(勢古 浩爾:評論家、エッセイスト)

 8月15日、タリバンが予想を裏切るスピードで、アフガニスタンの首都カブールを制圧した。その2日後、日本の大使館員12人がドバイに脱出した、というニュースが報じられた。そのニュースを見て最初に思ったことは、そんなケツに火が付いたように大慌てで逃げ出さんでもいいんじゃないか、というものだった。それとも日本は、タリバンに恨まれるような悪いことでもしたのか。普段からタリバンとどんなに細いものでもいいから(かれらはISとちがい、犯罪集団ではない)、パイプを繋ごうと努力をしてこなかったのか、まあかれらがそんな仕事をするわけがないかと思いなおし、自分で納得したことであった。

 その後日本は、やっと自衛隊機がカブールまで行ったと思ったら、救出したのはわずかに日本人女性1人だったということが報じられ、また日本はなにかへまをやらかしたなと思っていたころに、産経新聞の8月30日付けの「産経抄」を読んだのである。

「産経抄」は、「杉原千畝」の偉業を引いたあとで、このように書いている。「アフガニスタンの首都が陥落した直後、日本の大使館員は現地職員を置き去りにしてさっさと逃げ出し、救出作戦にも失敗した。韓国紙に『カブールの恥辱』とばかにされても仕方のない大失態だった。英国の大使は、カブールにとどまってアフガニスタン協力者のビザを出し続けていたというのに」。

過去、我さきに逃げ出した人たち

 追って9月14日、産経新聞論説委員長の乾正人は、12人の日本人外交官は「英国軍機で逃げ出した」のであり、「第一、司令官たる岡田隆大使が、カブールに不在だったのは、更迭に値する」と怒りの記事を書いた。岡田大使はそんな大事な時期にのんびりと日本に帰っていたらしいのだが、急遽アフガニスタンに戻ろうとしてイスタンブールで足止めを食らっている(「風を読む やっぱり奥大使は泣いている」産経新聞、2021.9.14、https://www.sankei.com/article/20210914-YZY7SEGLMFO4DMOFXCHUPQ333M/)

 これを読んでわたしも、満州にいた日本人開拓民をほったらかしにして我さきに逃げ出した「精強」関東軍や、おれもあとから行くと特攻隊員を激励し、米軍がくると飛行機で真っ先に台湾まで逃げた在フィリピン第4航空軍司令官を思い出した。その反対に自分の責務を果たしたひとのことも思い出した。当然、杉原千畝を思い出し、またミッドウェー海戦で空母飛龍と共に沈んだ第二航空戦隊司令官の山口多聞を思い出したりもした(艦と共に死ななくてもいいと思うが、そこは時代のちがいである)。

 米軍のアフガニスタン撤退の発表から、実際に各国が撤退するまでの経緯を簡単に記しておこう。韓国の用意周到な準備に比べ、日本大使館・外務省・日本政府の思考停止した無能さと、いざとなったときの狼狽ぶりがわかるだろう。