《ショッキングな事実に向き合う際には勇気が必要で、最初は筋肉痛のような痛みがありましたが、徐々に鍛えられました。知らなくてはいけないことがこれだけあるのに、知ろうとしない臆病な人間にならないように、勇気を出すようにしています》

8月9日配信の「47NEWS」のインタビューでこう語ったのは、石原さとみ(34)。同日で、長崎に原爆が投下されて76年目を迎えた。《私たちは被爆者の声を直接聞ける最後の世代です》と語った石原の告白が、ネット上で共感を呼んでいる。

《知る勇気、伝え続けること。改めて大切だと感じました》 《被爆者の話を直接聞ける最後の世代 まさにそう思う やはり実際に体験した方の声に勝るものはない 被爆者、戦争経験者の思いをしっかり知ることが大切》 《著名な方が声を挙げてくれるのは素晴らしい事だと思います。海外にも届くといいですね》

東京五輪では、5月に聖火ランナーとして長崎を走った石原。ランナーを務めるにあたっての会見で「東京都生まれなんですけど、『一番の転機の場所はどこですか?』と聞かれたら長崎県です」と石原が答えたきっかけは、長崎の被爆者・本多シズ子さん(87)との出会いだった。

「'08年8月放送のドキュメンタリー番組『原爆 63年目の真実』(テレビ朝日系)の撮影で、石原さんは本多さんが暮らす原爆ホームを訪れました。本多さんは11歳の時、爆心地から1.8キロ離れた場所で被爆したといいます。

石原さんはインタビューで、《特に印象に残っているのは被爆者の方々が当時を再現した劇です》と語っています。本多さんは'00年ごろから自ら『被爆劇』を演じ、修学旅行生や地元の子供たちに平和の大切さを伝えてきました。本多さんの戦争体験に耳を傾けることで、石原さんは『自分には何ができるのだろう?』と真剣に考えるようなったといいます」(テレビ局関係者)



■人生の転機となった本多さんとの再会

インタビューでは、《本多さんと交流を続けているうちに、本多さんが私のことを「友達」と呼んでくれるようになりました》とも語っている石原。10年以上にわたって交流を重ねてきた本多さんの存在は、石原の“人生の目標”を明確にしたという。

「初対面以降も2人は年賀状などのやりとりを続け、'15年に石原さんが本多さんの元をプライベートで訪れたのです。大喜びした本多さんは、『生きていて良かった』と涙を流したといいます。本多さんの涙に胸を打たれた石原さんは、『一瞬で誰かの心を明るく励ますことができる人になりたい』と決意。本多さんとの再会が、『人生の転機となった』と語っていました。

そしてその決意が、東京五輪で聖火ランナーとして走る原動力となったのです。新型コロナがなければ、本多さんも沿道で応援する予定でした。感染防止のためネット中継越しでの応援となりましたが、本多さんは『頑張れ!』と精一杯手を叩きながら石原さんにエールを送っていたと聞きました」(施設関係者)

現在、俳優として第一線で活躍する石原。その輝きは本多さんにとって希望の光となっていることだろう。