人口1万人のまち、宮崎県都農町では昨年8月に都農町、株式会社J.FC宮崎(九州リーグ加盟)、一般社団法人ツノスポーツコミッションの3者で「つの職育プロジェクトに関する協定」が締結されました。

 Jリーグ昇格に向けてサッカー環境を整備したいJ.FC宮崎の所属選手が、地域おこし協力隊として、町の農業や福祉、PRの仕事を兼務する日本でも珍しい事例となっています。

 今年2月、サッカー選手および家族の合計60人が都農町に移住し、町にとってはサッカークラブができたことと合わせて、貴重な労働力としても貢献してもらいウィンウィンの仕組みが動き始めています。

 仕掛人であり、自らクラブ代表者として経営に奔走する宮城亮さんは沖縄県出身の移住者。スポーツによる地方創生にかける想いと今後のビジョンについて聞きました。

小学生で感じたサッカー人生のリスク

 宮城さん自身、サッカーされていたんですよね?

宮城 そうです。ただ、小学6年生の時、テレビでJリーガーがケガをしてトラック野郎になり、18歳で勉強もせずサッカーばかりやって後悔しているという内容を見てすごいショックで、サッカーに裏切られたって感じがしました。

 そのことが影響して、高校は一番地元から近い進学校、大学は沖縄の経営者がOBで多かった沖縄国際大学がいいかなと思って進学しました。

高校生で感じたサッカーで町ごと熱狂するまちづくり

 高校1年生の時、沖縄県選抜でブラジルに1か月間短期留学しました。

 ブラジルって、サッカーやっていたら泥棒がいなくなるんですよ。泥棒もサッカー見てるから(笑)。

 ブラジルのことを貧しい国だと思っていたんです、日本が上だろうと。でも、実際に見に行って、スポーツ先進国だなと思いました。

 スタジアム、町の人の熱狂を肌で感じ、こんな町にしたいなと震えました。

「自分はサッカー選手ではなくてこっち側を作る」と、高校生の時にボンヤリと考え始めました。