宇宙で造ったビールで乾杯。そんな夢のような世界を実現しようとする企業がある。バルブやポンプなどの流体制御機器を作っている、“町工場”高砂電気工業(名古屋市)だ。

 「われわれは醸造のプロではありません。しかし『“テキトー”にビールを造るのでは』といわれるのは嫌でした」──そう話すのは同社の前川敏郎さん(新規事業・イノベーション推進チーム)。自身でビール醸造の現場を何度も取材。自宅でもホップの栽培を行い、本気でビール造りに取り組んできた。

 近未来には宇宙空間で人類が暮らすようになるといわれる。閉鎖的な空間で長期間、心豊かに暮らすためにはおいしい食べものや嗜好品は重要だろう。代表的な嗜好品としてお酒(ビール)を思い浮かべる人も多いかもしれない。

 地上と宇宙で醸造方法は異なるのか? 異なるとしたら、どのような仕組みなのか? そもそも町工場のメーカーが、なぜビール造りにチャレンジするのか?――疑問は尽きない。プロジェクトに携わる前川さんと、浅井直也会長に話を聞いた。

●連載:食いしん坊ライター&編集が行く! フードテックの世界

ニューノーマル時代を迎え社会にますますテクノロジーが浸透する今、人の根本を支える“食”はどうなっていくのか――“食いしん坊”を自称するライターの武者良太さんと編集の安田が、テクノロジーと食が融合したフードテックの世界に迫ります。

●関係者全員が「ビール好き」

 宇宙ビールの製造は海外でも進んでいる。世界的なビールブランド「バドワイザー」を手掛ける米Anheuser-Busch InBevは、2017年に宇宙空間で大麦の発芽実験をスタート。SpaceXが打ち上げた無人宇宙船に醸造装置を搭載した。彼らは火星でビール醸造を行う第一人者となるべく、宇宙空間でのビール製造に取り組んでいる。

 対して、高砂電気工業は人工衛星や国際宇宙ステーション(ISS)でビールを自動醸造する装置を設計している。バルブやポンプなどの流体制御機器や再生医療分野で細胞培養を自動化する製品などを手掛ける同社には、世界中の企業や研究機関などから製品の問い合わせが頻繁にあるという。17年のある日、米国のカリフォルニア大学サンディエゴ校の学生から届いたメールには「月面でビールを造るプロジェクトをやりたい。そのために小型のポンプについて知りたい」と書かれていたそうだ。

 残念ながら彼らのプロジェクトは、プロジェクトを応募していたコンテストが頓挫したため中止となったが、高砂電気工業には火がついた。

 「その後、NASAのエンジニアと宇宙での細胞培養について話す機会がありました。彼いわく、宇宙では細胞の培養が難しい。重力がないため、培養液の対流が起こらないからです」と浅井さん。月面は地球の1/6とはいえ重力があるため、対流は起きるはず。しかし、無重力空間では液体の流れを作らねばならない。

 同社はもともと、再生医療分野で培養液の対流を作る技術を持っていた。それがJAXAの目にとまり、JAXAがISSで行う細胞培養の実験プロジェクトに参画。無重力空間で動く培養装置を作っていた。

 「われわれに醸造装置を作る技術力はありました。私や浅井がビール好きなので、宇宙でビールを醸造するプロジェクトを始めることにしました」と前川さん。プロジェクトには、人工衛星の研究や人工流れ星の開発を目指すベンチャーALE(東京都港区)も参加。彼らもビールを愛飲しているという。きっかけとなったプロジェクトが頓挫しても、メンバーのビール好きが高じて宇宙ビールの醸造に本気でチャレンジすることになった。

 では、宇宙の醸造装置は一体どのようなものだろうか?

●無重力・閉鎖環境でビールを醸造するには?

 醸造装置について説明する前に、ビールの造り方を簡単に説明しよう。ビール酒造組合によると、まず麦芽からホコリなどを取り除いた後、水に浸し発芽させ、温風を当てて乾燥。次に麦芽に温水を混ぜると、麦芽の酵素の働きによってでんぷんが糖分に変わり、液体が糖化。それをろ過してホップを加え煮沸した後、冷却して酵母を投入。酵母によって発酵が進み、液体がアルコールと炭酸ガスに分解される。熟成を経て、ビールの味と香りが生まれる。

 プロジェクトを始めたものの、高砂電気工業にはいくつかの壁があった。まず宇宙空間での酵母の働きが未知数のため、どのような仕組みが適切か分からない。無重力空間で稼働する閉鎖式の装置も設計しなければならない。

