月8万円配布するベーシックインカムの提言が話題に

先日、次の総選挙で向けて活動中の民進党の新人(松尾勉氏)がブログで、「すべての成人に月8万円の現金を配布するベーシックインカム」と提言したことで、「ベーシックインカム」という言葉に注目する人が増えています。

ベーシックインカム(Basic Income以下BI)とは、最低限所得保障の一種で、ある国や社会で、すべての構成員に、例えば月額10万円あるいは5万円とか15万円というように、とにかく一定額を給付しようという考え方です。

松尾氏は「すべての成人」としていますが、未成年も含めて支給するという考え方もあるので、BIは荒唐無稽な話だと感じる人が多いことでしょう。それは、もっともな感想ですが、BIを口にしたのは松尾氏が初めてではなく、10年ほど前から、たびたび話題として取り上げられています。そこで、最近BIが議論されるようになった背景と、その実現に向けてどのような課題があるかについて見ていきましょう。

ベーシックインカムが議論されるようになった背景

BIでは、働いている人もいない人も収入がある人もない人も区別せずに、一律一定額を給付します。このやり方を聞くと多くの人は、「仕事がない人や収入が低い人に対しては、失業保険や生活保護という既存の制度で用が足りている。ましてや、生活に困っている人を支援する目的のために、仕事を持って高収入を得ている人にまで支払う論理が理解できない。」というような感想を持つはずです。

たしかに現在の日本には社会保障制度があります。まず、国は完全雇用に向けて努力し、国民は収入を得るために勤労その他の手段を尽くすところがスタートです。しかし、病気や事故で怪我をしたり、会社の倒産で職を失ったりするなどの危機の発生は避けられません。そういうとき、健康保険や失業保険が支えてくれます。そして、定年退職後は、年金が生活を成り立たせてくれます。それでも生活上のリスクを解消できない人には、生活保護のような補完的制度がカバーすることになっています。つまり、完全雇用、社会保険、生活保護という三段構えの仕組みが、日本には用意されています。しかし、この社会保障制度はきちんと機能しているのでしょうか。そこが、問題なのです。

失業率が低いことを政府は誇っていますが、働く意欲はあっても働く場がない人は、日本では無業者に過ぎず、失業者にカウントしてもらえません。また、職を失うリスクが相対的に低い正規社員の雇用保険は手厚い一方で、失職のリスクが高く失業手当の必要度が高い非正規社員の雇用保険への加入割合は低くなっています。

生活保護についても、生活保護水準以下の収入しかない人の割合は、人口の13%に上るけれど、実際に生活保護を受けている人は1.2%程度しかないという推計があります。つまり、制度は存在していても、働けない人、または働いても十分な生活を送れない人が増えているし、最終的な安全弁になるはずの生活保護は十分に機能していない状況にあるのです。

年金についても、支給開始年齢が段階的に引き上げられ、反対に支給水準は引き下げられる状況で、老後に不安を持つ人が増えています。

なぜ、立派な制度があるにも関わらず、社会保障が実質的に機能しなくなったのでしょうか。

現在の社会保障制度の問題点

現在の社会保障制度は、企業が中心になって担ってきました。

かつて売上高が大きい企業より社員数が多い企業の方がより貢献度が高いと言われたように、雇用の促進は企業の責務の一部でしたし、健康保険・厚生年金保険・雇用保険は基本的に半額を会社側が負担している事実を見れば、日本社会の安心は、企業が中心となって支えてきたことに異論はないはずです。

たしかに、バブル景気までは企業を軸とした社会保障システムは上手く機能していましたが、その後経済停滞期に入ると、政府は「労働者派遣の原則自由化こそが、日本経済を再生し、個人の転職能力を高め、雇用の安心を確保する政策」と打ち出しました。その正規社員の非正規化の流れに乗って、リーマン・ショック後、真っ先に非正規雇用者の大量解雇に踏み切ったのは、当時の経団連会長が経営している企業でした。

それ以降、日本を代表する経営者を筆頭に、ほとんどの経営者たちは、減益に耐え内部留保を減らしても「雇用を維持する」あるいは「国民生活と経済の安定を図る」という仕事は、誰か他の人がやるべきことであって、自分たちは自社の利益確保だけをしていればよいと考える常識を持つようになりました。こうした経営者の姿勢変化に伴い、企業を中心に設計されている社会保障制度の実効性が低くなっています。

