関東圏では、私鉄の多くが全車座席指定制の通勤客向けライナー列車を導入している。例えば、京王電鉄の「京王ライナー」や東武鉄道の「TJライナー」「THライナー」だ。それらの車両ではロングシートとクロスシートが転換する車両を導入し、通勤時間帯は通路向きのロングシート、座席指定列車として使用する際には座席を進行方向に向け、クロスシートにしている。

 多くのライナー列車は、全車両が指定席となっている。そんな中、一部だけ指定席にして、既存の列車種別の中に含めている私鉄がある。関東圏では東急電鉄だ。

●東急の「Q SEAT」はどんなところが特殊なのか?

 東急大井町線では、2018年12月より急行列車での座席指定サービス「Q SEAT」を開始した。6020系や6000系の3号車をロングシート車からロング/クロス座席転換可能な車両に置き換え、平日の夕方以降に運行する一部の大井町発長津田行の列車で座席指定サービスを提供している。

 なぜ、ほかの鉄道会社が全車両で座席指定サービスを提供する中、東急電鉄では1両だけの座席指定サービスを提供するのか。それは座席指定サービスが普及する中、東急電鉄が置かれた状況で何ができるかを考えた末の結論だった。

●他社とは違う背景を持つ東急電鉄

 東急電鉄では、比較的長距離となる東急田園都市線に着席サービスが必要だと考えた。しかし東急田園都市線の渋谷駅は、島式ホーム1面2線であり、普段からホームには余裕がない。東京メトロ半蔵門線から乗り入れるゆえに、三越前や大手町始発という列車もあり得たが、混雑路線である半蔵門線のダイヤをさらに調整しなくてはならない。ゆえに、東急田園都市線のもう1つの直通路線である東急大井町線との直通とした。

 着席列車の頻度を多くしてさまざまな時間帯の着席ニーズに応じる代わりに、専用列車ではなく普段運行している列車に組み込むことでダイヤ上のネックを解消。発駅も大井町駅と東急電鉄の中だけで完結するようにし、渋谷方面発にしないことで半蔵門線、田園都市線の混雑を緩和する方法を取った。その結果、関東圏他社では見られない「一部座席のみを指定席とする」列車が誕生したのだ。

 こうした他社とは違う背景を持つ東急電鉄が、2023年度以降新たに「Q SEAT」の導入を決定したのは東急東横線である。

 東急グループは、「選ばれる沿線」戦略の第一人者である。しかし東急田園都市線、特に渋谷寄りの混雑や、東急東横線の距離の短さにより、鉄道そのものの乗車体験による快適さを提供する戦略は、打ち出しにくかった。

 近隣の小田急電鉄のように、「ロマンスカー」を走らせるほどの運行距離はないのだ。西武鉄道にまで乗り入れるからこそ、座席指定制の有料列車「S-TRAIN」は成立するのである。

 乗車距離は短い、着席サービスを提供したいとなると、特別な座席指定車両を一部で提供することになる。その際に先例になったのは自社内の「Q SEAT」である。

 「Q SEAT」という先例を受けて、東急電鉄では「新・中期事業戦略“3つの変革・4つの価値”」を策定した中で、「都市交通における快適性の向上と課題の解決」という項目を設け、その一環として有料着席サービスの拡充を打ち出している。

 とはいえ、東急電鉄で有料着席サービスを導入できる路線は少ない。比較的長い路線は田園都市線と東横線のみである。目黒線は、乗り入れ先の東京メトロや都営地下鉄との調整が必要であり、さらには今後直通する相鉄線との関係を考慮することも必要である。

●東横線に「Q SEAT」を導入する戦略的意味とは?

 田園都市線はすでに、大井町線から乗り入れる「Q SEAT」連結列車を運行している。東横線は東急電鉄のメイン路線であり、渋谷と横浜を結ぶ。東京メトロ副都心線や横浜高速鉄道みなとみらい線に乗り入れている。東横線の渋谷駅は、島式ホーム2面4線であり、駅管理業務は東急電鉄、さらに渋谷始発の東横線列車も設定できる。

 そんなこともあってか、東横線で23年度以降に「Q SEAT」のサービスを提供することになった。4号車と5号車に設定するという。全車両指定ではなく一部指定というのは、本数を増やしたい考えだと見て取れる。

 沿線には高所得層も多く、お金のかかる上等なサービスを提供しても好意的に受け止めてもらえる素地もある。この路線でこそ、東急グループはいいサービスを提供したいのではないか、と見ることも可能である。

 沿線住民に向けて、よりよいサービスを提供し、長く暮らしてもらうのも「選ばれる沿線」戦略の基本である。東横線に「Q SEAT」連結列車を多く走らせ、利用者に乗ってもらうことで、東急グループへのロイヤルティを高める効果がある。

 コロナ禍、東急電鉄沿線にはテレワーク可能な企業に勤めている人が多いこともあってか、利用者が減っている。利用者減をカバーするだけでなく、いまでも鉄道を利用している人によりよいサービスを導入するのが、「Q SEAT」が東横線で走る意味である。

 ほかにも、関東の大手私鉄で部分的な座席指定車両を導入しようとしているところがある。

●京王電鉄は「京王ライナー」に加えて一部座席指定列車も

 京王電鉄では、18年2月から座席指定列車「京王ライナー」を運行している。「京王ライナー」のために、ロング/クロス転換座席を備えた5000系を導入した。

 「京王ライナー」は現在、夕方と夜間の京王八王子、橋本行きに加え、朝時間帯の新宿行き、高尾山口への行楽列車なども設定されている。21年10月から土休日のみ、22年3月からは平日の列車も明大前に停車するようになり、渋谷方面へのアクセスが向上した。

 「京王ライナー」の列車ダイヤを見ると、既存のダイヤに挿入する形で運行している。一方、「京王ライナー」のように全車両座席指定ではなくても、新宿や明大前から座りたい需要があることも確かだ。

 新宿駅で京王電鉄を利用している人々を見ると、何本か遅らせてもいいから座りたい人がいることに気付く。一方、新宿発の「京王ライナー」は時間帯が決まっている。

 京王電鉄は22年度の鉄道事業設備投資についての文書の中で、「一部座席指定列車の導入等による終日運行の検討を進める」と明かしている。つまり、1両か2両座席指定車両を設定し、列車によっては着席サービスを提供するというものである。

 京王電鉄の新宿発特急の混雑はコロナ禍でも続いており、新宿へ向かう特急も、混雑していることが多い。京王では特急が最も混雑する列車種別となっている。ちなみに、京王の特急は特別料金を徴収しない。

 京王電鉄利用者の多くに「着席したい」というニーズがあって、それがどの時間帯でも見られる以上、部分着席サービスを導入する決断を下したのは正しい。需要に対してサービスを供給し、乗客のロイヤルティを高めることは東急電鉄と同じだ。特に明大前から京王八王子、橋本方面で「着席したい」と思っている人は多いだろう。

 京王電鉄も「選ばれる沿線」戦略を採用しており、近年はその傾向を強めている。良いサービスを提供する路線という評価が沿線住民に広がり、同じ沿線から離れられないようにするのが、東急グループや京王電鉄の基本的な戦略である。

(小林拓矢)