「パンケーキ食べている姿がかわいい!」「たたき上げの苦労人だから、きっとこれまでとは違う庶民目線の改革をしてくれるはず!」――。

 なんて感じで、ほんの1年前にマスコミをあげてチヤホヤしていた「ガースー」こと、菅義偉首相が退任へ追い込まれてしまった。

 「棒読みで心に響かない」「質問にまともに答えないで逃げる」などボロカスに叩かれて支持率が急落。一発逆転の解散も打てず、総裁選も勝てそうもないということで進退きわまった。自分で辞めた形だが、周囲から「クビ」を宣告されたようなものだ。

 これを受けて、日本中のさまざまな企業にいらっしゃる「社長の右腕」の皆さんも、さぞガッカリされているのではないか。

 菅氏といえばまず思い浮かぶのは、歴代最長7年8カ月間の安倍政権を官房長官という「番頭」として支えたイメージだろう。残念ながら今はもうその面影もないが、当時は政権の危機にも冷静に対処して、政策も官邸主導でゴリゴリ進めていたことから、「ミスター危機管理」「首相の懐刀」などと高く評価されていた。つまり、日本のトップを陰で支えてきた菅氏は「番頭界の星」という位置付けだったのだ。

 当然、そんな菅氏がトップになって、日本全国の番頭の皆さんは、自分のことのように喜んだはずだ。しかし、わずか1年で辞任に追い込まれたことで、こう思ったのではないか。やはり番頭は番頭のままがいいのか、欲をかいて自分がトップになってはいけないのか、と。

●日本型組織といえば「番頭」

 「いや、その前に、全国に番頭なんてそんなにいないでしょ」と笑う方もいらっしゃるかもしれない。が、それはたまたまあなたの周囲にいないだけで、実は日本では番頭がいる組織のほうが多い。日本型組織といえば番頭、番頭なくして日本型組織はまわっていかないという現実があるのだ。

 その代表が、日本企業の頂点であるトヨタ自動車だ。同社には小林耕士氏という、豊田章男社長を長年支えてきた番頭がいる。比喩とかではない。2020年4月から小林氏本人もオフィシャルにそう名乗るし、周囲もそう呼ぶ。

 『3月まで“代表取締役副社長"という肩書きだった小林の名刺には、今“代表取締役"も “Chief Risk Officer"も書いておらず“番頭"とだけ書いてある。豊田社長から、その役割が一番しっくりくると言われ4月からそうなった』(トヨタイムズ 2020年6月15日)

 ちなみに、小林氏は豊田社長が入社したころの「鬼の上司」(同上)で30年以上、近くで仕事をしてきた。トップのビジョンを誰よりも理解し、時に周囲が忖度(そんたく)・萎縮しがちな創業家のプリンスに対しても、厳しい苦言を呈せる立場という点では、確かに紛れもない番頭と言えよう。

 こういうスタイルはなにもトヨタが特殊なわけではなく、日本型組織の王道中の王道スタイルである。強烈な個性を持つトップ、強いリーダーシップで組織を牽引するトップの横には必ず女房役ともいう「大番頭」がいるのだ。

 有名なところでは、本田技研工業の創業者・本田宗一郎氏を、財務面で支えた藤沢武夫氏だろう。あるいは、松下電器産業(現パナソニック)の創業者・松下幸之助氏をやはり経理や海外事業などでサポートした、高橋荒太郎氏もよく知られている。

 もちろん、これは大企業だけではない。日本企業の99.7%を占めている中小企業も番頭なくしては回らない。17年版中小企業白書の「組織形態別に見た、経営者を補佐する人材の有無」によれば、中規模法人の73.4%、小規模法人の65.7%、個人事業者の53.5%が「社長の右腕がいる」と回答をしている。

 個人事業者や小規模事業者の経営者などの場合、なかなか信頼できる側近がいないとか、悩みを1人で抱えて孤独だ、という話をよく聞くが、実は番頭に支えてもらっている経営者もかなり存在しているのだ。

 また、その「社長の右腕」について、個人事業主や小規模事業者はやはり「子ども」や「親族」というファミリービジネスっぽくなってしまうのだが、中規模法人の場合は65.5%が「親族以外の役員・従業員」となっている。つまり、日本の会社は、規模が大きくなればなるほど、トヨタの小林氏のように、創業者一族を支える番頭が増えていく傾向にあるのだ。

●自分を支えてくれる「右腕」がいない

 それほどたくさんいるので当然、番頭という立場で終わることなく、組織の頂点に立つ人も少なくない。多くの有名企業で「ナンバー2」や「社長の片腕」「番頭」と呼ばれていた人が順当にトップへ引き上げられている。ソフトバンクの孫正義氏の番頭と呼ばれていた宮内謙会長などがその代表だ。最近ファミリーマートの社長になった細見研介氏も、伊藤忠・岡藤正広会長の懐刀と呼ばれる人物だ。

 プロ経営者を外部から引っ張ってくるよりも、いまだに内部から繰り上がる社長が多いような日本では、「番頭出身トップ」はたくさんいるのだ。

 ただ、一方で、菅氏のように首相になった途端、これまでの功績がチャラになってしまうほどボコボコに叩かれる「トップに向かない番頭」もいる。

 この違いは何か。

 まず大きいのは、「番頭がいるか、いないか」ということがある。番頭がトップになったとき、かつての自分のようにトップを献身的に支えてくれる番頭がいないと、権力の継承がうまくいかないケースが多い。

