林信吾(作家・ジャーナリスト)

「林信吾の西方見聞録」

【まとめ】

・鳩山一郎氏はソ連との国交回復、多くの元日本兵の帰還を実現。

・ロシアは日本に「前提文書」の作成を要求。

・「安倍外交の継承」にこだわる限り、日ロ平和条約の締結はない。

 

退陣を表明した安倍首相の二つ目の心残りは「日ロ平和条約」であるという。

第二次世界大戦後、世界は米国とソ連それぞれの勢力圏に分割され、全面戦争までは起きなかったが、各地で地域紛争や内戦が繰り返される「冷戦」の時代となった。日本は、米軍を主体とする連合軍によって占領されていたが、1951年のサンフランシスコ講和条約によって独立を回復した(沖縄や小笠原諸島は、この時点では米国の施政下に置かれたままであったが)。

ただ、この条約にソ連は署名していない。早い話がソ連との間では、公式に戦争の終結を宣言する条約は締結されなかったのである。

実はこの講和条約をめぐり、時の東大総長・南原繁は、ソ連も含めた「全面講和」を主張していたが、米国との講和を急いでいた吉田茂からは「曲学阿世の徒」と非難された。

俗世におもねるエセ学者、といったほどの意味だが、要は理想論を掲げて学者が政治に口を出すのはよろしくない、と言いたかったようだ。南原総長も言われっぱなしではなく、戦前、軍部が多くの学者を同じ言葉で非難し排斥してきた実例を挙げ、吉田首相の「官僚的体質」に反撃する文書や声明を幾度となく出している。

その後、1954年から55年にかけて首相の座にあった鳩山一郎は、ソ連との和平交渉に取り組んだが、これはどちらかと言うと、当時シベリアに抑留されていた元日本兵(断じて捕虜ではない。国際法を無視したソ連軍による虐待である)の早期帰還を目指すことに主眼を置いたものであった。結果、平和条約締結こそ成らなかったものの、ソ連との国交回復、それに伴う多くの元日本兵の帰還を実現し、それを花道に政界を引退している。孫である「もう一人の鳩山首相」とは、出来が違っていたようだ。

▲写真 鳩山一郎氏 出典:パブリックドメイン

その後も、平和条約締結への動きがなくなったわけではないが、よく知られるように北方領土問題がネックとなって、実現には至らなかった。

しかし1991年、ソ連邦が崩壊したこともあって、冷戦構造を清算しようという機運が高まってきた。東西ドイツの統一も実現し、極東においても、新たに誕生したロシア連邦(以下ロシア)は日本との講和条約締結に、少なくともソ連との比較で言えば、前向きな態度を示し始めた。

拉致問題にかかわる北朝鮮の態度もそうであったが(前項参照)、ソ連邦の計画経済破綻という「負の遺産」を背負わされた、当時のロシアとしては、たとえ

「第二次大戦の結果、わが領土となったものである」

という、北方領土問題についての見解で譲歩してでも、日本から経済的支援を引き出したいとの目論見であったと、衆目が一致している。

1993年10月には細川首相とエリツィン大統領(いずれも当時)が会談し、択捉島、国後島、色丹島、それに歯舞諸島の名前を挙げて、これらの帰属問題を解決した上で平和条約を早期に締結する、との共同声明を発表した。世にいう東京宣言である。

▲写真 日露首脳会談における細川総理大臣とエリツィン・ロシア大統領 出典:外務省HP

ちなみに「北方領土」と呼ぶ場合、これら4島を指すのが普通だが、これは1964年に、それまで「南千島」と呼ばれていた国後・択捉両島に加え、4島を一括して返還要求の対象として、このように呼称するよう、政府が各方面に指示したことに由来する。

一方で、そもそも千島列島に属さず、北海道の一部だと見なされていた歯舞・色丹の二島を先行して返還してもらおうという、2島返還論もしくは段階的返還論と呼ばれる方式を提唱する人も現れた。

