サイバーエージェントは7月末、2023年春の新卒入社初任給を42万円に引き上げると発表した。

 令和3年賃金構造基本統計調査(厚生労働省)によると、一般的な大卒者の平均初任給(残業代・賞与別)は22万5400円。微増傾向にあるとはいえ、バブル経済が崩壊した1992年頃から30年間にわたってほぼ変化していない水準といえる。そのような中、同社は平均の2倍近い額面金額となる異例の増額を実現し、広く注目を集めているようだ。

 そもそも同社の初任給は他社と比しても高額で、22年春入社の場合、年俸を12分割すると月額34万円という設定だ。エンジニア職採用においては一律の初任給を廃止しており、高い技術力を持つ人材は新卒でも月額60万円以上の給与を得られるようになっている。

 現時点でも十分高い水準のように感じられるが、同社はさらに23年度から、営業などのビジネス職やクリエーター職の初任給を一律で月額8万円(23.5%)引き上げ、42万円とした。技術力に応じて給与を設定するエンジニア職でも、37万5000円だった下限を同様に42万円に引き上げた。このように職種にかかわらず高い水準の待遇を実現しようとしているのだ。

 この取り組みはおおむね好感をもって受け止められており、「社会的にもインパクトのある素晴らしい施策」「この金額が上限ではなく『下限』というのがすごい」「ウチの会社もこれくらいの水準を目指したい」などと称賛されていた。

 同社では増額分の人件費として約2億6000万円程度の負担増を見込んでいるが、好調な業績によって2000億円近く積み上がっている現預金の一部を充てて賄う考えで、業績にさほどの影響もないという余裕の構えだ。

●ポイントは「数字の見せ方」

 そもそも市況として、若手人材の不足感は高まっており、大手上場企業を中心に給与水準を高めて取り込みを急ぐ動きが進んでいる。実際、東証プライム上場企業165社のうち、22年4月入社の新卒初任給を引き上げた企業は4割を超える。これは過去10年間でも最高水準なのだ。

 サイバーエージェント社の同業となるインターネット業界やゲーム業界でも、GMOインターネットグループやコーエーテクモホールディングスなどで初任給を引き上げる動きが出ており、企業の競争力を左右する優秀な若手人材は各社とも獲得競争の様相を呈している。同社の思い切った決断はまさにターゲットとなる層をひきつけ、新卒採用マーケットでも優位に立てるものと考えられる。

 しかし、同社の募集要項をよく読んでいくと、決して手放しでは喜んでいられない真の姿が見えてくる。ポイントは「数字の見せ方」だ。

 例えば、栄養ドリンクに「タウリン1000mg配合!」と表示があればいかにも効きそうな印象があるが、同じ分量でも単位を変えて「タウリン1g配合!」とすると、大したことないように感じられないだろうか。

 先般、通信大手のKDDIが丸1日以上にわたって通信障害を起こすトラブルが発生したが、ユーザーへの補償として総額「約73億円」の返金がなされると聞くと手厚い印象を抱く。しかし、対象者1人あたりの金額に直すと「200円」となり、ごくわずかに感じてしまうだろう。

 今般のサイバーエージェント社における初任給月額においても、同様の「数字の見せ方マジック」が存在する。確かに初任給額は「42万円」だが、これは多くの人がイメージする「月額基本給(残業代・賞与別)」ではなく、「年俸額504万円を12分割した1カ月分の金額」である。12分割であるから当然ボーナスという概念はない。

 新卒初年度の年収で500万円超であれば十分高いと思われるかもしれないが、ここにもう一つのからくりがある。同社はこの年俸額の中に、あらかじめ規定時間ぶんの残業代を含める「固定残業制」をとっている。すなわち、初任給42万円は「残業代・賞与込み」の金額というわけだ。

 固定残業制とは、実際の残業時間にかかわらず、あらかじめ一定時間分の時間外労働に対して定額の残業代を支払う制度だ。「◯時間分残業したとみなして支払う残業代」であることから「みなし残業代」とも呼ばれる。

 従って、固定残業制のもとでは、規定時間になるまではいくら残業をしても残業代はつかない。そして、同社における規定時間は「固定残業月80時間分、深夜残業月46時間分込み」。この時間設定が物議を醸している。

