以下は、ある企業の執行役員の人が教えてくれた、社員に希望退職を促す“手口”です。

 「ターゲットを絞って、圧迫面接を繰り返して、じわじわ追い詰めるんです。あまりやりすぎるとパワハラになってしまうから気を付けなきゃいけないんですけど、会社側もわりと強気で。多分、以前より転職しやすくなったとか、日本型雇用はもたないという意見が増えてるからだと思います。

 僕は圧力をかける方なんで、正直しんどいですよ。圧力かければかけるほど相手は意固地になる。根比べです。人事には数値目標が与えられるので、仕事なんだと自分に言い聞かせてますけど『俺、何やってんだろう』と思うことは正直あります。社員に『お引き取り願いたい』と迫るのが、自分の仕事っていうのもむなしくなることもありますけど、会社が変わるためには仕方がないんですよね」

 彼をインタビューしたのは、新型コロナウイルスの感染拡大が深刻化する数カ月前。

 当時は、将来を見込んでの「希望退職」の名を借りたリストラに手を染める企業が目立ち始めていました。そこで、“切る側”の人たち数人にインタビューを行ったのです。

 あれから3年以上の月日がたち、くしくも現在、海の向こうの「大量解雇報道」が連日伝えられています。

 米国でメタが1万1000人以上、アマゾンが約1万人、ツイッターが約8000人の削減を発表し「世界を席巻してきたGAFAが大規模な人員削減に乗り出した」「日本も対岸の火事とはいえないぞ!」「そうだよ。円安だし、ウクライナのこともあるし」と、わが国の会社員を心配する人も少なくありません。

 一方で、「日本も解雇規制を緩和しないと!」という、いつも通りの声も高まってきました。

●半数以上は黒字企業 「希望退職」という美しい名のリストラ

 「日本は解雇規制が厳しすぎる、流動性がない」と主張する経営層は少なくありません。「解雇規制を緩和すべし、流動性を高めるのが先決、そうしないと経済成長はない!」と鼻息を荒くし、「流動性を高めれば賃金が上がる!」と、とにもかくにも「簡単に切れる」状況を望むのです。

 しかし現実をみれば、日本の解雇規制が厳しいからといって、事実上はリストラができないわけじゃない。ましてや黒字リストラも珍しくありません。

 2018年には、NECは3000人削減。三菱UFJフィナンシャル・グループは9500人分、三井住友フィナンシャルグループは4000人分、みずほフィナンシャルグループは1万9000人分の「業務量」削減などと、50代社員をターゲットに「リストラの嵐」が吹き荒れました。さらにコロナ禍が直撃した20〜21年の上場企業の早期・希望退職が拡大したのはご承知の通りです。

 早期・希望退職の実施企業は2年連続で年間80社以上にのぼり、2年間の募集人数は3万4527人と3万人を超えました。これはリーマン・ショック直後の09年〜10年の合計3万5173人に迫る高水準規模でした。

 また、22年1〜9月に早期・希望退職者の募集が判明した上場企業は、33社(募集人数5000人)にとどまるものの、実施企業の半数以上は黒字です。

 解雇規制が厳しい、解雇のハードルが高い、といわれるこの国で、これだけの人たちが「希望退職」という美しい言葉の名のもとに仕事を打ち切られている。しかも、“事業再編”という名目の黒字リストラは、一般化しているといっても過言ではありません。

●「日本は解雇のハードルが高い」に潜むウソ

 そもそも「日本は解雇のハードルが高い」と言われていますが、本当なのでしょうか。

 例えば、解雇のハードルの高さについて、経済協力開発機構(OECD)で使われるEPL指標(Employment Protection Legislation Indicators)で、欧米諸国と比べてみましょう。

 EPL指標は、雇用保護法制の強さを指数化したもので、指数が高ければ高いほど、規制が厳しいことを意味しています。

 欧州、特にオランダ、デンマーク、スウェーデンなどでは、1970年代から流動的な労働市場政策を進めてきた一方、ドイツは欧州の中でも比較的解雇規制が厳しいとされています。なので、ここではこれら4つの国に米国を加えたケースも比較してみます(「OECD Employment Outlook2013」より)。

 まず、正規雇用の場合、日本のEPLは2.09。これはOECDの平均2.29を下回り、雇用保護が低い=解雇しやすいグループに入ります。米国は1.17とさらに低く、確かに「切りやすい国」であることが分かります。

 一方、デンマーク2.32、スウェーデン2.52、オランダ2.94といった国々では、いずれも日本を上回り、解雇規制が厳しいドイツの2.98とも、さほど差がないのです。

 また、非正規雇用のEPL指標は、OECD平均が2.08で、日本は1.25とこちらも平均を下回っています。ドイツ(1.75)とデンマーク(1.79)も平均以下ですが日本よりは高い数値で、スウェーデン(1.17) 、オランダ(1.17)、米国(0.33)は日本を下回っています。

 つまり、「日本は終身雇用制度があるから、クビにできないから追い出し部屋やむなし」「解雇規制が厳しいから希望退職で圧力をかけるしかない」というのは間違いなのです。

 EPLで比較する限り、正規雇用・非正規雇用とも日本はどちらかといえば解雇しやすい国に分類されます。解雇への制約の存在を「日本型雇用システムの最大の特徴」と捉えるのは適切とはいえません。

