林信吾(作家・ジャーナリスト)

【まとめ】

・DNAは人間の顔立ちなどを決定づける遺伝情報の宝庫

・「昆虫エイリアン説」は隕石に付着して宇宙空間からやってきた微生物が、地球環境に適応して進化た、と考えるもの。

・臨死体験は人間の脳内に死の恐怖を緩和するメカニズム。

 

前回、科学が今後さらに進歩すれば、血液型と人間の性格には関連性がある、という話なども、真偽を含めて解明される可能性があると述べた。それまで「ピラミッドは宇宙人が作った」「日本文化の本当のルーツは古代イスラエル」といった都市伝説を批判的に取り上げたので、途中で論旨が変わったのか、などと思われた読者もいるかも知れない。

そういうことではなくて、薄弱極まる根拠で勝手な「学説」をとなえる人たちには同調しかねるが、現代科学もまだまだ発展途上にあるわけだから、すぐに「非科学的」だとのレッテルを貼る態度もよろしくない、と私は考えているのだ。

少し前にNHKの特集番組で取り上げていたが、これまで、遺伝子工学の観点からはDNAの90パーセント以上はなんら有益な情報をもたらさない「ゴミ」だと考えられてきた。しかし、解析技術の進歩によって、ゴミどころか人間の顔立ちなどを決定づける遺伝情報の宝庫であることが分かってきたのである。今やその技術を応用して、犯行現場に残されたDNAから容疑者の顔立ちを推定する「DNAモンタージュ」という技術まで実用化されているのだとか。「男の顔は履歴書」などと言われてきたが、遺伝情報で大体決まった顔になるというのでは身も蓋もない、と感じた反面(ゲストの俳優も同じようなことを言っていた笑)、このように科学捜査が発達して冤罪が減ればよいな、などとも思った。

IPS細胞を発見してノーベル賞を受賞した山中伸弥教授がゲストとして招かれていたが、ご自身も学生の頃、DNAの大半はゴミだと教わった、と語っていた。過去20〜30年間の科学の進歩は、それほど目覚ましかったのである。

私自身は科学者でも研究者でもなく、それどころか理系の勉強を苦手としてきた人間だが、こういう科学情報に接するのは大好きだ。特にここ数年、ずっと興味をかき立てられている、若い人たちの言い方を真似れば「マイブームになっている」話題がふたつある。

「昆虫エイリアン説」と「臨死体験」だ。

前者についてまず述べると、昆虫は外見や生態が他の動物とあまりにも違うので、進化論でなかなか説明がつかない。ことによると地球上の生命体には二つの流れがあるのではないか、と言い出す人がいた。

ひとつは我々人類を含めて、海中に生息する微生物から進化してきたもの。そしてもうひとつは、隕石に付着して宇宙空間からやってきた微生物が、地球の環境に適応して進化してきたもの。すなわち昆虫は後者だという話であるらしい。

▲写真 隕石と宇宙イメージ 出典 pixabay: 9866112 / 6 张照片

これも20年ほど前までは、空想に過ぎない、といった扱いを受けてきた。

宇宙空間に生命が存在する可能性そのものは、結構昔から真剣に考えられてきた。空気もないところで……というのは我々が地球人類だからそう思うだけの話で、未知の生命体が絶対にいない、とする根拠にはならない。

げんに宇宙飛行士は、帰還後に決まって隔離病棟のような場所で数日間過ごすが、これは宇宙空間に未知の細菌が存在する可能性を考慮してのことなのだそうだ。

ただ、隕石が大気圏に突入すると、想像を絶するほどの摩擦熱で火の玉になってしまう(これが流れ星であることはご存じだろう)わけで、たとえそこに微生物が付着していたとしても、生きて地表にたどり着くのは不可能だと、これまでは考えられてきた。

ところが最近の研究で、海底火山の火口付近でも、海水が沸騰するほどの高熱に耐える上に火山ガス=硫化水素をエネルギー源とする微生物が生息していることが分かった。

自殺に使われることで一時期話題になった硫化水素が、ある種の微生物にとっては生きる糧なのだ。凄いぞ微生物……などという話ではなくて、人間にとっては想像を絶するような環境で、ちゃんと生命活動が行われているのだから、隕石に付着して来た微生物が地表で繁殖し、進化してきた可能性も、ゼロだと決めつけない方がよいかも知れない。

もうひとつの臨死体験については、さほど詳細な説明は不要だろう。

『柔道部物語』(小林まこと・著 講談社)という漫画にさえ、絞め技で失神した選手が、息を吹き返してから「死んだおじいちゃんに会ってきた」などと語るシーンがある。

心肺停止の状態になった時、川が見えたとかお花畑が見えたとか、中には蘇生処置を受けている自分の姿を天井から眺めていた、などと証言した人もいる。いわゆる幽体離脱だが、それも含めて臨死体験と呼ぶわけだ。

この現象を真面目に研究した本も出版されている。そのものずばり『臨死体験』(立花隆・著 文藝春秋)という本で、初版は1994年。

▲写真 幽体離脱イメージ 出典 wikimedia: Hereward Carrington, Sylvan Muldoon.

この本の中で立花氏は、死後の世界といったものが本当にあるわけではなく、なんらかの脳内活動ということで、いずれは説明がつけられるだろう、と述べていたが、これもやはり最近の研究で、どうやら本当に、人間の脳内に死の恐怖を緩和するようなメカニズムが組み込まれているらしい、というところまでは解明が進んでいるそうだ。

しかしながら、進化論の立場からすると、そんなものがなんの役に立つのか、という疑問に突き当たってしまうのだとも言われる。一時的に死の恐怖から解き放たれ、むしろ幸福な気分にひたれたとしても、その先にはなにもないわけだから。

なるほど、そう言われれば……と思わされがちだが、私はいささか異なる考えを持っている。もしも人間の脳内活動が、死の恐怖に打ち克ちがたいものであったとしたら、人類はここまで繁栄できただろうか。

よいか悪いかは別にしてだが、なんらかの目的のためには生命の危険を顧みない、という人間たちが、社会や文明を進歩させてきた。典型的な例が戦争で、幾多の戦争の結果として今の社会の姿があり、多くの技術の発達がもたらされたことは事実である。これはなにも、私が戦争を肯定しているわけではなく、歴史には様々な側面があるのだという話である。よいか悪いかは別にして、と述べたのはそういう意味だ。

話を戻して、もともと進化論の登場によって、

「世界は造物主が6日かけてつくりたもうた」

として7日目を「安息日」とする信仰が揺るがされた。現代の日本では、クリスチャンでさえそんな話をまともに信じてなどいないが、かつてのキリスト教文化圏では、これが「常識もしくは基礎的な教養」だったのである。

進化論もまた、発展途上にある学問だと割り切ってしまえば、科学の進歩の結果「進化論の常識」が次々にくつがえされたとしても、むしろ自然なことだし、それで進化論の価値が下がるわけでもない。

要は、自分の頭で考える習慣をちゃんとつけた上で。いい加減なネット情報を闇雲に信じたり、逆に根拠もなく否定したりしないことだ。それが、科学との上手なつきあい方というものだろう。

(その1、その2、その3、全4回)

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