文=大住憲生 写真=山下亮一

1991年、ヴィジュアルディスプレイのマネージャーとして株式会社バーニーズ ジャパンへ入社した谷口勝彦さん。5年後にウィンドウディスプレイからフロアディスプレイ全般、店舗デザイン、広告ヴィジュアルなどのストアイメージにかんする全てを統轄するクリエイティブディレクターに。そして2019年、取締役クリエイティブディレクターに就任しビジネスをデザインする。コロナ禍において、スペシャリティストアの舵取りを担う谷口さんの”これまで”と”これから”。

 クリエイティブ、デザインに興味をもったのは家族の影響です。母の父は鋳金(溶解した金属を鋳型に流し込み、冷却してから鋳型から取り出し、表面を研磨するなどして仕上げる金工技法)作家でした。子どものころ、この祖父の指導で大型のベーゴマを作り、友人たちからズルいと非難されたものです(笑)。祖父の一家は実家の近くに住んでいましたからかなり親密でした。父は玩具会社を経営。乳幼児玩具の起き上がり小法師を製造していましたが、その顔の金型は祖父が造ったものです。祖父の工房や父の工場が遊び場でしたから、ものづくりの面白さを体感しながら育ちました。

 母は画家。洋画家の楢原健三に師事し油彩を描いていました。楢原さんは東京美術学校で藤島武二に師事した方だそうです。母の弟たち3人も近所に住み暮らし、それぞれが彫金(鏨やヤスリなどを用い、意図する形状に加工したり表面に模様、図案、文字などを入れる金工技法)ジュエリー作家として生計を立てていました。カッコいい叔父たちでした。で、その長兄が東京藝術大学の教授だった酒井公男です。

三島由紀夫のカフリンクス

 1965年ごろ、公男叔父は長髪でいつもスカーフをし、フリンジがついたウエスタンジャケットを愛用。正月には手製の小さな桐の箱をお年玉としてくれるのですが、中に入っているものは真綿に包まれた玉虫だったりする、といった美的センスの持ち主でした。

 大学で教鞭をとる傍ら、東京・赤坂のTBS会館1階にてカフェを併設したギャラリーを経営。多くの文化人、著名人のサロンとして人気だったようです。古賀政男(作曲家)のためにステッキを。三島由紀夫からの注文で剣道の面を彫刻したカフリンクスを製作しています。三島とは文通で交流を深めた仲だったそうです。叔父は詩集も出版していますから、いわゆる芸術家だったんでしょうね。

 自分の好きなデザインの道を歩みたい、と叔父に相談したのはエスカレーター方式で入学できるはずの大学に、たった0.1点が足りなくて断念することになった17歳の春です。小学校から高校まで親の言いつけどおりに、兄の後を追って進学してきました。だから自分で選んだわけではない。もう好きなことをしたいと。これは人生最大の大転機。こんなとき頼りになるのはやはり叔父です。

 お茶の水美術学校を紹介されました。叔父の信頼する仙石克己さんと志賀洋清さんが講師をされていたからです。そしておふたりのご指導のおかげで翌年、武蔵野美術大学に合格。もう1年勉強して藝大へ、と思ったんですが父からダメ出しが。で、造形学部工芸工業デザイン学科の金属工芸(メタルクラフト)を専攻します。祖父や叔父たちの影響ですね。学生時代の作品を祖父や叔父たちが褒めてくれたことはありません。ただ、真っ正直な意見やアドバイスはしてくれました。それを素直に受け入れ勉強の日々でした。

ニューヨークのサブカルのカリズマ

 1990年11月3日、バーニーズ ニューヨーク新宿店がオープン。そのオープンから数日後、新聞にヴィジュアルディスプレイのマネージャーを募集するバーニーズ ジャパンの求人広告を発見します。武蔵美卒業後、アパレルメーカーの販売促進部員としてカタログ製作、展示会のレイアウトや設営、什器デザインなどをひとりでこなす、忙しいだけで満たされない日々を送っていた僕にとってこの求人広告は福音でした。履歴書を送るとすぐに「本国のクリエイティブディレクター、サイモン・ドゥーナンが来日しているから面接をしたい」と電話。緊張しました。サイモンの名はファッション、クリエイティブ、インテリア業界で轟いており、業界紙や専門誌でも特集が組まれるほどの著名人ですから。

 サイモンとの面接は18時にはじまり21時半すぎまで盛り上がりました。持参した作品を見せたらサイモンも写真やスケッチを見せてくれる。その素晴らしさに驚愕しました。自分がやりたいと思っていたこと以上の、それをはるかに超えたクリエイションを見せられましたから。サイモンが気に入ってくれ入社はすんなりと決まり、翌1991年1月から仕事に就きました。それから2か月もしないうちにトレーニングをするからと、長期のニューヨーク勤務を命じられます。

