1.民族自決原則の成り立ちと変遷

 本項は、吉田恵利氏著『現代国際法における分離権の位置づけ―救済的分離論の妥当性に関する実証的研究―』北海道大学学術成果コレクション「HUSCAP」を参考にしている。

 元来、自決原則は政治的概念に過ぎなかったが、第1次世界大戦後の平和の原則として、ソ連と米国を中心に戦後の領土問題を解決するための基準とされた。

 しかし、実際の戦後処理ではヨーロッパ以外の植民地や従属地域の諸民族の要求は取り入れられず、国際連盟は委任統治制度を設け、受任国が施政国の統治をその監督下におくことで、事実上、戦勝国が敗戦国の植民地を委任統治の名の下に領有することになった。

 例えば、日本は1922年、赤道以北の旧ドイツ領ニューギニアの地域を委任統治することとなった。

 第2次世界大戦後に採択された「国連憲章」は「人民の同権および自決の原則の尊重」(1条2項)を規定し、自決原則は国際法上の行動基準となった。

 しかし、起草過程において、「自決」は「自己統治」を意味するのみであり、「独立」を意味するものではないとの合意がなされ、この時点では自決原則は植民地の独立や国家内部の集団の分離独立とは無関係であるとされていた。

 しかしその後、1960年の「植民地独立宣言」(総会決議1514)は「あらゆる形態の植民地主義を、速やかにかつ無条件に終わらせる必要」(前文)があるとして、「信託統治地域、非自治地域その他の未だ独立を達成していない全ての地域」(5節)の人民、すなわち植民地支配下にある人民の独立の権利を認めた。

 1960年は「アフリカの年」と呼ばれ、17の新独立国がアフリカに誕生した。

 そして、1966年に「すべての人民は、自決の権利を有する。この権利に基づき、すべての人民は、その政治的地位を自由に決定し並びにその経済的、社会的および文化的発展を自由に追求する」(共通1条)と規定する「国際人権規約」が採択された。

 これは植民地支配下にある人民に加え、外国の軍事的支配または占領下にある人民についても黙示的に自決権を認めた規定と解されている。

 続く1970年の「友好関係原則宣言」(総会決議2625)は、「人民を外国の征服、支配および搾取の下に置くことは、この原則に違反」すると述べ、外国の征服、支配および搾取の下にある人民の自決権を明確に認めるに至った。ここに、自決原則の伝統的枠組みが確立した。

 既述したが、今日では国際慣習法上、明確に自決権に基づく独立が認められるのは、第1に植民地からの独立と、第2に外国の征服、支配および搾取からの独立という2つの場合である。

 これらの場合には領土保全原則と自決原則は一致するものと考えられるからである。

 著名な国際政治学者のジョセフ・ナイ氏は、「民族自決権の濫用は悲惨な結果をもたらす」という論考の中で、次のように述べている。

「民族自決はあいまいな道徳的原則である。現在、同じ人種で構成される国家は世界の10%にも満たない」

「民族自決権を最も重要な道徳的原則として扱うと、多くの地域で悲惨な結果を招くことになる」