明智光秀ゆかりの地として注⽬される兵庫・丹波地域。高城山「八上城跡」をメインに、篠山城跡、丹波篠山市内の中心部を訪ねるツアーが、10月18日に開催されました。

「明智光秀ゆかりの地」の魅力情報発信事業「八上城跡バスツアー」には、「兵庫・神⼾のヒストリアン」として活躍する⽥辺眞⼈・園⽥学園⼥⼦⼤学名誉教授、久保直⼦といった『ラジオで辿る光秀ゆかりの兵庫丹波』(ラジオ関⻄)パーソナリティー陣とともに、多数の応募のなかから抽選で選ばれた17人が参加。同番組11月5日放送回では、前週に続き、そのときの様子や田辺先生の歴史トークがオンエアされました。

 ツアー午前中は近世の山城(八上城跡)に登りましたが、午後からは近世になって移ってきた篠山城(現、篠山城跡)とその城下町を散策。田辺先生がお勧めの散策ポイントを解説しました。ここでは、その一部を掲載します。

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◆篠山城の「馬出し」

「篠山城の大きな特色は、門から出たところに一区画作ってあり、両方に分かれていく格好になっているんです。これが東と南に残っている『馬出し』と呼ばれる、防御用のものです。こんなに『馬出し』がはっきり堀まで残っているのは全国でも珍しいです」(田辺)

篠山城跡の「馬出し」
篠山城跡の「馬出し」

◆御徒士町武家屋敷群

「お城の西側には御徒士町(おかちまち)があります。『徒士』とは歩いて戦う歩兵のこと。騎馬武者と違い、少し下級の侍たちの武家屋敷が残っている所です。昔は徒歩のことを徒士(かち)といい、この徒士の侍が住んでいたのが御徒士町(おかちまち)です。侍屋敷がここに残っています」(田辺)

◆篠山城(跡)大書院

「篠山の地は京都から出て山陰道の出入口というところ。江戸時代になると幕府にとっても重要な土地となりました。そのため、篠山城には江戸幕府は親藩や譜代といった信用のおける大名しか置きませんでした。西国の大名たちに協力を強制して作られた城です。櫓がいくつもあり塀で囲まれていましたが明治維新のあと全部破却されます。唯一、本丸に大書院だけが残っていましたが、残念なことに昭和19(1944)年になって火災で焼けてしまいます。篠山の人にとっては非常に悔しい思いでしたが、10年ほど前に努力が実り大書院が再建され、公開されているという状況です」(田辺)

篠山城(跡)大書院
篠山城(跡)大書院

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 秋晴れのもと、前半はかなりハードな山登り、後半は城下町散策と良い一日でした。帰りは夕日もとてもきれいでした。参加者のみなさんも喜んで下さって本当によかったです。

 ツアーの参加者からは、「普段なら登ることのない高城山(八上城跡)に登り、ものすごく楽しかったです。田辺先生のお話も普段めったに聞けない深い話で面白かったです」「はじめて知ったことがたくさんありました。これで改めて大河ドラマも見直すことができます」といった声も聞かれるなど、充実した1日になったようです。

「八上城跡バスツアー」の様子
「八上城跡バスツアー」の様子
「八上城跡バスツアー」の様子
「八上城跡バスツアー」の様子

(構成:久保直子)

番組
ラジオ関西
田辺眞人・園田学園女子大学名誉教授と久保直子さん
田辺眞人・園田学園女子大学名誉教授と久保直子さん