●42万円の内訳は「基本給25万円+固定残業代17万円」

 この固定残業時間をもとに「42万円」を分解すると、内訳は概算で「基本給金額約25万円」「固定残業代約17万円」との計算になる。「42万円」という数字のインパクトが大きくて一瞬思考停止に陥りそうになるが、このように落ち着いて情報を精査してみると、「月額基本給が約25万円なら、規模の大きいベンチャー企業であれば一般的な水準かも」と捉えられるようになるはずだ。

 ここで気にかかるのが、「固定残業月80時間」との設定である。本連載の読者であればよくご存じの通り、労働基準法の改正によって、大企業は2019年4月、中小企業は20年4月より、残業時間には上限規制がかけられることとなった。

 そもそも労働時間は原則、労働基準法で「1日8時間、週40時間」までと定められている。経営者はこの時間を超えて従業員を働かせてはいけない決まりなので、本来は「残業させること自体が労働基準法違反」となってしまうのだ。どうしても従業員に残業をさせたい場合は、労働基準法第36条の定めに従い、「労使間で協定を締結して届け出る」という準備が必要となる(36協定)。この手続きをして初めて、従業員に残業させても違法にならなくなるというわけだ。

 そして従前は法の抜け道があった。特別な事情があって労使が合意する場合にのみ可能な「特別条項付き36協定」を結べば、年間1000時間を超える残業でも青天井で命じることが可能だったのだ。先述の労働基準法改正はその上限にフタをして、文字通り「上限規制」をすることで、むちゃな長時間労働を不可能にしようとしたものである。

 改正後は労使間で36協定を結んでいても、上限は原則として「月45時間・年間360時間まで」となり、なおかつ「月45時間を超えることができるのは年間6カ月まで」と決められた。さらに特別条項を結んでも、「複数月の残業時間平均は80時間以内」「年720時間以内」という基準を超えることはできない決まりとなっている。

 法的規制にのっとって考えると、固定残業として設定できる残業時間はせいぜい「月30時間」(年間上限360時間÷12)であり、多く見積もったとしても「月45時間」(単月上限時間)が上限であろう。それ以上の設定となると、「違法レベルの残業が常態化している」と捉えられても文句は言えない。

 今般のサイバーエージェント社における「80時間」との設定は、この基準を明らかに上回っているため、

「そりゃ、それだけ残業すれば給料も高くなるはず」

「月々の残業が80時間超えだと過労死ラインでは?」

「基本給が高いというより、固定残業代を高く設定して、見せかけの給与水準を上げてるだけということ?」

──といった批判的な意見も見られた。果たして、このやり方には何か問題があるのだろうか。

●「月80時間分の固定残業代」てOKなの?

 労働法制に詳しいアクト法律事務所の安田隆彦弁護士はこのように語る。

 「固定残業制には落とし穴があり、それによって残業を事実上強制せさたり、固定枠を超えた場合には逆に残業代を請求しにくくしたりするような風土の会社もあります。また、規定した固定費のみもらっているが、それ以上に過酷な長時間残業を強いられる企業が出てくる可能性が高く、注意する必要があります」

 この点も留意しながら、今回のサイバーエージェントの事例を、「問題ない点」と「疑義がある点」に分けて解説しよう。

問題がない点

・「月80時間分の固定残業代」は「長時間残業を強制される」わけではない

 固定残業時間の設定が月80時間だからといって「毎月80時間の残業を強制される」というわけではない。あくまで設定上の上限値であるから、あらかじめ「80時間分の残業がある前提で、その分をみなしで払う」という意味でしかなく、早く仕事が終われば早く帰ればいい。

 仮に残業ゼロで仕事を終えられれば、80時間分の残業代は丸もうけということになる。効率的に仕事を進められる人にとってはメリットのある条件なのだ。

 実際、同社が公表している月の平均残業時間は「約31時間」。実情がこの通りであれば「月45時間以内」という法律の範囲内に収まっており合法であるし、社員にとっても約50時間分の残業代を余分にもらえているわけであるから、何も問題はないはずだ。

疑義がある点

・固定残業時間として月45時間を超える設定は「無効」とされる可能性が高い

 法の精神に照らして考えれば、月45時間を超える残業はあくまで「例外」の扱いだ。特別条項付き36協定を締結することで可能とはなるものの、それはあくまで「通常予見できない特別な事情が発生した場合に限って臨時的に許容」されるものだ。

