北朝鮮には、日本から北朝鮮に帰国した人々に対する徹底した管理監視制度がある。在日帰国者とは、戦後、実施された在日朝鮮人の帰還事業で日本から北朝鮮に帰国した人たちを指しており、国家保衛省・国家安全保衛部内部で「22号対象」と呼ばれている。北朝鮮送還事業が始まった1959年から続いている管理監視制度とはどのようなものなのだろうか。

(過去分は以下をご覧ください)
◎「北朝鮮25時」
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(郭 文完:大韓フィルム映画製作社代表)

 在日朝鮮人が北朝鮮に帰国する送還事業は1959年に始まった。1955年2月、北朝鮮は朝鮮戦争後の労働力不足を解消するため、在日朝鮮人の帰還事業を推進し、帰国後の生活について責任を負うと宣言した。

 1958年、日本の社会党(当時)と共産党に自民党議員も加わり、「在日朝鮮人帰国協力会」が結成され、翌59年8月13日、インド・カルカッタ(現コルカタ)で、「日本赤十字社と朝鮮民主主義人民共和国赤十字会との間における在日朝鮮人の帰還に関する協定(カルカッタ協定)」が結ばれた。

 同59年12月14日、在日朝鮮人975人が新潟港を出港したのを皮切りに、在日本朝鮮人連合会(朝鮮総連)系の在日同胞の送還事業が進められた。1962年11月12日までの間に7万7288人の在日朝鮮人や日本人妻たちが北朝鮮に渡っている。その多くは、工事現場の労働者、日雇い労働者、商工業従事者、学生などで、帰国者を輸送した「万景峰号」は帰還事業の代名詞になった。

 その後、日朝両国は協定の延長に合意したが、送還された人々の悲惨な生活と管理監視制度が知られるようになると帰国者が激減し、日韓国交正常化後の中断を経て、1984年、帰還事業は完全に終了した。計186回行われた送還事業で帰国したのは9万3339人に上る。