(乃至 政彦:歴史家)

これまで光秀といえば、なんとなく生真面目で、面白みがなく、孤高で禁欲的な人間に見られがちだったが、史実の光秀は、頭脳派であることまではこれまで通り変わらないにしても、存在感の強いスターだったのではないだろうか。司馬遼太郎の『国盗り物語』や『功名が辻』、大河ドラマ「麒麟がくる」、ゲームの『太閤立志伝』シリーズなど、時代を追って変化しいった明智光秀の人物像に迫る。(JBpress)

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大河ドラマになると研究が進む

 大河ドラマで取り扱われると研究が進むのは、概ね事実だろう。昭和44年(1969)に海音寺潮五郎の小説『天と地と』が大河化されると、実在が疑われるので登場させないと著者が明言していた山本勘助が、視聴者の手によって一次史料が発掘され、「山本菅助」の名乗りを使っていた様子を認められた。さらにその後、井上靖の小説『風林火山』が平成19年(2007)に大河化されると、やはり関連資料が見直され、その研究が大きく進展した。

 明智光秀もまた「麒麟がくる」の放送が決定されると、たくさんの専門書、概説書、論文が公表され、彼が生きた時代環境および人物像が大きくアップデートされることになった。

明智光秀のイメージ変化

 これまで我々が創作物で触れてきた明智光秀は、ほとんど次のような人物像で占められていた。

 ①名族出身で教養が深く、②織田信長の比叡山焼き討ちを諌止するほど保守的だった。③しかしその信長の機嫌を取るのがド下手で、あまり好かれてはいなかった。④誠実で人柄がよく、⑤その風貌は穏やかで、いささか痩せ気味ですらある。⑥本能寺の変は思い悩むところがあって決起したとされている。

 具体的に作品名を挙げるなら、大河化された司馬遼太郎の小説『国盗り物語』や『功名が辻』、ゲームの『太閤立志伝』シリーズなど、枚挙にいとまがない。

 さて、これらは創作物がオリジナルに造形したものではなく、一応の資料的根拠がある。それぞれの出典と、近年の反論を見ていこう。