(武藤 正敏:元在韓国特命全権大使)

 次期大統領の座を巡り権力闘争が激しくなりつつある韓国で、「謀略」と呼んでもいいような政治工作の実態が明らかになってきている。まず与党側からの“工作”のターゲットになったのは、次期大統領選の野党側の最有力候補・尹錫悦前検事総長だ。

 前回の記事でもお伝えしたが、9月9日、韓国の高位公職者犯罪捜査処(公捜処)は、野党「国民の力」の金雄(キム・ウン)議員に与党系政治家を告発するようそそのかしたとして、尹前総長を被疑者として立件。

 さらに公捜処は翌10日、孫準晟(ソン・ジュンソン)検事と金議員の事務所や自宅など5カ所を家宅捜索した。この強制捜査着手は9月2日に「告発教唆」疑惑が提起されてから8日目、親与党系団体「司法正義を正す市民運動」の告発を受理してから4日目のことだ。

 尹前総長の疑惑は、検察在職当時に孫検事を通じて、金雄議員に与党側の政治家と言論人に対する告発状を伝えて、同議員に告発をそそのかしたことへの関与だという。

 仮にこれが事実なら、現在、尹錫悦前総長に対して集まっている国民からの支持は、かなりの部分が失われることになるだろう。

 だた、このタイミングでの立件、そして与党の親密市民団体からの告発から異例のスピードでの捜査着手といった状況から勘案すると、多分に政治的な意図を持った捜査であることが疑われる。そのため、野党は強く反発している。国民の力の李俊錫(イ・ジュンソク)代表と金起鉉(キム・ギヒョン)院内代表らは、家宅捜索の現場を訪れ、「深刻な野党弾圧だ」と抗議した。

(前回記事)韓国次期大統領選の対決構図に異変、野党「第二の候補」が急浮上〈https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/66904〉

あまりに性急な立件の背景

「告発教唆」が発覚してからのスピード立件は、極めて異例であり、それは野党の政治日程を考慮したものとの見方ができよう。

 前述のように、この強制捜査着手は、2日に「告発教唆」疑惑が提起されてから8日目、「司法正義を立て正す市民運動」が6日に当該事件を公捜処に告発してからわずか4日目のことだ。

 もう少し時系列を詳しく見てみると、担当の金淑正(キム・スクチョン)検事は告発から2日後の8日、「司法正義を正す市民運動」の代表から事情を聴取し、9日には尹前総長と孫準晟検事を被疑者として立件した。

 次いで10日、孫検事と金雄議員に対し家宅捜索を行い、「罪があるかどうかは次の問題だ」とし、尹前総長が被疑者として立件された事実を公表する異例の対応を取った。常識的に考えれば、半年後の大統領選挙に出馬を表明している有力候補に関連する疑惑を捜査したり、本人に対する立件を公表したりするのは、相当慎重であってしかるべきだ。有権者の投票行動に及ぼす影響が大きすぎるからだ。犯罪の事実が相当確信できる状況でなければ、普通は捜査や立件の事実を公表しないものだ。ところが今回の公捜処の行動は違った。裁判で有罪を立証できる証拠が不十分な時点で立件を公表するというのは、政治的意図の存在を疑われても仕方ないだろう。