●「雇用の流動性を高める=経済成長」の間違い

 日本では「雇用の流動性を高める=経済成長、賃金上昇」と思い込んでいる人が多いのですが、実際にはそうとも言い切れません。

 雇用の流動化=転職には、自分のキャリアアップのための自主的な転職と、希望退職も含めて会社都合の解雇があります。ここでは後者にスポットを当ててみましょう。

 流動性の高い米国ではこの手の調査が蓄積されていて、全体的には「転職で賃金が減る」という結果の方が圧倒的に多くなっています。割合にすると15%程度の減額で、その状態は5年以上続き、回復したとしても2〜3%程度とされています。景気が悪い時に解雇されると、20年近くも低賃金の状態が持続するという実証研究もあります。

 コロナ禍では事情が変わった可能性もありますが、ごく一部の“有能人材”だけが賃金があがるだけで、全体的にはこれまで通りという意見が優勢です。

 ここまでの結果が示唆するのは、「流動性が高くなる→スキルが生かせる→賃金が上がる→経済成長する!」という方程式は必ずしも成立しないというリアルです。

 特に、日本の場合はたとえ流動性が高まったとしても、いったん「正社員」の座を離れると「非正規」として雇用されるケースが圧倒的に多いので、まずは非正規との賃金差の解消が必要不可欠です。

 また、雇用流動化論を強く主張する人たちが想定しているような、「生産性の低い産業や企業から生産性の高い産業や企業に人々が移れば、経済全体の成長率も高まる」という都合のいい現象は起きていません。むしろ、生産性の低い産業に、低賃金で、不安定な状態で雇用されるパターンが実態に近いのです。

 極論を言えば、「流動性」が万事を解決するがごとく礼賛し続けている限り、未来はありません。非正規と正社員の賃金差問題、そもそも賃金が低すぎる問題、年齢差別問題など、すぐにでも解決できることは山ほどある。役職定年という制度の見直しも不可欠でしょう。

●企業をむしばむ、リストラの後遺症

 そして何よりも大切なのは、実質的リストラに「希望退職」という美しい言葉を使うのをやめること。リストラするなら正々堂々とやればいい。その上で、以下の歴然たる事実をお話ししておきます。

 リストラや失業が、体の健康や精神健康と関連が深いことは、以前から指摘されています。例えば、失業している男女は、超過死亡(予想される死亡数に対しての増加分)の頻度が高い他、主観的健康度も低いというのが研究者の一致した見解でした。

 そんな中、リストラという“イベント”そのものが健康に悪影響を及ぼすのか、それとも失業しているという“状態”が悪いのかを検討するために、1990年代、イギリスで大規模な調査が行われました。

 その結果、リストラ直後にほとんどの人の精神健康が悪化したのに対し、失業期間との関連は認められなかった。また、周りが次々とリストラされ「自分もリストラされるかもしれない」との不安を感じた人は、リストラされた人と同じくらい精神的健康度の低下が認められたのです。

 つまり、リストラというイベントは当人だけでなく、周りの社員にも「自分もいつか……」という恐怖を与え、会社からすれば「わが社の社員として頑張ってほしい!」と期待している人のメンタルにまで悪影響を及ぼしかねない「悪行」なのです。

 さらに、リストラの影響は「次世代」にも影響することも分かっています。

 カナダで行われた調査では、父親のリストラがその子どもが大人になったときの年収を9%下げることが分かった。父親のリストラで収入が下がるため、子どもの教育費用を減少させたり、父親が不健康になったりすることが子どもの成長に悪影響を与えるのです。

 これらの結果から言えるのは、リストラが社会に及ぼす影響は広範囲にわたるということ。本当に「未来を見据える」のであれば、安易にリストラに手を出すのは本末転倒。「今いる社員」が仕事への意欲を高められるような施策を講じることが先です。

 念のため断っておくと、私は転職したい人のスキルが生かせるような流動性は必要だと考えています。しかし、ただ流動性さえ高まれば万事がうまくいくといったような幻想は危険です。そうした考えはいい加減、捨てた方がいいと思います。

●河合薫氏のプロフィール:

 東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。千葉大学教育学部を卒業後、全日本空輸に入社。気象予報士としてテレビ朝日系「ニュースステーション」などに出演。その後、東京大学大学院医学系研究科に進学し、現在に至る。

 研究テーマは「人の働き方は環境がつくる」。フィールドワークとして600人超のビジネスマンをインタビュー。著書に『他人をバカにしたがる男たち』(日経プレミアシリーズ)など。近著は『残念な職場 53の研究が明かすヤバい真実』(PHP新書)、『面倒くさい女たち』(中公新書ラクレ)、『他人の足を引っぱる男たち』(日経プレミアシリーズ)、『定年後からの孤独入門』(SB新書)、『コロナショックと昭和おじさん社会』(日経プレミアシリーズ)『THE HOPE 50歳はどこへ消えた? 半径3メートルの幸福論』(プレジデント社)がある。