2023年8月29日、京急電鉄とJR東日本は連名で「品川駅街区地区における開発計画」を発表した。京急電鉄の地平プラットホーム化によって生まれる上部空間を活用する。構築物は北側から南側へ向かって地上28階建てのビル2棟、屋上庭園付き低層デッキ、地上9階建てのビル1棟だ。
現在、京急電鉄の品川駅は高架構造となっている。プラットホームが2階、駅事務室や改札口が1階だ。この計画によって京急電鉄の出改札機能が2階になる。JR品川駅の2階部分の改札外通路、京急電鉄の改札外通路、国道15号上に新たにつくられるデッキ空間を水平に結べる。これで歩行者と自動車の動線が分離されて、歩きやすく安全な街になる。
京急品川駅の構造を逆転させる計画は公表済みだ。駅の改良といえば線路部分の高架化だけれども、京急品川駅はその逆で高架駅を地平に降ろすという珍しい事例となった。この段階では、京急電鉄の上部空間を含めて、品川駅前にデッキ構造の大広場ができるだろうと思っていた。
しかし実際の計画はビル3棟だ。驚きつつも、確かに上部空間を広場だけにするなんて、もったいないと納得した。品川駅は交通結節点としてますます便利になるからだ。
現在は東海道本線、山手線などJR東日本の路線が集結するほか、東海道新幹線の駅もある。京急電鉄という羽田空港直結路線もある。今後はリニア中央新幹線の起点として工事が始まり、東京メトロ南北線分岐線もやってくる。
この計画の公開で品川駅周辺のまちづくりプランがそろった。
●交通結節点としての品川駅
品川駅は日本の鉄道駅としては最も古い。なにしろ1872年(明治5年)の日本の鉄道開業に先駆けて、新橋〜品川間で仮開業していたからだ。それから151年経って、現在も東海道本線にとっては主要駅のひとつだ。品川駅から乗り換えなしで行ける範囲は広い。
高速バスは千葉県、山梨県、静岡県へ発着している。かつては京急バスなどが鳥取方面、京都方面、盛岡・宮古方面、弘前方面、徳島方面ほか各地へ運行していた。しかし品川駅の北側にあった高速バス品川ターミナルが高輪ゲートウェイ関連の再開発によって営業終了し、品川駅の南西側、プリンスホテル付近に移転した。また、ほぼ同時期にコロナ禍となったため、新バスターミナル使用路線は全便運休している。運行を継続している千葉、富士山方面のバスは港南口のバスのりばを使っている。
国土交通省が事業主体となる品川駅西口開発計画によると、品川プリンスホテルがある高輪4丁目区画に、新しいバスターミナルを設置する予定になっている。タクシーや次世代モビリティの「デポ」と連携する施設となる。次世代モビリティはひとり用の歩行支援電動車両や超小型電気自動車で、「デポ」はモビリティを施設ごとに分散配置する乗降場だ。
品川バスターミナルはもともと駅から離れて不便な場所であり、バスタ新宿など新しい長距離バスターミナルの開業で人気がなかった。新バスターミナル完成後は高速バスが戻ってくるかもしれない。
●京急品川駅は地平化、そして北側に移動
京急品川駅の地平化は18年12月に決定した。この計画は品川駅の改良にとどまらない。実はもっと広い範囲に及び、北品川駅を含む高架連続立体交差事業のひとつになっている。北品川駅の前後にある踏切と、開かずの踏切として不評の八ツ山橋踏切を除却する。
駅と線路を高架化するため、北品川駅の南側から線路の標高を上げていく。しかし品川駅は地平だから線路の標高は今より下がる。そこで八ツ山橋踏切の北側から長い勾配で線路を下げていく。したがって、京急品川駅は現在位置より北側に移動するわけだ。泉岳寺駅にちょっとだけ近くなる。
京急品川駅を地上に降ろす手順として、まずJR山手線の留置線があった部分に同じ高さで仮のプラットホームを建設する。次に、現在の複線とプラットホームを維持しつつ、構造物を撤去して仮設構造に切り替えていく。この状態で地平プラットホーム2本とその両脇に線路を敷設する。地平設備が完成したところで線路を切り替えて地平プラットホームの使用を開始。引き続き旧プラットホーム部分にコンコース(連絡通路)をつくる。
高架駅に比べて、地平駅では線路の数が増えている。現在の京急品川駅はJR駅側に複線の線路があり、向かい合うようにプラットホームがあった。その外側にもうひとつ行き止まり式のプラットホームがあって、品川駅折返しの普通列車や有料座席列車「ウイング号」が使っている。地平化によって、プラットホームは2面、プラットホームの両側に線路が配置される。
現在の駅構造だと、折返し線路から横浜方面に向かう下り列車が、上り列車の線路を塞いでしまう。その結果、ダイヤが少しでも乱れると、分岐レール付近で列車が渋滞しやすかった。これが解消されるだけでも利点が大きい。