 クリエイターがみすぼらしいホテル住まいではいけない、とサイモン。イアン・シュレーガー(伝説的ナイトクラブ<Studio54>の創設者でありブティックホテルの先駆者)による<パラマウントホテル>を予約してくれました。サイモンからの紹介状をわたすとレセプションは驚きの表情。サイモンは、ニューヨークのサブカルチャー界のカリズマですからね。すぐに豪華な部屋に案内され、僕は毎日夢のようなインテリアの部屋からチェルシーにあるディスプレイチームのオフィスへ通いました。

 サイモンもそうですが、ディスプレイチームの約50名全員がセクシャルマイノリティ。もうカルチャーショックの毎日です。アンダーグラウンドのパーティへも誘われ、今夜はここと住所が書いてあるメモをわたされます。それを見たタクシードライバーは、「ここへ行く勇気はない」とか「そのエリアには行かない主義だ」と突っ返してくる。なんとか命知らずのドライバーを探しました。おかげで、ふつうのニューヨーカーではできないような貴重な体験をしましたし、景色もたくさん見ました。

 サイモン・ドゥーナンは偉大なる変態です。クリエイションに敬意をはらい、クリエイターの地位が東京とはまるでちがうとはいえ、コンペティターが多いニューヨークで好きに自分の人生を生きている。何事においても「こうあるべき」と考えない、フレキシブルな思考をもっている。拘泥しない見事に自由な変態です。カッコいいに磨きをかけてくれたマスター。また一緒に仕事をしたいですね。

TASTE, LUXURY, HUMOR

 2019年10月に役員が一新した矢先に新型コロナウイルス感染が拡大し、2020年度はなくなったようなものになりました。ですから本年はゼロからスタートする年度であると捉えています。もちろん、コロナが収束したわけではありませんから引きずってはいますけれど、ようやく動きだそうとしている最中といったところです。とうぜんV字回復はむずかしい。同業他社は「ECファースト」でやってらっしゃるようですが、当社はECを顧客サービスの一環として拡大よりは拡充、整備を継続する考えです。なにより小売業の本懐は店舗のにぎわいですから。

 若手バイヤーの企画によるプロジェクトとして、各店で開催しているポップアップに光明を見出しました。

 アシスタントバイヤーのひとりがピックアップした、イタリア・ペルージャのカシミヤニット専業ブランド<マンリコ カシミヤ>は、10日間で1000万円超のセールスを記録しました。ベイシックだけれど上質なセーターです。それをご理解されお買い上げくださるお客さまがいらっしゃる。しかも、こんな状況下であるにもかかわらず、わざわざご来店いただいて。当社には若い高感度な見巧者がいる。そして、ご賛同くださるお客さまがいらっしゃる。こういう成功事例をいくつも積み重ねてゆくことで上昇気流に乗れるのではないかと考えています。

 なによりも若手が発想を自由にひろげることができ、実行できる社内環境づくりが要諦と考えています。日本の社会を測るモノサシが変わってきています。確実性や成果をさらに強く求められている。それはファッションビジネスも同様ですが、たとえ結果がともなわなくても震えるほど楽しかったり面白かったりすると、また前進できるんです。僕はサイモンの仕事を見て強烈な面白さを感じました。そんな強烈な面白さを若手にも感じてほしい。前へ進むために。

 当社が掲げる3つのキイワード「TASTE, LUXURY, HUMOR」は変わりません。ですが、ことしは「HUMOR」にアンダーバーを引いて強く打ち出しています。「HUMOR」は気質や気性という意味がありますから。仕事にしても趣味にしても、いろんな事柄を面白がれるセンスをもっているかどうか。また、そういう状態に自分をもっていけるセンス、テクニックをもっているかどうか。それがカッコいいの条件ではないでしょうか。若手バイヤーの「発見」は、このセンスがあったからこそ得られたものだと思います。

 祖父や叔父たちからは「観察」すること。サイモンからは「柔軟性」を学びました。デザインは記憶そのもの。観察力がないと記憶は生まれません。そのチカラが強ければ現実になる。偏見なしに見て会って感じて記憶したものを表現する。この具現化できるチカラは、ひとつのカッコよさといっていいと思います。

 ただ、やっとの思いで制作したものが完成したら稚拙に見えてしまうんです。未熟な部分だけが目についてしまう。ですからまた新作に情熱を燃やすことになる。現状に満足しないでさらなる高みへと進むチカラ。これもカッコいいということでしょうか。

(大住 憲生)