくビジネス需要も小さい。しかし、北海道新幹線が札幌に延伸すると風向きが変わってくる。関東〜札幌の旺盛なビジネス需要を見越して、航空便にないサービスを提供したい。

 航空機内でもノートPCは使える。一部の機材でWi-Fiサービスもある。しかし電子機器は機内モードにすべしと法律で決まっており、通話はできない。短時間だけれども、それでは困るというビジネスパーソンはいるだろう。何しろ短時間では仕事に集中した頃に着陸してまう。一方、新幹線は4時間だ。仕事に使える時間も、休憩する時間もある。

 航空機になくて新幹線にあるもの。それは「ビジネスに使う時間」である。所要時間が長いという短所が、時間を有意義に使うという意味では長所になりえる。JR東日本はそこに気付いたと思う。

●背景に新幹線をとりまく環境の変化

 東海道・山陽新幹線についてはどうか。もともとビジネス需要が旺盛な路線である。スマートEXもEX予約も多忙なビジネスパーソンを意識したサービスだ。そこに追加でビジネスサービスを提供する。しかもこちらは試行とはいえ、きちんと指定席料金を得て、このままサービスインできる環境を作った。この背景には乗客の多様化がある。

 いままでは旺盛な移動需要があり、グリーン車と普通車を用意して、割引策など価格を操作すれば旅客を獲得できた。京都を経由する東海道新幹線は、もともと観光需要もあったけれども、施策によってさらに需要を掘り起こせる。インバウンドが旺盛だった時からこの傾向はあったとはいえ、やはり新幹線はビジネスの動脈という色彩が強かった。

 移動需要が減少する中で、JR東海は積極的に旅行需要を喚起してきた。「ぷらっとのぞみ」「ずらし旅」のほか、ホテルを組み合わせたダイナミックパッケージについても、ビジネスホテルだけではなく観光型宿泊施設をそろえている。

 グリーン車にも旅行客が増えてくると、ビジネスパーソンは逃げ場がない。「温度差の異なる旅行客と隣り合わせになりたくない」という不満も出てくる。そこで、ビジネスパーソンに特化したサービスが必要になった。

 「同じ境遇の人々を集めて気兼ねなく過ごしてもらいたい」という主旨は、子ども連れ専用の「ファミリー車両」に通じる。ただし「ファミリー車両」は期間・列車限定のサービスで、旅行会社「ジェイアール東海ツアーズ」の旅行商品だった。このノウハウをビジネス向けに仕立て直すと、スマートEXとEX予約と親和性が高くなる。

 旅行客に力を入れる一方で、ビジネスサービスを拡充してバランスを取っている。しかもすべての「のぞみ」に用意した。強いメッセージ性を放った。

●移動時間の長さが利点になる?

 そして前述のJR東日本の事例でも触れたように「移動時間そのものが付加価値」になる。飛行機に乗ると細切れの時間ができて集中できない。新幹線なら集中する時間ができる。ビジネスパーソンにとって、移動時間を短縮するか、有意義に使うかという選択肢が生まれた。

 そうなると「S Work車両」は「こだま」のほうがふさわしいかもしれない。筆者も「のぞみ」ではなく、あえて「こだま」を選ぶ場合がある。車内で作業をしたいだけではなく、「のぞみ」では寝る暇がない。「こだま」なら眠る時間もある。

 リニア中央新幹線の新型試作車両の座席にはUSBコンセントが付いている。これについてある記者が「AC電源がないとPCを使えない」と声を上げた。27年の開業時にはUSB給電が普及するだろうし、PCのバッテリーも十分持つ。品川〜名古屋間は約40分。そんなに働きたいのかと思うけれども、やはり選択肢を作ることは重要だ。

 もはや新幹線は「普通車とグリーン車」だけでは乗客の多様な要求に対応できない。ファミリー車両、「S Work車両」は、新幹線に新たな価値を与える施策といえる。サービスが完成されたと思われた新幹線でも新しいサービスができる。きっとほかの分野でも、新たに掘り起こせる需要があるかもしれない。

(杉山淳一)