 「地上の醸造では酵母が活動する熱によって液体が混ざりますが、無重力空間ではそれが起きません。炭酸ガスの分離も問題です。地上の装置は上部が開放されるため余計な気体が自然と抜けていきますが、宇宙空間ではそうもいかないのです」(前川さん)

 さらに人工衛星の打ち上げには、総重量が1g増えるごとに1万円、1kgで1000万円の追加費用が必要になるという。そのため醸造装置は、できるだけコンパクトでなくてはならない。

 こうした点を踏まえ、第1世代の醸造装置は10cm四方の超小型の人工衛星「キューブサット」に入るサイズで設計。タンクやバルブの他、ホップなど材料を収納するパーツも極めて小さくした。

 第1世代はパーツとパーツを結ぶ配管が露出していたため、第2世代で改良を進めた。複数の管が分岐する構造の筒「マニホールド」を用い、体積は倍の10cmx10cmx20cmに。第1世代から引き続き、発酵時に発生した炭酸ガスを抜く「デガッサー」という装置も組み込んだ。

 「宇宙空間でビールを発酵させると、酵母のまわりに球状の炭酸ガスが付いているのではと想像しています。デガッサー内の気体透過性膜を通し、圧力を調整することで気体だけを抜けるのではと考えています」(前川さん)

 液体を混ぜることについては、複数の配管とバルブを活用。例えば1番の配管から液体を入れ、2番の配管から抜き、3番は閉じておく。次に2番を閉じて3番から抜く、といったようにマイコンでコントロールすることで対流を作る。バルブの開く方向を繰り返し切り替えることで、タンク内で強制的に撹拌できるそうだ。

 ところで、デガッサーで抜いた炭酸ガスの処理はどうするのだろうか。

 「実験では宇宙空間に放出すると思います。1カ所から放出してしまうと衛星の姿勢が変わってしまうので、対角線状に2箇所から放出します」と前川さん。改めて地上での醸造とは全く違う考え方なのだ、と感じる。

●味も追求できる“全自動醸造”

 ところで、宇宙空間で造るビールの味はどうなのだろうか。嗜好品であるからには、不味くて良いわけはない。

 「宇宙空間でもホップが決め手です。良いホップを適切に使うことで、味と香りが決まり、劇的においしくなります。われわれの装置も、適切なタイミングでホップを加える仕組みが組み込まれています」(浅井さん)

 宇宙空間は多くの制限はあれど、地上のビール醸造とできるだけ同じプロセスを再現したいという。さすがに宇宙で一から麦芽を糖化させることは難しいようで、麦芽を糖化させたモルトエキスを使うことにはなったが、苦味を付けるビタリングホップと香りを付けるアロマホップを投入できるようにした。つぶして固めたホップを詰めたマイクロタンクを用意し、適切なタイミングでビール液を通すことで添加と同じ状態にするという。

 焙燥したスペシャルモルトの投入もコントロールし、ビールの風味を高める仕組みも組み込んだ。クラフトビールのテクニックといえる瓶内発酵も再現できるよう、一次発酵が終わったら少量のビールを循環させ、残った酵母で二次発酵させて炭酸を加えられる構造だという。

 よくぞ、手で持てる箱に収まるサイズの機械で、ここまでのこだわりを――。無人環境だから全自動化も必須だというのに。

 「京都の伏見にある松本酒造の醸造アドバイザーの方に、設計図を見てもらったところ『OKです』とお墨付きをいただきました」と浅井さん。高砂電気工業はまだ醸造免許を取得していないため、京都市のクラフトビールメーカー西陣麦酒に協力を依頼し、12月ごろに地上での実験を行う予定だ。

●自動醸造は地上でも生かせる仕組み

 協力者やスポンサー探しにいそしむ浅井さんいわく、このプロジェクトの意義は2つあるという。1つは無重力な空間で流体を制御する技術の確立、もう1つは人間が行ってきたプロセスの全自動化を目指すことだ。ビール醸造の工程もそうだし、微生物や菌の培養技術の工程の自動化もそうだ。

 「単においしいビールを飲むだけではなく、応用範囲の広い技術になると考えています。培養肉の塊肉を作れるかもしれませんし、ミドリムシのような藻類の培養もできたらバイオディーゼル燃料も作れます」(浅井さん)

 宇宙空間での発酵プロセスがどのようなものかは未知の世界だ。こればかりは地上で実験できない。もくろみ通りにうまくいくかは、宇宙で試してみなければ分からない。

 しかし、人間が行ってきたプロセスの全自動化とおいしいビールを造るプロセスを合わせたら、ITやAIを活用した日本酒づくりで世界的ブランドとなった「獺祭」のような姿を目指せるのではとも感じる。高砂電気工業のアプローチは、宇宙空間だけではなく地上でも開花するフードテックとなるのではないだろうか。