「大戦で多くの尊い命が失われた沖縄において、人々は『ぬちどぅたから(命こそ宝)』の思いを深められたと伺っていますが、その後も苦難の道を歩んできた沖縄の人々の歴史に思いを致しつつ、この式典に臨むことに深い感慨を覚えます」

5月15日、沖縄復帰50周年記念式典に両陛下はそろってオンラインで出席された。天皇陛下はお言葉のなかで、沖縄の“犠牲”について言及された。さらに、沖縄の発展や県民生活の向上などに触れたうえで、次のように述べられたのだ。

「一方で、沖縄には、今なおさまざまな課題が残されています。今後、若い世代を含め、広く国民の沖縄に対する理解がさらに深まることを希望するとともに、今後とも、これまでの人々の思いと努力が確実に受け継がれ、豊かな未来が沖縄に築かれることを心から願っています」

皇室ジャーナリストの渡邉みどりさんは「皇室が沖縄に寄せる気持ちは、代々受け継がれているもの」と語る。

「昭和天皇が戦後の全国巡幸で、唯一足を運べなかったのが沖縄でした。当時は皇太子ご夫妻であった上皇さま、美智子さまが、’75年には沖縄海洋博への出席のため、戦後初となる皇族の沖縄訪問を果たしました。しかしこのとき、ひめゆりの塔を慰霊に訪れたご夫妻に、火炎瓶が投げつけられる事件も起こりました。それでも上皇ご夫妻は、沖縄戦を生き延びた県民との懇談を重ねるなど、沖縄訪問は11回を数えます。その思いは、天皇陛下と雅子さまに受け継がれているのです」

一方で、雅子さまにはこの20年ほど、沖縄に寄り添うことができなかったご悔恨もあるという。’97年7月、全国農業青年交換大会に出席されるため、当時皇太子だった陛下と雅子さまは復帰25周年の沖縄県を訪問された。

沖縄戦最後の激戦地となった糸満市・摩文仁の平和祈念公園を訪れ、戦没者の遺骨18万柱あまりが納められた墓苑で供花。戦火に倒れた人々の冥福を祈られた。’99年の歌会始では《摩文仁なる礎の丘に見はるかす空よりあをくなぎわたる海》と、このときの情景をお詠みになっている。



■愛子さまに0歳のころから沖縄の子供たちとの交流を

愛子さまを出産された翌年、’02年7月には、東宮御所で行われた豆記者の子供たちとの懇談に、愛子さまをお連れになった。

「豆記者との交流は上皇ご夫妻から引き継がれたものです。夏休みに東京などに派遣され、記者の仕事を体験する豆記者は、本土と沖縄との架け橋となる存在となっています。雅子さまは、愛子さまに小さなころから沖縄に親しみを感じてもらい、戦争などの歴史についても関心をもってほしいとお考えになっていたのでしょう」(皇室担当記者)

しかし、雅子さまは25年間、沖縄を再訪できていない。’03年12月に体調を崩され、翌年には適応障害と診断されており、地方へのご訪問も思うようにできなかった。また、豆記者とのご交流にも参加できない時期があった。

「雅子さまは、沖縄に心を寄せる活動ができなかったことに悔恨の念を抱かれていたのかもしれません。だからこそ、本土復帰50周年となる今年、できるかぎり沖縄に尽くしたいとお考えなのではないでしょうか。

そして、陛下がおっしゃった『今なおさまざまな課題が残されている』という言葉には、雅子さまとともに、これから一生を捧げるという覚悟で沖縄に寄り添い続けなければならないという決意が込められているのでしょう。今年10月、国民文化祭、全国障害者芸術・文化祭が沖縄県で開催されます。雅子さまは沖縄再訪に向け、すでに準備を進められているはずです」(宮内庁関係者)

雅子さまが秘めてこられた沖縄への思いーー。25年ぶりの再訪がかなえば、沖縄県民の心にもきっと響くことだろう。