 前出の『中小企業白書』で、中規模企業が親族以外に事業承継した際に、問題になったことを調べたところ最も多かったのは「社内に右腕になる人材が不在」(24.6%)で、次が「引き継ぎまでの準備期間が不足」(17.7%)だった。

 先ほども申し上げたように、中規模企業では7割以上に「社長の右腕」が存在している。そのような人たちが後継者としていざトップの座について周囲を見渡すと、自分自身には「右腕」がいない。しかも、引き継ぎまでの準備期間が不足している場合は、前任者のリーダーシップや人間関係も継承できず結果、社員や取引先からの信頼も得ることができずに「裸の王様」になってしまう。

 これはまさしく今回の菅首相の姿ではないか。

●トップを守るために

 菅首相が叩かれ始めたとき、安倍首相が「菅総理には菅官房長官がいない」と言ったと報道されたが、まさしくあれは的を射た発言だったのだ。

 そしてもう一つ、「トップに向かない番頭」には、「ネガティブなイメージを引きずっている」という特徴もある。海外の経営者のサポート役と異なり、日本の番頭システムの最大の特徴は、トップを守るために、嫌われる役や汚れ役を買って出る部分がある。

 なぜこうなるのかというと「ルーツ」が影響している。日本企業の番頭は、その言葉の通り、江戸時代の商家の番頭制度がベースとなっている。

 大店(おおだな)の番頭は、「家」を存続させるため、とにかくその血を引く主人に忠誠を誓う。商売人としてサポートはもちろん、奉公人のマネジメントを代わりに行い、さらには、主人が安心して隠居できるように、後継者の教育まで担当をする。「家」を守るためならば、ときには非合法の仕事にも手を染めるし、隠し子など主人のスキャンダルもカネで揉(も)み消した。

 そんな「商家の番頭」に、近代化で「現場の親方」という性格も加わった。これによって、トップへの忠誠心に加えて、トップの代わりに、会社や工場の現場を取り仕切って、従業員を動かしていく「現代版番頭」というシステムが確立された、と言われている。

 このような出自なので、どうしても番頭の中には「汚れ役」「嫌われ役」に特化した人々がいる。トップの後継者候補でもなく、トップの経営判断を支える参謀でもない。トップを守るために、嫌われるような改革を断行したり、悪い話をモミ消す役割だ。

●菅首相はこのパターン

 さて、そこで想像していただきたい。こういう「裏仕事師」的な番頭がトップになって、周囲の人間はそれをすんなりと受け入れることができるだろうか。やはり以前の汚れ役のイメージを引きずってしまわないか。キャラ変して、親しみやすさなどをアピールしてもどうしても付け焼き刃的にならないか。

 それはつまり、もし何かミスをすれば、味方もおらずボロカスに叩かれるし、これまで力でねじ伏せていた人々からの反撃にも合うということだ。皆さんの会社にもこのような人はいるはずだ。ナンバー2だったときは、トップの代わりにさまざまな汚れ仕事に手を染めて、影の実力者として社内でも一目置かれていたが、いざ自分がトップになると、急にそれまでの勢いがなくなって、社内のいろいろな反対勢力から叩かれ、中間管理職のようになってしまう方が。

 まさしく菅首相はこのパターンだったのだ。

 安倍前首相は岸信介を母方の祖父に持ち、父方も三代続く国会議員一家というナチュラルボーン上級国民。いわば、「安倍商店」という大店の跡取りだ。一方、菅氏は秋田から集団就職で上京して、働きながら大学の夜間を卒業して政治家になった苦労人という触れ込みだ。キャラ的には、丁稚奉公から着々と実績を積み上げた大番頭といえなくもない。

 だから、国民はしっくりきた。いろいろと問題のある政権ではあったが、このトップとナンバー2の絶妙のバランスが、まるで朝ドラに出てくるような主人と番頭のようで、安心感があったのではないか。

 実は組織にはこのような「どう見えるか」という点も非常に大事だ。

 今はボロカスに叩かれているが、菅首相にも多くの功績がある。デジタル庁もつくったし、50年以上続いた中小企業政策も大きく変えた。アベノミクスの唯一の実績ともいえるインバウンド拡大は、菅氏が官房長官時代に強力に推し進めなければなし得なかった。

●組織とは適材適所

 そんな実績のある人なのに、ここ最近のコロナ対策ですべてチャラになった。「仕事のできない人」の象徴のようにされてしまっている。ナンバー2や番頭としての功績がすべて消し飛んでしまったのだ。

 このリスクは、すべてのビジネスパーソンに当てはまる。組織とは適材適所だ。優秀な裏仕事師や、汚れ役として存在感のあった人物をいきなり表舞台に引っ張り出して、以前のような能力を発揮できるとは限らないのだ。

 「もしかしてオレもトップもなれるかも」と欲が出た番頭の皆さんは、まず自分が菅首相と同じような「汚れ役・嫌われ役タイプの番頭」ではないのか、ということから確認したほうがいいかもしれない。

(窪田順生)