ウクライナ情勢をめぐり、国連のアントニオ・グテーレス事務総長が4月26日にロシア、28日にウクライナを歴訪した。

 ウクライナ侵攻を続けるロシアのウラジーミル・プーチン大統領との会談では、民間人の避難について一定の合意を得たが、かねて呼び掛けてきた人道目的の停戦には踏み込めず、侵攻をめぐる仲介役としての限界を印象付ける結果となった。

 筆者は、グテーレス氏には、モスクワの前にウクライナを訪問し、ブチャなどの悲惨な状況を自身で確認してからプーチン氏と会談すべきだったと思う。

 そのうえで、「あなたは、ブチャの大虐殺をフェイクと言うが、ブチャにおける部下たちの行動を掌握しているのか」「あなたは、4月21日にマリウポリの製鉄所への攻撃中止を命じたが、今も攻撃が続いている。あなたの命令・指示は現場部隊に徹底されていないのでないか」などと質問してほしかった。

 さて、本題に入るが、プーチン氏はグテーレス氏との会談で、「米欧が民族対立に端を発したコソボ紛争に軍事介入し、セルビアからのコソボ独立を支援したにもかかわらず、民族救済という同様の目的に基づいたロシアによる2014年のウクライナ南部クリミア半島併合や、東部の親露派支配地域の『独立』承認を批判した―と主張。今回の作戦はコソボの『先例』に照らして正当だとした」(出典:産経新聞4月27日)。

 筆者が思うに、この時、グテーレス氏は、プーチン氏に「あなたの考えは間違っている。コソボの独立は民族自立の問題であったが、今ウクライナで起きていることは侵略であり主権と領土保全の侵害である」ときっぱりと指摘すべきであった。

 国家に関わる国際原則として、「領土保全」と「民族自決」という対立する2つの概念が長く併存してきた。

 歴史的には、基本的に領土保全の原則の方が優位に立ってきたが、例外的に第1次世界大戦の後、第2次世界大戦の後および冷戦の後には、民族自決の原則が優位になった時期がある。

「領土保全の原則」とは「各国は主権平等の原則に基づいて相互に他国の領土保全を尊重し介入・妨害を差し控える義務を負う」というもので、国際法の基本原則である。

 その一方で「民族自決の原則」とは、様々な民族が他国や他民族に従属させられることなく、また干渉を受けることなく、自らの意志に基づいて、その帰属や政治組織、政治的運命を決定する集団的権利を持つというものである。

 後述のジョセフ・ナイ氏は、「民族自決の原則」は、あいまいな道徳的原則であるとしている。

 今日では国際慣習法上、明確に自決権に基づく独立が認められるのは、第1に植民地からの独立と、第2に外国の征服、支配および搾取からの独立という2つの場合であるとされる。

 これらの場合には領土保全原則と民族自決原則は一致するものと考えられるからである。

 また、冷戦後、ユーゴスラビア連邦およびソ連連邦の崩壊に直面した欧州諸国は、「国境線の不変更」を定めた1975年の全欧州安全保障会議(CSCE)のヘルシンキ宣言を根拠として対応した。

 従って、連邦を構成していた共和国は独立できたが、共和国の中の自治共和国や自治州は独立できなかった。例えば、ロシア共和国の中の自治共和国であったチェチェンは独立できなかった。

 しかし、チェチェンと同じように、セルビア共和国の自治州であったコソボは独立することができた。

 これに対する国際社会の言い訳は、2010年の国際司法裁判所の「2008年のコソボ独立宣言」合法判断である。

 以下、初めに、民族自決原則の成り立ちと変遷についての述べ、次にコソボ独立の歴史を述べ、最後にコソボの一方的独立宣言の国際法上の適合性について述べる。