江戸から「東京」への転換

 4月11日に江戸城の無血開城があり、5月15日の上野戦争で彰義隊が壊滅、24日には徳川家達が江戸から駿府70万石で移封されることが決まると、政府は6月19日、参与の木戸孝允と大木喬任に江戸を帝都とするので、東征大総督有栖川宮熾仁親王・輔相三条実美と今後のことを評議するため派遣した。三条・大久保利通・大村益次郎らと協議の上、同年7月7日に京都へ戻り、奠都が可能であることを岩倉具視に報告した。なお、奠都とは新たに都を定めることであり、遷都ではないことに留意しなければならない。

 これを受けて7月17日、「江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書」が発せられた。この詔書では、天皇が日本を一つの家族として東西を同一視するとし、江戸が東国で第一の大都市・要所であるため天皇がここで政治を執ることと、そのために江戸を東京と称することが発表された。保守派や京都市民への配慮から、東京遷都を明確せず奠都としたものの、東西両都の方針通り、「東京」が誕生したのだ。次回は、今シリーズの最終回として、東京遷都の実現に至る具体的な道程について論じたい。

(町田 明広)