取材・文=鈴木文彦

3組6人のアーティストの作品を紹介

 銀座メゾンエルメスフォーラムでは12月17日(金)から2022年4月3日(日)まで、「転移のすがた」という展覧会を開催している。

「アーティスト・レジデンシー10周年記念展」というサブタイトルがついていて、このアーティスト・レジデンシーというのは、エルメス財団が、アーティストをエルメスの工房に招聘し、職人と体験の共有や協働制作を行うプログラムのこと。2010年から実施しているこの活動のあらためての紹介、および回顧展的性格が、今回の展覧会にはある。

「アーティスト・レジデンシー10周年記念展」は、同時期にソウル、東京、そしてパリ北東部のパンタンで、それぞれちがった形で開催されている。東京のそれは、エルメスの工房に滞在したアーティストとそのアーティストの推薦者(メンター)3組6人の作品を、紹介するもの。

 その3組は、クロエ・ケナムとイザベル・コルナロ(メンター)、エンツォ・ミアネスとミシェル・ブラジー(メンター)、小平篤乃生とジュゼッペ・ペノーネ(メンター)であり、いずれも、アーティスト・レジデンシー プログラムに参加している。展示スペースは2人で1スペース。今回は、銀座メゾンエルメスフォーラムというひとつの会場を3つに区切って、3つの展覧会がある状況で、8階と9階、2フロアを使った展示は、かなり盛りだくさんだ。

 ひと組ずつ、簡単に紹介すると、クロエ・ケナムはグラフィック、言語、有機物、家具などを本来の文脈から抜き出し、図式化して用いることで抽象化してしまう、というスタイルだそうだ。エルメスのクリスタル工房で制作した、クリスタルで作られた果実がガラスの棚に載せられた『La grande place』という作品をメインに、いくつかの作品が、メンターであるイザベル・コルナロの作品とともに展示されている。

 イザベル・コルナロもレディメイドのプロダクトに手を加えることで、そこに抽象性をもたせていることが展示作品からわかる。

 続くエンツォ・ミアネスは、個人的神話の痕跡である私生活の断片や日常にありふれたものを通じて「生命」を表現しようとする、と紹介されている。日用品や自宅の庭で採取した植物を用いて作品を制作する、と紹介されるメンターのミシェル・ブラジーの作品とも、似たところがあることが、展示スペースの二人の作品からわかる。エルメスの馬巣織(横糸に馬の尾の毛を用いる織物)工房に滞在しており、馬毛を用いたトーテムポール『La portée du geste』を制作。この作品を中心に、このペアの展示は、ややユーモラスでもある。

 最後が、今回唯一来日がかなった小平篤乃生。国家が成立する前の人間の営みや自然との共存を探し求め、五感を喚起させる体感的な場と作品を作り続けている、と紹介される小平篤乃生は、とりわけ2011年の東日本大震災以降、自分の作品が変わった、と語る。自然、あるいは自然のエネルギーをテーマとしたメンター ジョゼッペ・ペノーネの作品とともに、人間と自然の関係性を問う展示を構成している。

素材との対話

 今回の展覧会のひとつのテーマは、おそらく素材だ。というのは、この、6人の作品を、ひとつひとつ、じっくりと体験していると、だんだん、アートってなんだろう、と考えてしまうからだ。

 いわゆる芸術、あるいは美術としてのアートは、工芸、あるいは職人技とどこで分かれるのだろう? どこからどこまでがアートで、どこからどこまではアートではないのだろう?  あるいは、そういう分別は、ナンセンスだろうか? たとえば、自動車のエンジンのような、高度な技術的達成であり、かつ実用性もあって複製可能なプロダクトはアートではないだろうか?

 おそらく、そんなことはない。それもまた、自然物を素材として、それを人間が加工することで生まれてくるものだ。では、そうだとして、今回、この展覧会で展示されている作品と、自動車のエンジンを比べたら、どちらがより優れている、というような優劣はつくだろうか?

 この展覧会で時間を過ごし、作品に向き合えば向き合うほど、そんな問いを自らに発してしまうとおもう。

 そして、この展覧会を、いまやついつい忘れがちだけれど、馬具工房を原点として、いまだに馬具を作っている革職人の集団でもある、エルメスという組織が仕掛けている、ということに、エルメスが、素材から人間が何かを作る、という現象をどれだけ深刻に捉えているのかが透けて見えるようにも感じられる。

 これを読んでくれたあなたも、今回は会期も長いし、この場所は無料で入れるから、銀座メゾンエルメスフォーラムに立ち寄ってみてはいかがだろう。おそらく、自分を省みることのできる発見があるとおもう。あなたもきっと、なにかを素材として、何かを作りながら、日々を生きているはずだから。

(鈴木 文彦)