そう遠くない未来、これがカップヌードルの具として人気を誇る「謎肉」の代わりになるかもしれない。3月末、日清食品ホールディングスが、東京大学の研究グループとともに開発したと発表した、「食べられる培養肉」のことだ。

 日清HDと東大の研究グループは2017年から培養肉の研究を進めているが、これまでは牛肉由来の筋細胞と「食用ではない研究用素材」を用いて肉を培養していた。それが今回、「食用血清」と「食用血漿 (けっしょう)ゲル」という食用可能な素材を独自に開発したことで、初めて「食べられる培養肉」の作製に成功したという。これによって実用化へ向けて、「大量生産」「低コスト」とともにクリアーしなくてはいけない、「おいしさ」という課題の解決に大きく近づくことができるというわけだ。

 ご存じのように今、世界では「培養肉」がアツい。米国の培養肉メーカー、Eat Just社は、シンガポールで鶏の培養肉の販売許可を得ており、既に市場で販売している。。また、オランダの培養肉スタートアップ、Mosa Meat社には、ハリウッドスターのレオナルド・ディカプリオが出資して、こちらも大きな話題となった。日本でも食肉大手、日本ハムがバイオベンチャーと組んで培養肉開発に乗り出している。米コンサルティング会社、A・T・カーニーによれば40年には、世界の食肉市場の35%を培養肉が占める見通しだという。

 つまり、そう遠くない未来にカップヌードルの「謎肉」も「サイコロ状の培養肉」にとって代わっていく可能性が高いのだ。

 肉と大豆由来の原料に野菜などを混ぜて味付けした「謎肉」は熱烈なファンも多いので「培養肉なんかに変えるな」と思う人も多いかもしれない。ただ、日本の「食の安全保障」を踏まえれば、1日も早く「謎肉」がなくなることが望ましい。「培養肉」が社会に広く普及すればするほど、日本の生命線が守られる確率が高くなるからだ。

 と聞くと、「はいはい、タンパク質危機っていうやつね」と思う方も多いだろう。実は人口増加と新興国の経済発展で、50年の肉消費量は05年の2倍近くまで増加するという試算がある。そんな世界的にタンパク質不足を解消する方法として、昆虫食やベジミートとともに、培養肉が注目されているのだ。

 だが、筆者が指す「生命線」とはそんな数十年先の話ではない。国際情勢によっていつ起きてもおかしくない日本の領海・領土が脅かされるという「安全保障リスク」のことだ。

●培養肉開発を国策に

 ロシアのウクライナへの侵攻を受けて、日本を取り巻く安全保障環境が大きく変わったと、政府や自民党からは防衛費をGDP比の2%まで引き上げる必要性が唱えられている。言うまでもなく、中国、ロシア、北朝鮮の脅威に対応するためだ。

 ただ、個人的には、そこまで金を捻出する余裕があるのなら、培養肉開発を安全保障の柱に定めて技術者や設備に投資をしていったほうが、「日本を守る」という点でははるかに効果があると考えている。なぜなら、敵基地攻撃能力を身につけたとしても、核シェアリングで抑止力を持つようになったとしても、今のままでは、どこの国と戦ったところで日本の「惨敗」は目に見えているからだ。

 武力侵攻に関しては、世界5位の軍事力をもつ自衛隊と、同盟国である米国の協力もあって持ち堪えることはできるだろうが、遅かれ早かれ食料とエネルギー不足で内部から崩壊してしまうのである。

 ご存じのように、日本の一次エネルギー自給率は12.1%(19年度)でOECD(経済協力開発機構)加盟の36カ国中35位。しかも、カロリーベースの食料自給率は37%(20年度)でこれまた諸外国と比べてかなり低い。穀物自給率でみても28%(18年度)で、172の国・地域中128番目。また、OECD加盟38カ国中、32番目とひどい有様だ。

 これは安全保障にリスクを抱えている国では、あり得ない水準だ。例えば、周辺に敵視をする国が多いイスラエルなどは、エネルギー自給率はエジプトからの石油に依存はしている部分もあるが、近年は天然ガス開発などで37%(16年)となっている。そして、食料自給率はなんと90%を超えている。

 これは「たまたま」ではない。マッキンゼーの『「グローバル食料争奪時代」を見据えた日本の食料安全保障戦略の構築に向けて』(2017年12月)によれば、イスラエルでは食料安全保障政策は、国家安全保障の重要な一部として、首相直下でイスラエル国防と一体で検討されているという。

