再明徴化される国境と後退する自由な「私」

 こうした中、地政学的な現実に即して、国民と領土を効率的に防衛するための経済が求められ、個人や企業の国家に対する忠誠が大切だと認識されるようになるのではないだろうか。

 目先の利益追求のために資本や技術、さらには労働さえ節操なく中国に移転させることで、日本国内の生産力低下や労働者の価格競争力喪失などをもたらし、究極的に中国共産党というモンスターの台頭やその侵略を許すこととなった「利益至上主義に基づくグローバル化」の害悪が、利益を上回っていたことが大いに反省されるようになろう。
 
 その結果、中国共産党が大好きなグローバル化でぼやけた国境が再び明徴化される。競争が国内に限定されないことで、人々や企業は価格決定権を奪われ、究極的には富や尊厳まで失った。中国共産党を肥え太らせることで日本人大衆を窮乏化させたボーダーレス化が巻き戻され、「国境のある国際貿易」はあっても、「ボーダーレスな自由貿易」はなくなってゆくだろう。

 これが、日本に忠誠を証明する個人・団体や企業が報われる経済の仕組みへつながり、グローバル化で不明瞭となった「日本人とは誰か」「日本とは何か」という定義を再びはっきりさせるだろう。

 また、少子高齢化が進行するままに任せては中国の本土侵略が防げないことから、マッカーサー憲法で強調されて少子化をもたらした「個」や「私」の概念が後退し、「公」や「家族」が再強調されるかも知れない。

 具体的には、家族を増やし養う者への税制面や収入面における優遇策、さらに資源分配に最も効率的で低コストである世帯単位の施策が採用されることが予想される。戦争経済は、日本が敗戦で捨てさせられた「皆が生きる時に個も生きる」というビジョンを復活させ、持続性のある家族的社会モデルへの回帰を生むのではないか。

 こうしたイデオロギー的な改革は、外敵の侵攻や防衛体制の不備の露呈というショックなしには国民全体の合意を得ることが困難だが、「中華民族の偉大な復興」に執心する中国共産党の侵略行為が、その契機を作り出してくれるのである。

 次回の最終回では、「戦争による経済格差の解消」「日本が主導する対中包囲網形成」などを通し、中国の敗戦と分割占領という変動の中で日本が、アジアと世界において新たな秩序や繁栄のモデルとなり得る将来像を提示する。(続く)

(岩田 太郎)