羽田空港に向かう人の多くは、東京モノレールもしくは京急電鉄を使用する。この2つの鉄道ルート以外では、リムジンバスを使うことが多い。

 東京モノレールの始発駅は、モノレール浜松町駅である。同駅に接続しているのは、JRの山手線と京浜東北線しかない。都営浅草線と都営大江戸線の大門駅も東京モノレールに接続するものの、徒歩で少し距離がある。

 おそらく、東京モノレールを使用して羽田空港に行こうとする人の多くは、JRを使用していると考えられる。どちらかといえば、東京駅方面から来る人が多いのではないだろうか。

●東京モノレールが羽田空港アクセス鉄道をほぼ独占していた時代

 かつて羽田空港へアクセスする鉄道は、東京モノレールしかなかった。京急電鉄が羽田空港アクセスに名乗りを上げたのは、羽田空港が沖合に展開することになって、1993年4月に羽田駅(現在の天空橋駅)まで延伸、バスを介して空港アクセスが可能になったときからだ。

 現在の羽田空港ターミナルができたのは1993年9月。京急がこのターミナルに乗り入れたのは1998年11月である。

 成田空港が1978年5月に開港し、国際線のほとんどが成田に移転するまで、羽田は国際線/国内線ともに使用される空港だった。現在よりも飛行機を使用する人が少ない時代だったことを考慮しても、モノレールだけで大半の空港アクセスを担える時代があった。

 その後、国内線需要が急増し、羽田空港は限界に達しつつあった。それゆえに現在のように沖合に空港を展開することになった。同時に空港アクセスが足りないということで、京急にお声がかかったという状況だ。

●東京モノレールの始発はなぜ浜松町なのか

 東京モノレールは、1964年9月に開業した。最初の東京五輪の直前だ。五輪に合わせてがんばってつくったという見方もできる。

 それにしても「なぜ浜松町が始発なのか?」は気になるところである。当時の繁華街があった有楽町駅や新橋駅ではなく、国鉄のサブターミナルだった品川駅からでもない。本当だったら東京駅から出発していてもおかしくないくらいだ。

●急いでつくるにはここしかなかった

 東京モノレールは当初、大和観光という企業が手掛けていた。同社は東京五輪の開催が決まった後、1959年8月に設立。当時はモノレール事業だけでなく、ホテルや旅館、観光バス、タクシー事業も手掛けていた。

 当初の予想だと、空港利用者は少なく、採算の見通しが立たなかったという。それでも、東京五輪のために空港アクセスのモノレールをつくる必要があったのだ。

 当初の計画によると、始発駅は新橋だった。新橋は山手線や京浜東北線だけではなく、東海道本線も停車していたためだろう。この当時は、東海道本線の列車が上野方面に直通することもあった。ということで、羽田空港の玄関口は浜松町ではなく、新橋であればもっと便利だったはずである。

●なぜ新橋駅ではダメだったのか

 ただ、新橋駅周辺は土地の確保が難しい状態があった。まず、現在の「ゆりかもめ」の新橋駅や汐留駅のエリアには、汐留貨物駅などの広大な土地が広がっていた。

 このほかにも民間の土地を買収しなければならない箇所が多くあり、五輪開催までに開業というデッドラインを考えると、浜松町しかなかった。浜松町ならば、駅周辺の土地もあり、あとは運河などの上を通すだけで工事は完了する。

 一応、新橋駅まで延伸する計画は残っていたものの、建設区間の短縮に伴って、1966年に免許は失効している。開業当時の東京モノレールは、13.1キロの距離を走っていた。この間に駅は1つもない。起点と終点だけの「各駅停車」の列車しかなかったのだ。

 東京五輪が始まると多くの人が利用し、1日の最高利用者は5万5000人に達したという。しかし五輪後には利用者が減り、赤字体質の企業になる。

●東京五輪終了後の東京モノレール

 当時、飛行機はまだぜいたくな乗り物であり、東京モノレールの運賃も片道250円だった。1964年は新聞の定期購読が1カ月450円だったことを考えると、結構な金額だったといえる。

 それゆえに五輪終了後は経営が厳しくなる。大井競馬場前駅を開業したり、運賃値下げしたりして、需要喚起に取り組むものの、うまくいかない。大和観光改め東京モノレールの大株主だった名古屋鉄道は撤退、日立製作所が資本参加する。

 1972年度には黒字となり、国内航空路線が充実することで利用者も増加。ホームも延伸し車両も長編成となる。中間駅も増えていく。京急電鉄が羽田空港に乗り入れるまで、東京モノレールは羽田空港アクセスの主たる交通手段だった。モノレールでは足りないので、京急電鉄も羽田空港にやってくることになったのだ。

●東京モノレールはJR東日本の子会社に

 東京モノレールは京急電鉄やリムジンバスとの競争に対抗するために、2002年にJR東日本の傘下に入った。日立系列が持っていた株も全日空や日本航空に売却。日本航空は経営危機の際に、持ち株をJR東日本に売却した。

 JR東日本の京浜東北線は、昼間時間帯に快速が浜松町を通過していたが、これを停車させることで利便性が向上する。モノレール浜松町駅を改修し、Suicaの導入やホームドアの設置、ワンマン運転の実施など経営改善にも取り組んだ。JR東日本が株式を取得する前に列車種別を複数にし、途中駅で追い抜きができるようにした。

 その後、東京モノレールは、浜松町駅の拡張などを計画している。過去には、新橋駅や東京駅への延伸も計画したことがある。

 一方で、JR東日本は羽田空港アクセス線の計画を発表し、2031年度に開業を予定している。同じJR東日本グループ内で、羽田空港アクセスと東京モノレールが競合することになるのだ。

 ただ、このような競合路線をJR東日本がつくり、一方でモノレールの都心方面への延伸計画がときどき出てくる状況は、羽田空港の利用が活発であることが背景にあるのではないか。京急電鉄も羽田空港第1、第2ターミナル駅の利便性を向上させようと、この駅に引き上げ線をつくる計画がある。

 東京モノレールの新橋、東京方面への延伸が難しい理由には、土地確保の問題があると考えられる。と同時に、使用されていない貨物線の大汐線を改良して都心部を何とかするというJR東日本の羽田空港アクセス線の計画もまた、鉄道用地の確保が難しいことを示しているのではないだろうか。

(小林拓矢)