もう2月になってしまったが、1月に米ネバダ州ラスベガスで開催された「CES 2024」を振り返ってみると、「テクノロジー(技術)」と「マーケット(市場)」の両面においてさまざまな“メガトレンド”の萌芽(ほうが)が見受けられた。その1つが「Spatial Computing」、日本語でいうところの「空間コンピューティング」である。

 空間コンピューティングというと、「Appleが『Apple Vision Pro』の付加価値を高めるために考案したマーケティングワード(造語)でしょ?」と捉えられがちだ。確かに、Appleは開発者に対して「VR(仮想現実)」や「AR(拡張現実)」といった従来からあるテクノロジーワードではなく、空間コンピューティングという言葉を全面に打ち出している。

 しかし、この言葉を初めて大々的に使い始めたのはAppleではない。Microsoftだ。

 Microsoftが2016年、ARデバイス「HoloLens」を開発者向けに発売した。その前年、同社はコンピュータゲームの展示会「E3」でHoloLensのデモンストレーションを行っていたのだが、その際しきりに「これは単なるARグラスではなく、空間コンピュータ(Spatial Computer)なのです」と話していた。

 その後、HoloLensプロジェクトは一部の企業ユーザー向け(つまりB2B)に焦点を当て直し、2019年には第2世代に相当する「HoloLens 2」を発表したが、その後の追加投資には至らなかった。

 いったんはしぼむかに見えた「空間コンピュータ」だが、Appleが2023年6月に「空間コンピューティング」というキーワードで掘り起こし直し、技術的な進歩と同社の大規模な投資が明らかになると、多くの企業がこのテーマに取り組むようになってきている。

 先のCES 2024では、その潮流が明確なものとして見えるようになった。前置きが長くなったが、そのいったんを紹介しよう。

●「空間コンピューティング」に向けた“助走”

 CES 2024では、空間を取り扱うためのデータ作成ツールがいくつか展示されていた。

 従来から「3Dスキャナー」の類いはから存在しているが、設置面積を広く取らなければならない規模が大きなシステムが中心だった。しかし最近は、AppleがiOS/iPadOS向けに提供している「ARKit」を活用して、3Dオブジェクトを気軽にスキャンができるアプリが登場している。

 例えばiPhone 15シリーズのリリース時には「Luma AI」というアプリが注目された。そしてCES 2024で展示されていた「VRIN 3D」は、生成AIを用いることで手軽さをそのままにスキャン品質を向上させている。光沢感や金属感、テクスチャの風合いや自然な影の付き方などを生成AIで補完し、作成される3Dモデルを一層リアルなものにしできていた。開発元のRebuilderaiによると、本アプリはまず企業向けにリリースした後、クリエイター向けにも展開する予定だという。

 このジャンルのアプリは、追いきれないほど増加している。CESでは展示されていなかったが、「Qlone 3D Scanner」もAI技術を用いることでリアリティーを確保している。VRIN 3Dとは異なり、このアプリは無料で利用可能だ。とりわけ人物のスキャンが得意だが、一番の特徴は使い方が容易なことだ。対応するiPhone(またはiPad)を持っている人は、ぜひ試してみてほしい。

 いずれも比較的少ない投資で実現できるモバイルアプリだが、通販向け商品の空間データ化などへの活用が急速に進む兆しも見え始めている。

 もう1つ、興味深い技術として取り上げたいのが、Dimension Xというベンチャー企業が開発したプラットフォーム「Bonfire」だ。

 Bonfireはノーコード/ローコードでシナリオ付きVRコンテンツを制作できることが特徴だ。手軽にシーン(空間)設計やシーンデータのインポートも可能で、そこにさまざまなプリセットのオブジェクトを並べることで、空間データを設計できる。

 シーンの構成要素や並べるオブジェクトなどには物理特性がプリセットされているので、VRシーンの構成も簡単だ。そこにシナリオをのせて、条件分岐でシーンを前に進めていくこともできる。

 企業向けのVRを用いた教育トレーニングコンテンツを提供しているPIXO VRは、Dimension Xと提携し、企業が自らXRを活用したコンテンツを制作できるサービスを展開する。例えば「チェーン展開を行う飲食店のキッチンスタッフをトレーニングするコンテンツ」などを作る予定だという。