 イスラエルは4度にわたる中東戦争を経験して、今もパレスチナ問題という火種を抱えている。このように戦争をリアルに捉えている国は、国民の生命を守るためには「食料とエネルギー」が必要だということをよく理解しているのだ。

●深刻な食料不足に陥る

 しかし、平和ボケで技術信仰が強い日本では、国防というと核など最新兵器という発想にしかならない。現実の戦争を80年経験しておらず、最新兵器が活躍するアニメや映画の“ファンタジー的な戦争”しか知らないので、ミサイルや兵器があれば勝てると思っている。食料とエネルギーという国防で最も大事な生命線がスコーンと頭から抜けてしまっているのだ。

 例えば、周辺国と「有事」が起きれば自衛隊が出動するわけだが、自衛隊員の皆さんはマシーンではないので、戦闘が長引けば長引くほど大量の食料が必要となる。戦火に巻き込まれないように避難する住民たちにも食料は必要だ。では、その食料をどこから持ってくるのかというと、海外から輸入するわけだが、有事なのでうまくいかない。

 台湾有事などが起きてシーレーン(有事に際して確保すべき海上交通路のこと)が破壊されてしまうと、四方を海に囲まれている日本には、食料や石油を運ぶ船が近づけなくなってしまうのである。戦争が長引けば、自衛隊も避難民も、そして何かの形で戦争に参加している国民も食料不足に陥る。そうなるとあとはイモをかじって、「欲しがりません、勝つまでは」という例の精神論にすがるしかないのだ。

 「今の豊かな日本でそんな話は現実的ではない」と思うかもしれないが、ならば上海を見てみるといい。ロックダウンでコンテナ船が港に入らず待機しているので、食料の奪い合いなどが行われている。食料をよそから持ってくるだけの都市の豊さなど、砂の城のようなものなので、あっという間に崩壊する。食料自給率37%の日本は国全体が上海のようなものだ。

 これは、多くの専門家も警鐘を鳴らしている。例えば、キヤノングローバル戦略研究所の山下一仁研究主幹は「有事」の際には減反政策も災いして、太平洋戦争のとき以上に深刻な食料不足に陥るというショッキングな分析をされている。

 『小麦も牛肉も輸入できないので、米とイモ主体の終戦後の食生活に戻るしかない。当時の米の一人一日当たりの配給は2合3勺だったが、それでも足りなかった。米しかない生活というものはそういうものだ。終戦直後、人口は7200万人だったが、米生産は900万トン程度あった。しかし、今の人口は1億2500万人だ。2合3勺の配給でも1200万〜1300万トンの供給が必要なのに、農水省とJA農協は、減反で675万トン以下に供給を抑えようとしている。今有事になると、備蓄を含めても800万トンしか食べる米はない。当時よりも、小麦の生産も激減しているので、“すいとん”も満足に食べられない。数千万人が餓死するだろう』(日本の農業政策は有事に国民を飢餓に導く〜ウクライナ危機の教訓 4月6日)

●食料自給率が心配

 こういう未来が見えているからこそ、国内で自分たちの力だけで食料を増やすことができる「培養肉」技術の確立が急務なのだ。

 農林水産省によれば令和元年度の食肉の自給率(重量ベース)は牛肉が35%、豚肉が49%、鶏肉が64%である。「なんだ、けっこうがんばっているじゃん」と胸をなで下ろすかもしれないが、この数字は有事にガクンと落ち込む。牛も豚も鶏もわれわれと同じで、生きていくには「食料」が必要だ。そのトウモロコシなどを海外の輸入に頼っている。

 この飼料自給率を反映した自給率は、牛肉は9%、豚肉は6%、鶏肉は8%である。シーレーンが使えなくて、人間の食料の輸入だけでも難しくなっていく中で、輸入トウモロコシも不足して価格も高騰する。農家は肉の生産どころではなくなってしまうのである。

 そこで、培養肉の出番である。少ない餌で肉を増やすことができれば、日本人の食料自給に貢献できる。それでは畜産農家が食いっぱぐれるのではと心配する人もいるだろうが、培養肉が増えて一般に流通すれば当然、「天然肉」の価値は上がっていく。わずかな輸入飼料で、これまでよりも高く肉が売れることは、実は畜産農家の生産生向上につながっているのだ。

