林信吾(作家・ジャーナリスト)

「林信吾の西方見聞録」

【まとめ】

・法律は完璧ではなく、時代の変化に応じて手直しされて行くもの。

・飲酒運転、ストーカーなど厳罰化による一定の効果が見られる例も。

・これ以上の被害者を出さないよう、虐待についても警察の早期介入を認めるべき。

 

2008年に起きた秋葉原連続殺傷事件を機に、ネット上での「犯行予告」について、それ自体が脅迫罪に当たるとして取り締まられるようになった、と述べた。

逆に言うと、それ以前はネット上で「通り魔やります」と書いても警察は動かなったのだ。その理由は一種の「不能犯」と見なされていたから、と解釈する向きが多い。

不能犯の典型的な例が「丑の刻参り」である。誰かに見立てた藁人形に五寸釘を打ち込む例のやつだが、呪いを込めて藁人形に五寸釘を打ち込んでも、それで人が死ぬはずはないので、これは殺人予備罪に該当しないとされてきた。ただし、その動画を相手に送りつけたりすれば、今の法解釈ではれっきとした脅迫罪になる。ネット上の犯行予告もこれと同列に判断されるようになったわけだ。

もうひとつ、刑事罰というものは、実際に犯罪が行われてからでなくては科すことができない、という考え方もあったことを指摘しておきたい。不能犯は処罰されないというのも、この考え方に非常に近いものであるし、犯行予告の段階で犯罪の構成要件を満たしているとするのは、一種の「予防拘禁」ではないかという声も実際に聞かれた。犯罪を犯す可能性がある、と判断された人物を拘束し、行動の自由を奪うことで犯行を不可能にしてしまおう、というのが予防拘禁で、今では信じがたいことだが、20世紀まで多くの国の法体系の中に、こうした制度が存在したのである。

この例でもお分かりのように、法律はもともと完璧ではなく、時代の変化に応じて手直しされて行くものなのだ。また、前回の最後に私が「墓石安全論」も頭から否定する気にはなれないと述べたのも、事件が起きてもいないのに、危険なものはなんでも取り締まれというのでは、安全どころか住みにくい世の中になってしまう恐れがある、というのが真意だとご理解いただきたい。銃刀法の問題にせよ、「刃物それ自体に罪があるわけではなく、あくまでも持ち主の心がけの問題」だと言われれば、反論は難しいのではないか。

米国では、乱射事件が起きるたびに銃規制論議が高まるが、最終的にはこの次元に帰着してしまう。具体的には、銃を購入する際の身元確認の厳格化などで事足れりということになるのだ。わが国でも、2019年に起きた京都アニメーション放火殺人事件の後、給油ではなくガソリンを容器で購入する場合、身元を確認するようになった。

このように実効性を疑われても仕方のない面はあるのだが、やはりネットでの犯行予告を取り締まりの対象にしたことは、我が国の治安をよくする、という観点からは一定の効果は生まれたと評価できるのではないだろうか。

なぜならば、秋葉原連続殺傷事件を引き起こした当の犯人が、直前まで実行を躊躇していたが、ネットで予告した以上もはや引っ込みがつかないと考えて犯行に及んだ、という趣旨の供述をしている。今さら「たら、れば」を言ってなんになるのか、との批判は覚悟の上で、犯行予告の時点で警察が動いていれば……と考えてしまうのは、私だけではあるまい。

▲写真 警察(イメージ) 出典:Takashi Aoyama/Getty Images

現実に、ある小学校のホームページに「小女子を焼き殺す」などと書き込んだ若い男が検挙された例もある。なんでも当人は、「あれは<こうなご>と読むのです」などと言い訳したそうで、本当にそういう魚はいるが、もちろん笑いごとではない。

さらに言えば、前回取り上げたもうひとつの事例である飲酒運転事故については、厳罰化の結果として、同様の事故がピーク時の18%程度になったという統計もある。

もちろん、昨年来の新型コロナ禍で、そもそも酒を飲みに出かける人が減ったという要素もあって、そこは割り引いて考えねばならないのだが、飲酒運転事故が、厳罰化される以前に比べて80%以上も減ったという事実を前にして、法改正の効果を疑う人も、さほど大勢はいないであろう。

まだある。ごく最近、有名な女性歌手が「タクシーで尾行しているストーカーに気づいて」そのタクシーに乗り込んで抗議しようとしたところ、車内にいた男性から腕をつかまれるなどの暴行を受けたとして通報。男性は逮捕されたのだが、その後の調べて、女性の勘違いの結果つかみ合いになってしまったものと判明した。

これなどはまあ、笑い話(男性にすれば、いい迷惑だが)で済まされるが、深刻なストーカー被害は現実に数多くあり、いわゆるストーカー規正法の適用事例となっている。

この法律は1999年に埼玉県桶川市で起きた(桶川)ストーカー殺人事件を受けて、急遽成立し、施行されたものだ。この事件の被害者は女子大生で、加害者は元交際相手とその兄ら5人。交際を絶たれたことを逆恨みしての犯行だったが、当の元交際相手は事件後に自殺している。

この事件が起きる前から、無言電話や自宅周辺をうろつくなどの嫌がらせ(=ストーカー行為)を受けていたため、埼玉県警に相談したのだが、警察は動かなかった。

読者ご賢察の通り、当時はそうした行為を取り締まる法的根拠がなかったし、それ以前に「警察は民事不介入」という原則があった。男女間のもめごとに警察が介入すべきではない、と判断されたのだ。とは言え、調書の「告訴」を「届け出」と改竄するなど、明らかな怠慢であったこともまた事実で、この件は遺族が民事訴訟を提起し、埼玉県が慰謝料500万円を支払っている。

いずれにせよ、失われた命はもはや取り返しがつかないので、私が「墓石安全論」に与することはできないのも、このことが最大の理由である。

警察は民事不介入というのは、基本的に正しい理念なのかも知れないが、日本社会の現状は、それでは済まされなくなってきているのだ。

たとえば幼児虐待やネグレクト(育児放棄)によって、命を落とす子供が後を絶たない。児童相談所が介入するケースも多いのだが、これも基本的には家庭内の問題であるとして、子供を親の手から引き離すのはなかなか難しく、致命的な被害が生じない限る警察も動かないというのが現実である。

致命的な被害でなくとも、親から虐待を受けて育った子供の中には、成長して自分が親になると子供に同じことを繰り返したり、力をより弱い者に向ける犯罪(具体的には幼児や児童への性暴力など)を犯すようになりがちだという報告も、複数のカウンセラーや心理学者によってなされている。

これ以上の犠牲者を出さないためにも、世代を超えて被害者が再生産されてしまう傾向に歯止めをかけるためにも、児童相談所の権限を見直し、虐待の事案に対しては早い段階で警察が介入できるように、法整備を急ぐべきではないだろうか。

(その3に続く。その1)

トップ写真:京都アニメーション放火殺人事件で放火された建物(2019年7月18日 京都) 出典:Carl Court/Getty Images