(郭 文完:大韓フィルム映画製作社代表)

 北朝鮮による日本人拉致は、現在でも日本社会の大きな争点となっている大問題だ。1970年代から1980年代の間に、少なくない数の日本人が北朝鮮の戦闘員によって強制的に北へ拉致された。

 これは2002年に平壌で開かれた「日朝首脳会談」において、当時の金正日(キム・ジョンイル)総書記が小泉元総理に直接認めたことだが、北朝鮮による日本人拉致問題は数十年が過ぎた今でも、解決されていない。

 現在、日本に住んでいる拉致被害者家族の苦痛と喪失感は、相当なものだ。

 北朝鮮はなぜ、日本人を強制的に拉致したのだろうか。北朝鮮はなぜ、今でも日本人拉致問題を解決しないでいるのだろうか。北朝鮮政府による日本人拉致の歴史を辿り、その理由を考えてみよう。

 なお、筆者は脱北する前、当時の金正日総書記の近いところにいた。今も、北朝鮮政府の中に当時の同僚や先輩、後輩がいる。そして、これから話す話は、筆者が日朝首脳会談の北朝鮮側実務代表団関係者の友人から直接聞いた話だ。

 北朝鮮が日本人を拉致していたのは、1970年代前半から1980年代後半のことだ。当時、日本人拉致を主管した機関は、朝鮮労働党直属の「対南連絡部」で、その後、「社会文化部」「対外連絡部」「内閣225局」と改称と改編を繰り返し、現在は朝鮮労働党「文化交流局」に姿を変えている。

 この機関は、主に対南工作を担っているところだ。韓国内の反政府陣営の懐柔工作、地下組織の構築、定住スパイ管理、暗殺、拉致、テロ、民心攪乱、海外僑胞(海外在住韓国人)および留学生の懐柔工作、海外の親しい団体に対する瓦解工作などが主任務である。

 このような対南工作機関が、韓国人でもない日本人を拉致するようになったのには理由がある。

 現在、文化交流局(ここには朝鮮総連の活動も含まれる)に勤務中している知人によれば、当時の日本が、韓国に浸透するのに最も良い条件を持っている国だったからだという。

 1950年6月25日の朝鮮戦争勃発以降、北朝鮮は韓国を狙って、様々な挑発や隠密の潜入作戦を敢行した。一方の韓国の情報当局も南に送り込まれたスパイの探索と摘発に力を入れた。全国民に対するスパイの申告および安全保障教育によって、全方位的な警戒モードに入ることになったのだ。

 すると、北朝鮮の対南連絡部は韓国人と容貌が似ていて、世界各国への入国が容易なパスポートを持っている日本人を対南浸透のためのターゲットとして活用し始めた。工作員を入国条件が良い日本人に偽装させ、韓国に潜入させる計画を立てたのだ。当時、これを企画して総括した人物が、金仲麟(キム・チュンリン)である。