 さて、こういう話をすると、「さっきから肉、肉ってうるせえ! 日本は海に囲まれているんだから魚を食えばいいだろ」と楽観視をする人もいるが、19年度の水産物の自給率は、食用魚介類(重量ベース)が56%で、こちらも半分近くを輸入に頼っているのが現実だ。しかも、水産庁によれば、輸入イカの46.7%は中国、輸入カツオ・マグロ類の12.5%が中国で、19.3%が台湾だ。もし台湾有事で、中国とにらみ合うことになればこれは吹っ飛ぶ。そのとき慌てて自分たちでイカやマグロの漁に出ようとなっても、船を動かすための燃料が高騰しているので、庶民は簡単に食べられなくなる。

 また、日本は「養殖技術」が進んでいるというイメージもあるかもしれないが、生産量は94万6000トンでまだ全体の2割程度だ。さらにこちらも餌や燃料が必要なので、有事の影響をモロに受ける。

●イスラエルは「培養肉先進国」

 このように「食の安全保障」を考えていくと、資源のない日本にとっては、先端科学で肉を細胞から増やしていく培養肉が最も適しているという結論にならざるを得ない。

 事実、日本同様に資源のない国、そして「食の安全保障」というものに真剣に向き合っている国は、そのような結論になっている。実はイスラエルは「培養肉先進国」としても有名なのだ。

 20年には世界で初めて培養肉を使ったハンバーガーショップができて、21年には、テルアビブから約20キロのところに世界初の産業用の培養肉生産施設がオープンした。これを応援しているのが国家だ。イスラエル経済産業省傘下のイスラエル・イノベーション庁は、培養肉企業で構成される培養肉コンソーシアムに1800万ドル(約23億円)の助成金を提供している。

 ちなみに、日清と東大の培養肉研究も、科学技術振興機構の「未来社会創造事業 (探索加速型)」に採択されており、「1件最大3500万円程度で多数の探索研究を支援する。絞り込んだ後に1件最大7億5000万円の本格研究という設計」(日刊工業新聞 2020年8月27日)だという。金をかければいいというものではないが、国がかける意気込みがまったく違うのだ。

 ここまでイスラエルが培養肉に力を入れているのは、ヴィーガンが多いからとかユダヤ教の戒律の関係だとかいろいろな分析があるが、筆者は有事に備えた「食の安全保障」が大きいと思っている。実はイスラエルは、米国やアルゼンチンに次ぐほど1人当たりの肉の消費量が多く、鶏肉の1人当たりの消費量にいたっては世界一だ。つまり、それだけ肉好きが多いということは、もし戦争になったとき、肉不足では前線の兵士や国民の士気を高めておくことができないということだ。

 国民の腹を十分に満たさなければ、「中国や北朝鮮の脅威に屈するな」とか「日本の領土を守るため徹底抗戦」なんて呼びかけはすべて上スベリしていくだけだ。そんな安全保障の本質を残念ながら日本政府は理解していない。それがよく分かるのが、「投資」である。

 培養肉を開発しているGood Food Institute Israelのレポートによると、21年には世界の培養肉企業への投資の中で、36%以上がイスラエルの企業に向けられている。そのスポンサーには、なんと日本企業もいるのだ。

 22年3月、味の素がベンチャーキャピタルを通して、イスラエルの培養肉スタートアップ企業スーパーミートに出資している。味の素の発酵や食品の製造ノウハウを組み合わせて培養肉の商業化を進めるという。

●国民を守るためには何が必要なのか

 日本は食料自給率が低い国なのだから、培養肉に活用できる技術があるのならば、国が音頭をとってそれらを集結させて、「日の丸培養肉」の開発を目指していかなければいけない。しかし、この国では「国防」というとバカのひとつ覚えのように、敵基地攻撃能力だ、核の抑止力だと繰り返すだけで、本当に国民を守るためには何が必要なのかというところまで議論がいかない。

 先の戦争で亡くなった日本軍兵士の6割は餓死だったという調査もある。石油がないので、松ヤニで飛行機を飛ばそうとしていた。では、そんな絶望的なエネルギー・食料不足に陥る前、日本は何をやっていたのかというと、「米国との軍事力の差をひっくり返せば戦争に勝てる」とせっせと世界最大の戦艦大和をつくっていた。

 「食料とエネルギーをいかに自給自足するか」という戦争の本質の前に、そんなものはほぼ役にも立たない。あっという間に撃沈されて海の藻屑となった。

 よく日本は「平和ボケ」というが、「戦争のやり方を知らない」という表現のほうが正しい。悲惨な歴史を繰り返さないためにも、日本政府は1日も早く、日清と東大が進めている「国産培養肉」の開発を国策にすべきだ。

(窪田順生)