 もちろん、これらは企業向けのXRソリューションであり、「Apple Vision Proが目指す一般ユーザー向けの空間コンピューティングの世界からは乖離(かいり)しているのでは?」という指摘もあるだろう。

 しかし、これらの動きは今後はさまざまなデータが“空間化”されていくという将来を示唆している。Bonfireも「企業向け教育コンテンツ」に特化されているわけではなく、「コンシューマー向けのコンテンツをVR空間で作る」といった用途にも利用可能だ。

 ここまで紹介してきたアプリやソリューションは、これまでなかなか市場として立ち上がってこなかった「VR/AR業界」の中で、少しづつ積み重ねられてきた“成果”ではある。今後期待されるのは、Apple Vision Proを通してその体験レベルが向上し、「空間データを扱うコンピュータ」が一般化する世界への展望だ。

 そうした意味では、他多数の関連展示も含めて、やっと空間コンピューティングという文脈でVR/AR市場が本格的に立ち上がるという期待が高まっていることは間違いない。

●空間コンピュータへとつながる「点」と「線」

 「空間コンピュータ」というキーワードを掲げ、Apple1社だけが製品を出したところで、「他にライバルが参入しないようでは……」という意見もあるだろう。

 この指摘には全くもって同感だが、Apple Vision Proの発売に際して書いたコラムでも触れた通り、Appleは簡単には真似ができないほどの大規模投資と、多方面からのアプローチで市場の立ち上げに挑もうとしている。彼らの取り組みがうまくいき、数年で空間コンピュータへの潮流がより明確になっていくとしたら、それはAppleが巨額を投じた“賭け”に勝ったということだ。

 一方で、Appleのような「垂直統合された技術」で実現しているわけではないが、空間コンピュータ実現に向けた“ピース”は集まりつつある。

 ソニーがCES 2024で展示した業務用のXRヘッドマウントディスプレイ(HMD)は、「ディスプレイ」と称しているものの、実態はAndroid OSベースで開発されたスタンドアロンでも動作するデバイスとなっている。搭載するマイクロOLED(有機EL)パネルは55PPD(※1)と、スペック的にはApple Vision Proと同一の高精細表示が可能だ。

(※1)PPD(Pixel Per Degree):視野角1度当たりのピクセル(画素)数

 実際に試してみると、その鮮烈な解像感は肉眼で見る景色を超えている。「MRモード」(カメラを通じた実空間との重ね合わせ)のデモはまだ行えない状況とのことだったが、言い換えればこのクラスの視覚的リアリティーは、すでに量産可能な状況にあるということだ。

 このソニー製HMDには、QualcommのXRデバイス用SoC「Snapdragon XR2+ Gen 2」が搭載されている。このチップはGoogleとSamsung Electronics(サムスン電子)が「次世代XRデバイス」でも採用することを表明している。

 Qualcommは、このチップに加えてスウェーデンのTobii(トビー)が開発した視線トラッキング技術を活用したMR/VRデバイスのレファレンスモデルも同時に発表している。恐らく、Apple Vision Proと同様のコンセプトで新しいユーザーインタフェース(UI)を提案することになるだろう。

 SoCの話に戻るが、Snapdragon XR2+ Gen 2は、その名の通り“第2世代(Gen 2)”のSoCなのだが、GPUの能力は最大2.5倍に引き上げられている他、AIパフォーマンスが最大8倍向上している上、最大12個のカメラ/センサーからのストリーム信号を同時に受信/処理できるアーキテクチャとなっている。

 ディスプレイも片眼当たり最大4.2K解像度をサポートしていることから、Apple Vision Pro並みのディスプレイ品質を実現できるだけの“基礎的要件”は満たしている。

 つまり、(彼らがどう呼ぶのかはさておき)次世代の空間コンピュータを構築できるだけのデバイスやハードウェアの要件はきっちりとそろっているし、そのハードルは明らかに下がっている。

 あとはGoogleが、このプラットフォームに対してどこまでフレンドリーなソフトウェア、サービスプラットフォームを構築し、それぞれの点を線で結んでいくかという段階だ。

 今後予定されている「WWDC 2024」において、AppleはApple Vision Proに搭載される「Vision OS」に関する新しい取り組みや年内のアップデート計画、それに本デバイスのグローバルでの販売計画について話すと予想される。

 これに続く形で、Qualcomm、Samsung、Googleのトリオがリファレンス製品を見せれば、一気に「空間コンピュータ」への流れができるだろう。