政界では鈴木宗男氏、言論界では佐藤優氏が有名だが、北海道を地盤とする鈴木氏にとっては、これは根拠のある話であるようだ。と言うのは、この2島は陸地面積でこそ北方領土全体の7%を占めるに過ぎないが、領海200海里が得られた場合、根室などの漁民にとっては、非常に大きな利益が期待できるからである。

ところが、ロシア側が懸念していたのは、まったく別の事柄だった。

2019年初頭から、安倍政権はロシアとの本格的な交渉に乗り出したが、両国の外交筋がそれぞれ明らかにしたところによると、ロシア側は日本に「前提文書」の作成を要求したという。文書の正式名称などは明かされていないが、要は、

「領土を割譲(ロシア側の論理では<返還>ではない)した場合でも、在日米軍が基地を設けるなど、ロシアの安全保障にとって脅威とならないこと」

を文書で確約してもらいたい、ということであった。

これはできない相談で、また、これこそ北方領土問題の本当のネックであると言える。

そもそも日米安全保障条約(以下、安保)の規定によれば、米軍は日本領土の

「必要な場所に、必要とされる兵力を、必要な期間駐留させることができる」

ことになっている。沖縄の基地問題、それにからんでの地位協定の問題(駐留米軍の兵士が違法行為を働いても、日本側に裁判権がない等)と、実は同根の問題なのだ。

この申し入れについて、外交筋やマスコミでは、領土問題についての日本側の「本気度」を試そうという、踏み絵的な要求であったと見る向きが多い。早い話が、日本はロシアに足元を見られた。

その後、2020年に入って、ロシアのプーチン政権は憲法を改正したが、その新憲法には「領土割譲の禁止」が明記されている。日本側は、北方領土問題は、この条文の例外規定である「国境の画定」に当たるだろう、と期待していたが、ロシア外務省スポークスマンによって、その期待は打ち砕かれてしまった。

「クリル(北方領土のロシア側呼称)は国境の画定とは無関係」

と一刀両断だったのである。

これは結局、冷戦終結後もなお、日米安保体制を見直すことをせず、本当の意味で先の戦争を清算しなかった、日本の戦後政治のツケなのである。

別の言い方をすれば、ポスト安倍の座に誰が就くにせよ。

「安倍外交の継承」

にこだわる限り、日ロ平和条約は「永遠の心残り」となるであろう。

前に鳩山一郎を引き合いに出したのは、話がここにつながってくる。

彼は前任者である吉田首相の「対米従属」から脱却し、真の主権回復を目指した。その理念に基づいて、前出のようにソ連との国交回復を成し遂げ、内政においては「保守合同」を実現して初代・自民党総裁の座に就いてもいる。

保守合同の勢いに乗って「憲法改正・再軍備」も目指したが、これだけは、よく知られる通り衆参両院で3分の2の議席を占めることができず、実現できなかった。

憲法改正については次回触れるが、次なる政権が日米安保体制、少なくとも地位協定の問題に前向きに取り組まないで「外交を継承」しようとするなら、早晩手痛いしっぺ返しを食らうことになるであろう。

 

【訂正】2020年9月10日

本記事(初掲載日2020年9月9日)の本文中、「小笠原省党」とあったのは「小笠原諸島」の間違いでした。お詫びして訂正いたします。本文では既に訂正してあります。

誤:日本は、米軍を主体とする連合軍によって占領されていたが、1951年のサンフランシスコ講和条約によって独立を回復した(沖縄や小笠原省党は、この時点では米国の施政下に置かれたままであったが)。

正:日本は、米軍を主体とする連合軍によって占領されていたが、1951年のサンフランシスコ講和条約によって独立を回復した(沖縄や小笠原諸島は、この時点では米国の施政下に置かれたままであったが)。

トップ写真:APEC首脳会議出席等 -1日目- 出典:首相官邸