日本の指導者は、中国、ロシア、米国など大国の指導者と渡り合い、今後、世界でリーダーシップを発揮できるだろうか。

 ロシアは第2次世界大戦の結果、北方領土がロシアのものになったことを日本が認めるよう主張している。

 第2次大戦当時、日本とソ連の間には日ソ中立条約が存在していた。

 ソ連が対日参戦した1945年(昭和20年)8月時点では日ソ中立条約は有効期間内であった。だが条約は破られソ連は日本に侵攻。これは紛れもなく国際法違反である。

 当時ソビエト連邦は北方4島だけでなく、実は北海道にも侵攻しようとしていた。不凍港である釧路を狙い、あわよくば北海道全島を占領しようとしていたのである。

 読売新聞夕刊(1990年12月25日)は、ロシアの当時の公文書による次のような内容の記事を配信している。

「ソ連の最高指導者ヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ・スターリン(1878-1953)は、対日参戦直前『サハリン(樺太)南部、クリル(千島)列島の解放だけでなく、北海道の北半分を占領せよ』と極東軍最高司令官アレクサンドル・ミハイロヴィチ・ヴァシレフスキー元帥(1895-1977)に上陸部隊を出せるよう命じていた」

 しかし、千島列島北東端の島、占守島(しゅむしゅとう)の日本守備隊の奮戦により、ソ連の侵攻南下が遅れて停戦合意となったことで、ソ連は北海道侵攻を断念する。

 日本は1945年8月14日、無条件降伏・武装解除、民主主義の実現、連合国による管理、日本の領土規定などを内容とするポツダム宣言の受諾を決め、15日に終戦の詔書が出された。

 大本営は8月16日、「やむを得ない自衛行動を除き、戦闘を中止せよ」との全部隊に発令。

 しかし、南樺太のソ連軍は日本側への攻撃をやめず、18日に千島列島で占領作戦を展開。千島列島北端の占守島に上陸し、武装解除を進めていた日本軍を攻撃したのである。