それでも、現在の社会保証制度の不備を正し、より良く機能させることで、貧困の問題は解決出来るという考え方も当然あります。例えば、完全雇用が実現し、しかも労働者の給料が大幅に上がれば、潤沢な原資が生まれるので、社会保険制度は全国民に対して網羅的により良く機能する可能性はあるでしょう。

しかし、賃金引き上げや社会保険制度への加入率向上など、労働者の生活保障のためのあらゆる制度や規制は、企業にとって雇用を削減する方向に働くという潮流を止め難い以上、むしろ、企業を生活保障の責務から解放した方がよいという考え方が、BIのベースにあります。

ベーシックインカムのバラマキ批判について

次の疑問として、社会保障の軸を、企業から政府へ移すのはやむを得ないとしても、BIのやり方は、「バラマキ」ではないかという意見が出てきます。BIが必要ない人にまで支給せずに、本当に必要な人に集中的に支給すれば、その分手厚い対応が出来るはずだと。

BIがもらえる人ともらえない人を区別するためには、基準が作られることになります。そうすると、必ず基準が定める境目のところに壁が出来てしまいます。これを経済学では「貧困の罠」と言います。

また、現在の生活保護の補足率の低さを見ると、日本は既に「働ける人」「働けない人」の区別に失敗しているのだから、基準を設けている限り有効に機能する制度にならなない可能性が高いのです。

さらに、基準を設けて認定を行うためには、多額の行政コストがかかるので、むしろ基準を作らずに一律支給にした方が原資の無駄づかいがなくなります。

つまり、BIというやり方は、不要な人に支給されるマイナスを考慮しても、本当に必要としている人に対して公平に行き渡る可能性が高い点に着目した方法なのです。所得の再配分による格差是正ということより、貧困を無くすことに重点が置かれた考え方とも言えます。

財源問題はあってもベーシックインカムを考える意義はある

BIについての議論において、「財源をどうするか?」というテーマで色々な意見が出されています。そして、BIが働く意欲を失わせるモラルハザードを招く危険があるから反対するだけでなく、そもそも財源の確保が難しいので最初から考えること自体が無駄だという意見が出てきます。

しかし、現在の日本を見ると、人間の生存権に対する基本理念は整理されていない状況です。ですから、理念の理解が優先されるべきで、制度設計の個別論に入るのは、その後でも良いと思います。

いま日本人の多くは、人間の生存権を無条件に認めていません。「自己責任」という言葉を好んで使う人がたくさんいますし、上昇志向の強いビジネスマンは「働かざる者は食うべからず」という信念を漏れなく持っているはずです。

ですから、資本主義社会の中で、色々な場面で競争が行われ、結果的に勝者と敗者が存在することを当然とし、機会において平等が保証されていれば、結果の不平等があるのは当たり前であるという考え方が根強いのです。この視点に立てば、65歳以上の老齢者が五体満足で働ける能力を持ちながら飢え死にしても、私には関係ないと思うことが、必ずしも非難されないのが日本の現状です。

しかし、遠くない将来、AI(人工知能)が進歩して単純労働の多くを肩代わりするような社会になり、「働きたくても働けない人」が今よりも多量に発生する可能性が見込まれます。そのとき、相変わらず「自己責任」「働かざる者は食うべからず」と言い続けていれば良いのかどうか想像を巡らせてみてください。

BIと聞くと、無意識に違和感や反感を持つ人は、人間の無条件な生存権を認めていないからでしょう。ただし、そのようにとことん合理的な考えをすることが、むしろ社会や組織などの共同体を弱体化する可能性があることまで、考えが及んでいません。

共同体のメンバーの中で、有力なものに優先的に資源配分するような弱肉強食的共同体は、「万人の万人に対する闘争」状態を生み出し、最終的に長くは続きません。むしろ、メンバーの中で「最も弱いもの」を中心に制度設計が行ない支援する共同体の方が、永続性を持ち得るとするなら、「効率」という合理的な尺度で測っても、共同体の持続性あるいは「最大多数の最大幸福」実現のために何が重要なことなのか、BIを端緒として考えてみではいかがでしょうか。

(清水 泰志/経営コンサルタント)