日韓関係悪化の一因である「過度の謝罪」

 謝罪を受ける権利がないにもかかわらず、韓国人は謝罪を受ける権利を自らに与えた。すなわち、慰安婦問題に関連する韓国の謝罪要求は、2011年の韓国内の憲法裁判所判決(「韓国政府が日本に向かって慰安婦問題の措置を要求しないのは違憲」という判決)を根拠としている。徴用工問題に関連する謝罪要求の根拠は、2018年の韓国内の大法院判決(日本企業に賠償を命令した判決)だ。このように、韓国は極度の自己中心的な態度で、日本に謝罪を強要している。

 謝罪を受ける権利がない韓国が、暇さえあれば、日本に向かって謝罪の真正性などを云々し、追加謝罪を強要する現在の姿は、まさにコメディだ。このような水準の韓国に、国際法遵守などの理性と常識を期待するのは、初めから無理であった。

 権利と義務が存在しない「謝罪」というものによってもたらされた、日韓関係の悪化は深刻な水準だ。韓国がもし正常国家ならば、日本の道義的な謝罪に対し、適正な範囲で受け入れ、円満に関係悪化を終えただろう。

 逆説的に、今日の日韓関係が悪化した原因は、「過度に多かった日本の謝罪」も挙げることができる。不必要な日本の謝罪が繰り返されて、惰性(あるいは慣性)が生じ、結果的に韓国人は、日本の謝罪を当然のことと見なすようになったのだ。

 ここに、ある1カ月間の実験について話そう。毎日、各家庭に1万ウォンずつを無償で与え、町内の人々の反応を観察する実験だ。

 初めは、町内の人々は、戸惑った様子で無償金を受け取った。これが何日か繰り返されると、すぐに町内の人々は気分が良くなった。10日ほど経つと、町内の人々は、無償金を受け取る時間を心待ちにするようになった。あらかじめ家の前に出てきて、待機するようになったのだ。

 さらに20日ほど経つと、町内の人々は、無償のお金を当然だと考えるようになった。そして実験の最終日、お金を分け与える人が、町内をそのまま通り過ぎていった。すると町内の人々はとても怒り、「私のお金はどこへ行ったのか?」「どうして私のお金、1万ウォンをくれないのか?」と不満を吐き出した。

 好意がつづけば、それを権利と勘違いすることになる。今日、韓国が見せる姿は、まさにこれである。今の最悪の日韓関係も、「日本の持続的好意」と「これを権利と勘違いした韓国」が、合作で作り出した不幸だといえる。