※1回目「石炭を掘るためだけに存在した軍艦島が語る未来」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64178)
※2回目「今も色鮮やかによみがえる軍艦島での日常生活」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64267)
※3回目「『地獄の島』の汚名を着せられようとしている軍艦島」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64576)
※4回目「廃墟と化した軍艦島はなぜ世界遺産に登録されたのか」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64695)
※5回目「軍艦島の『世界遺産化計画』につながったある出会い」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64702)

「軍艦島を世界遺産にする会」の始まり

 2002年1月、それまで勤めていた会社を退職し、念願のパソコン教室を開いた。その時に、かつて一緒に軍艦島を訪問した一人から「軍艦島を世界遺産にする会」を立ち上げたらどうかという提案を受けた。提案書は書いてみるという。「世界遺産」という言葉に私は戸惑ったが、その前に何かイベントを実施し、その反応を見て考えてみようという軽い気持ちで引き受けることにした。

 そして2002年12月、私が経営するパソコン教室で軍艦島の写真展を開催した。軍艦島を案内した際に提供を受けた写真があったし、教室の隣のNPOに出入りしていたアマチュアカメラマンが閉山後の軍艦島を訪れ写真を撮ったことがあったという偶然もあり、これらの写真から100枚ほどの展示用パネルをつくり、展示した。

 新聞で取り上げていただいたこともあり、写真展には2週間で150人ほどの来場があった。端島出身者や軍艦島のファンもたくさんいた。小さな町の小さな写真展にこれほどの人が集まってくるなど思いもしなかった。

 軍艦島の関心に対する高さはただごとではないと思い始めた時、元島民の木元太一氏から、「このまま終わらせず、きちんと会を立ち上げるべきだ」という提案をいただいた。「軍艦島を世界遺産にする会」の始まりである。

 当時は、本気で世界遺産など考える人がいなかった時代である。将来的に保存に向けた活動が実施されるか不透明な上に、軍艦島自体が産業廃棄物という噂も気になっていた。それでも、軍艦島の保存を実現させるため、「軍艦島を世界遺産にする会」を発足させた。2003年3月のことだ。元島民や軍艦島に興味がある人などおよそ150人が集まった。一歩、進み始めたと実感した。

 2005年には、さまざまな動きがあった。長崎市が6月30日、観光資源として軍艦島こと端島の活用を検討する有識者検討委員会を発足、行政が前向きな議論を始めたのだ。