趣味やレジャーの場であるとともに信仰の対象でもある日本の山々。もっとも、かつては山頂を目指して登るのは当たり前ではなく、稜線から見える周囲の眺望に気を留めることさえなかった時代もあった。日本人はいつから山に関心を持ち、信仰の対象としたのか。

 日本の「山の宗教」は山林修行者を担い手として、人と山との境界領域である裾野(のちに里山)を足場に展開してきた。原始の山林信仰や大陸からの宗教的影響、中世王権の宗教政策、山林修行者と貴族や民の関わり、参詣や霊山信仰の広がり、スポーツやレジャーとしての登山の誕生や「帰る場所」としての山の言説──。

 白山、富士山、三輪山、立山、高野山・・・。日本の山々と山林寺院を舞台に、裾野から頂上まで、古代から現代まで千年にわたる山の宗教の歴史について、『日本人と山の宗教』を上梓した東京大学史料編纂所・菊地大樹准教授に話を聞いた。(聞き手:與那嶺俊・シードプランニング研究員)

裾野こそが山の聖性を認識する場だった

──山は現在の日本人にとって、登山やレジャーの場でありながら、宗教や信仰の対象でもあります。本書では、山の宗教は大陸伝来の仏教や各時代における政治や文化に影響されながら、長い時間をかけて、徐々に形成されてきたものであると語られています。

菊地大樹准教授(以下、菊地):原始時代から近現代まで5章にわたって、「長期持続的方法」(政治や制度に比べ、より長い時間をかけて変化する現象に目を向けた文化史のとらえ方)という千年単位で歴史をとらえる書き方で山の歴史を論じました。山の宗教の実態は、山と人との境界領域である裾野(里山)に見ることができます。その山と人の両者を結びつけてきたのが山林修行者なんです。

 古代の人々にとって、山の頂上ばかりが特別な場所ではありませんでした。むしろ、「裾野」こそ人がもっとも山の聖性を認識する場だったのです。

 奈良時代には、裾野は仏教に影響を受けた山林修行者たちの活動の場になります。例えば、同一の僧が大和(奈良県)三輪山の裾野に位置する山林寺院・大神寺で山林修行を実践し、都の平地寺院・東大寺で仏教叙述の体系を教学的に講じるといったこともありました。修行者たちが平地と山林を往復するようになっていったんですね。

 平安時代前期には地震や噴火などの自然災害が多発し、山や自然の状況を実際に目にしていた山林修行者たちに、平安の都市民たちが注目するようになりました。都良香(みやこのよしか:貞観年間に活躍した漢学者)の『富士山記』からは、貴族が地方霊山や山林修行者に関心をもっていたことがうかがえますし、彼らからもたらされた山の情報が、時にはかなりリアルに記されています。普段は都から長距離・長時間の旅に出かけることの難しかった貴族や都市民の期待を背負って、10世紀ごろには山林修行者が地方霊山の裾野に山林寺院、現代的にいうと「ベースキャンプ」を築きます。そして山林寺院を足場に、だんだん高い山、山の奥深くに進入し、その有り様を都市民に伝えるようになりました。