 従って、固定残業代を「月80時間」で設定しているということは、「通年で45時間を超える残業が発生する」とみなしているわけで、仮に裁判になれば無効とされる可能性が高い。その場合、固定残業代は基礎賃金として扱われることになる。

 とはいえ、サイバーエージェント社の場合、「それだけの報酬を得るためには高いパフォーマンスを発揮しなければならない」とハードワークを覚悟した人物だけが入社しているはずだ。労務側でも、いちいち細かく労働時間を管理して残業代を精算するより、一括でドカンと払って思う存分仕事をしてもらったほうが都合がよい面もあるだろう。

 同社にとっては、新卒から実質的な裁量労働制を実現できる、お互いにWin-Winな取り組みであるといえよう。

 このように、固定残業制はあらかじめ一定の残業代が基本給に上乗せされるため、一見高額の報酬を用意しているように見え、求人の際に見栄えがよくなるメリットがある。その他、会社側は規定時間までは残業代の計算が不要になるし、労働者側は残業をしてもしなくても同じ金額が保障されるため、極力効率的に仕事を進めて早く帰ろうというモチベーションにつながる。

●トラブルを回避する方法は

 固定残業制はメリットが多いゆえに多くの企業で採り入れられている。しかし一方で、仕組みを誤解していたり、都合よく利用したりする会社も多く、トラブルにつながることがあるので、読者の皆さまも就職や転職の際には重々留意いただきたい。具体的には次のような点に注意することだ。

(1)求人票において、基本給と固定残業代を区別して表示しているか?

 固定残業代は、基本給や諸手当など他の賃金とは明確に区別して、具体的に表示しなければならない。

・適切な例:「月額25万円(20時間分の固定残業代3万円を含む)」

・不適切な例:「月額25万円(固定残業代含む)」

 基本給金額は、残業代やボーナスの算定基準となる。あえて固定残業代部分を高く設定し、意図的に基本給を下げることで、残業代やボーナスの負担を軽くしようともくろむ意地汚い会社もある。後々の金銭トラブルの原因にもなってしまうため、この点を曖昧にしている会社にはくれぐれもご用心頂きたい。

(2)残業実態を把握し、固定残業時間を超過した分の残業代はきちんと支払っているか?

 「あらかじめ固定残業代を支払っているため、いくら残業させても残業代はチャラ」だと勘違いしている人は意外と多い。しかしこれは明確な誤りだ。決められた固定残業時間を超えて残業をした場合は、当然ながらその分の残業代を追加で支払わなくてはならない。当然ながら会社側は、残業時間も固定残業制の有無にかかわらず、キッチリ管理し把握しておく必要がある。

 たとえ特別条項付きの36協定を結んだとしても、労働時間管理を怠り、「総残業時間は年720時間まで」「月45時間以上の残業は年6回まで」「残業時間は単月100時間まで」といった規定を超過してしまった場合は、罰則として「半年以内の懲役もしくは30万円以下の罰金」が科せられることになる。

(3)設定した固定残業時間未満の労働でも、固定残業代を支払っているか?

 さすがにここまでの誤解はないと思われるかもしれないが、まれに「固定残業として決められた20時間分の残業をしていないから、固定残業代は払わない」とする会社がある。

 当然、制度の趣旨として明らかに間違いだ。固定残業代は残業しようがするまいが、毎月定額で支払われる制度である。たとえ残業を一切せずに定時で帰ったとしても、決められた固定残業代が支払われなくてはならない。

 このように、労使ともに固定残業制についてきちんと理解をしておく必要がある。ぜひ効果的に活用し、それぞれのメリットを享受したい。

●著者プロフィール・新田龍(にったりょう)

働き方改革総合研究所株式会社 代表取締役/ブラック企業アナリスト

早稲田大学卒業後、複数の上場企業で事業企画、営業管理職、コンサルタント、人事採用担当職などを歴任。2007年、働き方改革総合研究所株式会社設立。労働環境改善による企業価値向上のコンサルティングと、ブラック企業/ブラック社員にまつわるトラブル解決サポート、レピュテーション改善支援を手掛ける。またTV、新聞など各種メディアでもコメント。

著書に「ワタミの失敗〜『善意の会社』がブラック企業と呼ばれた構造」(KADOKAWA)、「問題社員の正しい辞めさせ方」(リチェンジ)他多数。最新刊「クラウゼヴィッツの『戦争論』に学ぶビジネスの戦略」(青春出版社)