新しい地平プラットホームによって、都営浅草線直通列車は外側の線路、品川駅折返し列車は内側の線路という使い分けが可能だ。都営浅草線内で通過運転を実施する「エアポート快特」と、都営浅草線内で各駅に停まる特急、エアポート急行を品川駅で乗り換えできるようになる。さらに、8両編成の都営浅草線直通列車を京急線内で12両編成にすべく、4両の増結、切り離しを実施する作業を内側線で実施し、その間に外側の線路で列車を発着できる。
●泉岳寺駅はプラットホーム拡幅、引き上げ線増設
高輪ゲートウェイ駅周辺開発に合わせて、泉岳寺駅もホームの拡幅が行われる。泉岳寺駅は京急本線と都営地下鉄浅草線の境界駅だ。浅草方向に引き上げ線が1本あり、京急線内折返し列車が使っている。この引き上げ線も増設されるため、京急のエアポート快特、快特の泉岳寺始発の増便が期待できる。
●東京メトロ南北線分岐線は国道15号線直下、乗り換え動線も見えた
8月25日に公開された、内閣府・地方創生推進事務局の「第26回 東京都都市再生分科会 配布資料」によって、東京メトロ南北線分岐線の位置と乗り換え動線も明らかになった。
東京メトロ南北線分岐線は、16年の交通政策審議会答申第198号において「都心部・品川地下鉄構想」として記載された路線だ。東京都が計画し、東京メトロが第一種鉄道事業として建設、運行する。東京メトロ南北線は目黒〜白金高輪〜赤羽岩淵間を運行し、目黒駅側で東急目黒線〜新横浜線〜相鉄線、赤羽岩淵側で埼玉高速鉄道に直通する。
分岐線は白金高輪駅の引き上げ線を延長する形で南へ分岐し、品川駅に到達する。列車はすべて南北線の赤羽岩淵方面へ直通する予定だ。これで品川駅と訪日・在日外国人に人気の六本木、政治関係機関が多い永田町が結ばれる。
地下鉄南北線は国道直下地下2階に改札階、地下3階にプラットホームが建設される予定だ。地上などほかの階層はエレベーターとエスカレーターで結ばれる。北側自由通路、中央自由通路、南側自由通路に対応した3カ所に対応する。
●品川駅周辺は魅力あるターミナルシティになれるか
品川駅は日本の鉄道発祥からの歴史を持つ駅だ。しかし、大手私鉄が手がけた渋谷、新宿、池袋に比べると、ターミナルシティとしての魅力は薄かった。渋谷、新宿、池袋は高度経済成長期からデパートや映画館などが林立し、1970年代後半からはファッションビルや家電量販店が街の顔となっていく。大型書店、レコード店などのメディアショップも多く、若者やファミリー層の遊び場としてにぎわってきた。
一方で品川駅はオフィスビルとプリンスホテルに代表される「静かな街」で、高輪口のパチンコ屋が異質な存在に見えるほどだ。京急百貨店は小規模だし、映画館はなかった。1970年代にボーリングとアイススケートが人気だったとはいえ、遊び場としては五反田、新橋、大井町の陰に隠れた街といえた。
02年にやっと「品川プリンスシネマ(現T・ジョイ PRINCE 品川)」というシネコンができた。続いて05年に水族館「エプソン 品川アクアスタジアム(現マクセル アクアパーク品川)」ができる。ここは元ボーリング場だったところで、移設後のボーリング場は80レーンの大規模な施設になっている。
例えば、東急電鉄沿線の人々は渋谷に行きたがる。小田急電鉄や京王電鉄沿線の人々は新宿へ。東武東上線や西武鉄道沿線の人々は池袋へ行く。しかし、私が大森に住んでいた00〜15年頃、大田区の京浜東北線や京急電鉄沿線の人々が遊びに行くところは川崎だった。確かに川崎には「なんでもある感」があった。シネコンも複数、家電量販店もLサイズ専門店もある。
大森に住み始めた頃は、都内に住んで神奈川県へ遊びに行くのかと意外だった。しかし品川にはにぎわいがなかったし、だからといって品川乗り換えで渋谷へ行くのもおっくうだ。川崎なら電車1本である。品川を通り越して有楽町へ行くよりも、川崎のほうが近くて庶民的だと感じた。
品川駅の高輪口はプリンス系の高級感、港南口は食肉市場もあって飲食店も多く、労働者の街だった。国鉄分割民営化で貨物ヤードが売却され、品川インターシティという高層オフィス街になった。これで港南口のイメージが変わり、ビジネスパーソンの街になった。飲食店などテナントも洗練されている。こうしたキリッとしたビジネス街が品川駅周辺の特徴かもしれない。京急品川駅上空に建設予定のビル3棟もオフィスやホテルだ。品川らしい開発といえる。
都市計画はハコモノと街路しか示さない。街はテナントがつくる。品川で働く、遊ぶことがひとつのステータスかもしれない。だから品川駅周辺が渋谷や新宿のような街である必要はない。しかし、もっとにぎやかで幅広い人々に好かれる街であってほしいとも思う。
(杉山淳一)