(城郭・戦国史研究家:西股 総生)

城のことはよく知らないのだけれど、ちょっと気になる。
どこをどう見たら面白いのか、よくわからない。
そんなはじめて城に興味を持った人や、もっとよく知りたい人へ、
城の見方、楽しさを伝える書籍『1からわかる日本の城』。
専門用語や歴史の解説ばかりでない、見分けるコツが書かれた本は、「今までになかった」と、城マニアからも注目されています。
今回はその中から知っているようで知らない、城の話をご紹介します。

幕末の洋式築城

 大坂の陣で豊臣家が滅びた後、大名の国替えにともなう築城がひととおり済んでしまうと、日本の城は停滞の時代に入ります。ごくたまに、新しい大名家が立てられることになって城が築かれるくらいで、めだった動きも進化も見られなくなります。

 次の大きなウェーブがやってくるのは、幕末になってからです。外国の船が日本近海にしきりに出没するようになって、幕府も諸大名も、外国船の攻撃に備えなければならない、と考えるようになったからです。

 こうした中、外国船を大砲で打ち払うために築かれたのが、台場です。 

 幕府は、江戸湾を防衛するために、品川台場や神奈川台場を築きました。これは、海の中に石垣を積んで造った小さな人工島のようなもので、西洋の軍事学を参考に、幾何学的な平面形に築かれました。

 一方で、外国人を打ち払ってしまえ、という攘夷運動の高まりとともに、海に面した領地をもつ大名家では、独自に台場を築くようになりました。それぞれの大名家がもっていた知識や技術力、財力によって、築かれる台場の形はさまざまでした。

 また、蝦夷地(えぞち)を外国から防衛する必要を感じた幕府は、箱館(いまの函館)に五稜郭(ごりょうかく)と呼ばれる城を築きます。五稜郭は、上から眺めると星形をしていますが、別に星の形に意味があるわけではありません。これは西洋式の築城術を採りいれた、稜堡式(りょうほしき)築城というスタイルなのです。

 稜堡式築城とは、16世紀後半から18世紀にかけて、ヨーロッパで流行した城の築き方です。わかりやすく説明すると、幾何学的な計算にもとづいて、死角が出ないように鉄砲や大砲の射線を交差させて、守れるようにした城の造り方です。

 稜堡式築城の稜堡とは、ネコ耳のような形をしたとんがりのことです。鉄砲や大砲を並べる、必殺のネコ耳です。幕末における稜堡式築城の代表が、函館の五稜郭。ネコ耳=稜堡が五つあるから五稜郭、というわけです。

 稜堡の数は、地形や城のサイズに合わせて決めてゆきます。なので、本場のヨーロッパには、ネコ耳だらけで星形どころか、全体が歯車のような形をした城もあります。

 日本でも、稜堡式築城を取り入れた城はいくつかあって、先に述べた神奈川台場も、その例です。また、戊辰戦争や西南戦争のときに築かれた戦闘用の城や、野戦陣地にも、稜堡式築城が応用されました。とはいえ、日本の幕末にあたる18世紀の後半になると、西洋では稜堡式築城は時代遅れになっていました。鉄砲や大砲の性能が大きくアップして、戦いのやり方が変わったからです。

 当時の新しい築城法を取り入れた例として、兵庫県の西宮砲台や和田岬(わだみさき)砲台などがあります。これは、台場の中に石を積んで造った円筒形の堡ほう塔とうから、大砲を撃ち出すものです。

 もう、こうなると、城というより要塞のイメージに近いかもしれません。でも、城と要塞とは、本来はひとつづきのもので、明治時代に築かれた要塞は、幕末の台場や砲台の直系の子孫なのです。日本の場合、中世から近世までの城の進化と、幕末以降の城や要塞の間に、技術的な断絶があるために、城と要塞が別モノに見えてしまうだけなのです。

(『1からわかる日本の城』西股総生・著より再構成)

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(西股 総生)